見出し画像

さようなら、いつまでも。


Tweetを始めたのは確か2018年の秋だった。
はじめも今も誰かに対してのものでなく自分に対しての言葉だった。自分が必要な時に欲しかった言葉を書いたの。私のアカウントは元々ダイエット垢だったなんて一体どれくらいの人が知ってるだろうか、あの頃のダイエットは今考えると良くないけれど精神論だった。

自分を鼓舞して食べるものをとにかくコントロールしていたあの頃。

そもそも、元々競技チアリーディングをしていた時と留学に来た数ヶ月で、4、5キロ太ったのがきっかけでダイエットを決めた、それまではよかった。動機も別に普通だった。ただ、競技チアリーディングをしていた時も減量はしていたけれどその分運動量が多かったから炭水化物も沢山食べていたし、時にお酒を飲むこともあった。無駄なお菓子は取らないようにしていたぐらい。 
けれど、あの時のダイエット垢の空気はあの時に居ないと分からない空気感だから説明できないけれど、本当に過酷だったと思う。
あの時はカリカリになるのが正義だった。
食べないことがあの時は紛れもなく正義だった。

女子高生がゆで卵1個とおにぎり半分くらいで1日を過ごし、ヘトヘトになりながら学校に登校していたことをよく思い出す。あの子は今どこで何をしているんだろう。幸せであってほしいな、と思ってる。
私も当時は数字に捉われすぎてしまって、結局過食症になり、ダイエットをスタートする時から7.8キロ増えた状態になってしまった、あの時は本当にしんどかった。

美に捉われすぎて、気づいたら沼のようなところにはまっていた。抜け出すのには本当に時間がかかった、自分を自分で満たせるようになって認めてあげることができるまで本当に時間がかかった。

そういうのもあって、今は美に執着する女性たちには一種の尊敬と同時に恐怖を感じる、あまりに情報が多過ぎると何かに洗脳されそうになったり、誰かのタラレバのゲームに付き合わされている気がして。

30歳の貴方は22歳にはない美しさはあるし、20歳の貴方は32歳に手に入れられない美しさがある、それだけで充分だと思う、
だって、たらればを埋める作業に人生を使い過ぎてしまうのはあまりにもったいなさすぎる。
あなたはもうすでに充分なの。

さっきも書いたけれどとにかく、Twitterを始めた5年以上前は、今とはまた違う空気感だったの。

よるめおんに、るらさん、がんこちゃんさん、おいもさん、もるさん、仲良くしてくれた方達はみんなどこに行ってしまったんだろう、

会ったことは無かったけれど、穏やかな世界でゆっくり幸せに生活しててほしい、

どこの世界に行ってもどの道に行っても、みんな幸せになって欲しいな、

急に垢消ししたり、なんか路線変わって話しづらくなったりして話しかけづらくなってしまって疎遠になった人もいる、もしかしたら私も誰かにそう思われているのかもしれない。だって、世界は変わっていくし、自分も変わっていくのだから、同じスピードや同じタイミングで変わるなんてほとんど不可能だもんね、だから、始めた当時と同じ温度感で話せる友達はSNS上にはほとんどいない。でもそれは正解だと思う。それに、変化の度に、予想もしないタイミングでも、大人になっては思いもよらない素敵な出会いはあったから。

本を出したいという夢をTwitterで掲げて数年経った。ずっとあの頃からblogやnoteと形態を変えながらも、文章を綴り続けていた。その中で確かに何度かチャンスはあったのも事実だけれど、うまくいかなかったの。
本当は手っ取り早く何かのhow to 本やライフスタイルを紹介していった方が近道なんじゃないか、と思ってしまうけれど、私は結局私のやりたいことや信じているものでしか、何かを続けることは不可能な人間だというのももう知ってる。

フォローもお話もしたことも無かったけれど、何度か私の画面に出てきた方が、先日癌で亡くなったことを知った。関わりも無かったけれど、とても綺麗な方で、私もいつかこういう風に歳を重ねたら素敵だと思っていた。やり残したことは無い、とキッパリ言って旅立った、とSNS上で家族の方が報告していて、とても美しい人生だと思った。

やり残したことは無い、なんて死の床についたときに言える人生を歩んでいる人達は一体今この世にどれくらいいるんだろう、大半の人は毎日を生きることに追われていて、自分の人生においてこれがしたい、とかこういう風になりたいと思っていても行動に起こせる環境にいたり、勇気を持っている人なんてそんないないと思う、私もその一人だったから。

