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青い瓦屋根の家④

翌日、大洗駅に付いて改札口の上にある時刻表を見上げると、鹿島神宮方面の下りの次の出発時刻は九時二十七分だった。ホームに上がると、出発の前に車両の上から黒煙を上げて二両の車両を一両にする切り離し作業をしているところだった。まだ見たことのない景色に出会えることに久しぶりに心が踊った。ホームには一眼レフカメラを首から下げたカップルや男性がホームからの景色や車両の写真を撮っている。車体にはアニメのキャラクターが大きく描かれていて、車内にもそのキャラクターが掲示されている。

ゴオーンと列車が動き出した。終点の鹿島神宮まではワンマンカーとして走る。運転手の後ろの席は向かい合った長椅子の席で、その後ろに二人がけの席が並ぶ。法事か何かがあるのか喪服を来た年配の男性と女性の三人組が二人がけの席に座っていて、長椅子にはみなりのきちんとした五十代くらいの男性がひとり旅を楽しんでいる。向かい側には首からタオルを巻いたジャージにティーシャツ姿の四十代くらいの男性が大きなリュックサックを足元に置いて、手にはメモ用紙をたくさん持ってペンを握りながら眠っていた。テレビの撮影のための下見なのだろうか、趣味でそんなにメモ用紙を手に持つだろうかなどと考えながら、秋は繰り返し通り抜けるトンネルと高架線から広がる青々とした田園風景を見つめる。

森の中に突如として現れたかのような徳宿という駅で、二十代くらいの東南アジア系の女性二人と男性一人が一緒に乗り込んできた。この辺りで働くところがあるのだろうかと向かいに座った三人を見ていると、次の新鉾田駅で彼らは降りていった。新鉾田から北浦湖畔にかけてはたくさんの大きなビニールハウスが車窓から次々に現れた。さっきの三人は農業をしに日本にやってきているのかもしれないと思いながら、今どのあたりを列車が走っているのか知りたくて地図アプリを立ち上げると、通りにはメロンロードと書かれていた。
列車はガタンゴトンと定期的なリズムをきざみながら走り、止まる前にはリリーンとベルが鳴り響き、チックタックと車の方向指示器のような音がする。

鹿島神宮駅に着いた。せっかく来たのだからと駅の観光案内所の女性に鹿島神宮までの行き方を聞いた。駅のロータリーには数えるほどの人しか居なく、タクシーが数台止まっていた。そのロータリーからまっすぐに伸びた、少し黒みがかった煉瓦色のゆるい坂道を上る。上りきったところで左へ曲がると、景観が損なわれないように整備された町並みが続く。

しばらく歩くと大きな鳥居に辿り着く。神宮の門をくぐると本殿が右手にあり、参拝してから大きな杉の木に囲まれた参道を歩く。子どもを連れた若い夫婦、恋人たち、年配の夫婦がそれぞれに会話をしながら歩いている。砂で覆われているグレーの地面はしっとりとしていて踏み心地が良い。その地面に大きな木漏れ日の模様が映る。足元を見つめると、今ここに居るという自分が客観的に見えた。

その先にはフェンスで囲われた敷地があって、餌を持っている人たちの前で十数頭の鹿がフェンスから口元を突き出して群がっていた。鹿の匂いがその辺り一帯に漂っていた。さらにその奥へ進むと奥宮があり、参拝しようとしている人たちの列に加わった。
秋は、世界の平穏と自分の周りにいる大切な人と自分自身が穏やかに暮らしていけますようにと祈った。それから、さらにその奥にある要石のある場所へ向かった。柵に囲われた敷地に、地中深くまで埋まっているという石の一角がほんの少しだけ地面から現れている。その周りには賽銭が散らばっていて、秋の前に参拝している男女が、あの石の上に載せようとみんな投げてるんだね、と言っていた。秋は無意識にその石の上を目掛けてお金を投げたが、ものの見事に要石に当たり跳ね返されてしまった。石から遠くに落ちたお金を見てなんとも言えない気持ちになったが、石の上に載せられることの方が稀であると気持ちを切り替えた。

参拝を終えて駅まで戻り、タクシー乗り場に向かう。運転手二人がベンチに座って、煙草を吸いながら話しをしていた。
「神栖駅までお願いできますか?」と尋ねると、手前に座っていた小柄で日に焼けたしわくちゃな顔をした男性が、「あれ、あれ、神栖駅? ってどごだっげ?」と隣りにいる背の高い男性運転手に聞いている。
秋が「今は旅客列車の駅ではなくて、貨物専用の駅なんですよ」と伝えると、背の高い男性が「建材の倉庫の先にあるところだな」と言って、小柄な男性が「ああ、あそごが」と言いながら秋をとタクシーに案内してくれた。

秋が運転手に「神栖駅ではタクシーないですよね? 少し駅の様子を見たら、ここまで帰って来たいんですけど」と尋ねると、「ないねえ。暇だし、いいですよ、待ってますよ」と言ってくれた。駅を出て大きな通りに出ると、ほとんど建物は無く殺風景な風景が広がった。
「たまに番地とか言われっどわがんなくってね。今はみんな携帯でナビを見せでくれっから助かっけど」と運転手が言うので、ダッシュボードを見るとナビが付いてなかった。