今年もきっとあっという間に終わる、

数日前に歳を重ねた、私は26歳になった。

自分の書いた文章を読み返すことはbucket list以外あまり無いのだけど、せっかくだから1年前の走り書きを読み返してみた。

去年の誕生日では、私は数ヶ月前に仕事を辞めて、引っ越してパートナーと暮らし始めて、サンディエゴに旅行に行って帰ってきたぐらいの時期だった、それから9月から職業訓練学校に通ってみたり、就職活動をはじめてみたり、そして11月から仕事を始めたんだった、

こんな仕事をしたいなぁという具体的なイメージは無かったけれどリモートでできる仕事で、英語を使って、あとなんとなく頭の良い人達と働いてみたい、と思っていた。採用試験は正直かなり難しかったし面接もほとんど自信が無かったけれど結果として、自分は想像以上の職場に着くことができた。知的財産関係の仕事は楽しいし、特許関係の英語は独特で、翻訳作業もきっと好きだ。

私は翻訳関係の仕事をするという意味で採用して貰えたから、地方国立大という学歴でも私は採用してもらえたが、職場は東大とか京大とか自分が死ぬほど勉強した気で居た受験生時代では手の届かなかったところに行った人たちばかりだったから、正直最初の方は怖気ついた。

もちろん、学力や学歴が人生の全てでは無いと思う、けれど学業を極めた人たちが身近にいるのは今までの人生ではあまり無かったから単純に、新鮮で面白い、それに資格の勉強のアドバイスをくれるのはシンプルにありがたい。

そんなこんなで、職場の人間関係も良好で、10ヶ月弱たった今でも本当に転職してよかったと思う、愛犬と過ごしながらやるリモートワークも一度経験したら、戻れない。それでも職場には週1以上では出勤しているけれど。ずっとリモートワークも多分しんどいかな、どうなんだろう。

ずっとこの業界に居たいな、なんて今は思っているけれど、私は本当につくづく猫みたいな人間なので意外と未練もなく、パッとやめて、また全く違うことをしているかもしれない、未来のことなんてわからない。
分からないけれど今目の前のことを一生懸命やることでしか、ワクワクすること、嫌いなものがわかるようにはならないし、泥臭く聞こえるかもしれないけれど、目の前のことを頑張ってみる、ことでしか新たな道は開けない。

パートナーに対する感情はちゃんと恋から愛に変化した。決意のような感情は本当に突然現れるような気がするけれど実は時間をかけて形成されていくものかもしれない。

分からないけれど、愛からがスタートだと思う。

誰もが羨むようなどんなに素晴らしい結婚式を挙げたって、みんなに祝福されたって、その後がハッピーエンドなんかわからない、私達はそういう世界で、愛とか永遠とかを口ずさんでる。

27歳になる時私はどうなっているんだろう、大きくまた価値観や生活が変わってたりするのかな、

若さは少しずつ歳を重ねるにつれ、確実に無くなるけれど私は歳を重ねるのを楽しみにしてくれるような素敵な人たちにあってきた、若さは一時的な鎧のようなもので鎧を被っているうちはなんでも大胆に生きれたり、挑戦できるけれど、鎧なんか被ってなくても自分の人生を生きたいように生きて年を重ねている人を何人も知ってる。私もその中の一人になりたい、30歳になっても40歳になっても、自分の人生を環境や置かれてる状況のせいにするのではなく、自分で満たせるように生きていきたい。ツイートを消して欲しく無い、という声を有難いことに何人かに頂いたので鍵垢にして、Twitterはログアウトする、という形で私はTwitterを去ろうと思う。Twitter自体のアプリも消すつもりだから、よっぽど悲しいことが起こらない限り、もう戻ってこないと思う。ここに居ないということは私は幸せに生きてるっていうことだということを意味して。長い間、沢山のTweetを通して私を知ってくれてありがとう、
文章を綴ることでしか心が整理されたり、自分と対話することができないから、noteで文章は書き続けようと思います。

それでも、別れは新しい人生の始まりだから。貴方が素晴らしい別れとこれからのもっと素晴らしい出逢いに恵まれますように。

「今日、何かが終わる。 けれど、それは貴方の次の人生の最初の日です。」

さようなら、いつまでも。

フォローもいいねもとても嬉しいです。今年中に本を出すために執筆中です。自費出版なので、そちらの資金に使わせてください。沢山の愛をありがとう。