倉庫が立ち並ぶエリアに入ってしばらく走ると、タンクローリーが並ぶ敷地が見えてきて神栖駅に着いた。
広大な敷地の中にいくつもの線路があった。その先にある敷地まで道路沿いを歩いて行くと、敷地にはコンテナや車両があった。そこには稔が話していた貨物コンテナ貨車が停まっていた。休車となった古いディーゼルカーやそして貨物用機関車の車庫が見える。

コンテナの積荷作業を見守っている若い男性と大柄な中年の男性の姿が目に入った。若い男性が、道路からずっと敷地を見ている秋に向かって手招きをしている。秋は敷地の入り口へと向かった。入り口の前で、彼が丁寧にお辞儀をしてくれたので、秋も深々と頭を下げた。
「ロケハンですか?」
「え? あ、違います」
「そうでしたか、最近、映画やドラマのスタッフがよく訪ねてくるものでしたから」と優しく話しかけてくれたので、秋は思わず、「中に入って見学させてもらえるのでしょうか」と尋ねると、男性は口元に人差し指を立ててウインクをした。
「私の名前は黄文安(ホアン・ヴァン・アン)と言います。鹿島港からの海上コンテナを運ぶ仕事をしています」と彼が自己紹介をしてくれたので、「あ、私の名前は水澤秋といいます」と姿勢を正して改ためて挨拶をした。安さんは作業の邪魔にならない位置からなら大丈夫と言ってくれた。

敷地内では大きなトレーラーやトラックが行き来している。大型のフォークリフトがコンテナを持ち上げて、くるりと方向転換して列車ぎりぎりまで近づいてえんじ色の箱型のコンテナを列車に固定している。積み込み作業が終わると、コンテナの両側から駅員が二人一組で扉が閉まっているかどうか点検を行っている。

安さんは技能実習生として日本に来て、板金加工の訓練を受け、金属加工をしている工場へ就職したのだが、工場閉鎖に伴って仕事を失い、地元の求人誌を見て現在の運送会社へ就職したらしい。転職活動に本腰を入れることができない秋にとって、親子ほどの年の差もありそうな安さんが、外国の地でたくましく仕事を探し、笑顔で働く姿を見てそのパワーの源はどこにあるのか知りたくなった。
「鹿島臨海鉄道乗ってきたんですか?」
「はい、自然が豊かでとても癒やされました」
「そうですよね、なんとなく私の故郷を思い出す景色で、私もこの鉄道が好きです」
「どちらの出身なんですか?」
「ベトナムのホイアンという町です、ちょうど私が生まれた年に世界遺産の町になりました」
「素敵な町なんでしょうね。どんな町並みなんだろう」
安さんはスマートフォンを取り出し、写真を見せてくれた。川沿いに並ぶ瓦屋根と黄色い壁の家々が連なり、その古い町並みはどこかノスタルジックな雰囲気があった。
「ホイアンは、昔は東南アジアで重要な貿易港で、インド、中国やオランダ、ポルトガルからも船が来ていたんです」
「そうなんですね! ホイアンにも鉄道が走っていますか?」
「ホイアンに駅はないんですが、ホーチミンという都市からホイアンの近くの都市ダナンまで走る列車があります。そこから見える景色はとてもきれいです。ダナンからバスかタクシーでホイアンまで行きます」
「なんだかとても行ってみたくなりました。安さんはどうして日本へ来ようと思ったんですか?」
「子どもの頃に見たアニメで日本に興味を持ちました。そして、ホイアンも昔は日本街があったと聞いていますから、とても興味があったんです。それで、わたしは日本という国へ行ってみたいと子どものころから思っていたんですね」
「なんだかとても嬉しい気持ちになります。それで住宅様式がどことなく日本の家屋に似ているんですね」
「これ、わたしの祖父母の家です」と安さんが見せてくれた画像には、濃紺の瓦屋根の平屋の前に三世代の家族が立っていた。
「日本に来て、言葉や生活様式はもちろん、働く条件とか大変なことはたくさんあるでしょうけれど、こうして転職をしてしっかり働いていて尊敬します」
「いえいえ、大したことはないです」
と安さんははにかんだ、謙遜する日本人らしいやりとりもしっくりくるほど、日本の文化に溶け込んでいた。そして、真剣な眼差しをして続けた。
「おばあちゃんが、辛くなったら、またいつでもここに戻ってくればいいって言ってくれました。おばあちゃんはベトナム戦争を体験しています。当たり前だった価値観は突然消えてなくってしまうこともあるって言っています。だから、わたしには自分とは違う価値観を持った人たちと触れ合ってほしいって思っていました。みんな同じ考え方をする、そういうことのほうがおかしいっていいます」
その言葉を聞いて秋は、自分の価値観についてちゃんと考えたことがないことに気付かされた。

秋は鹿島神宮駅から鹿島線で佐原駅まで行き、そこから成田線と総武線を乗り継いで地元の駅に戻った。
駅から自宅までの商店街にはいくつものもんじゃ焼き屋が立ち並ぶ。老舗の店に入ると、月曜の夜ということもあり観光客はほぼいなかった。塩ダレキャベツと店の特製もんじゃを注文する。

安さんのおばあさんが言っていた価値観が変わってしまうということはどういうことなのだろう。
これまでの環境ががらりと変わってしまったらどうなるのだろう。
言葉や考え方が制限されるということはとても生きにくいだろう。

想像が上手くできない。秋は五年付き合った光希の価値観を理解できないと別れを告げた。一つのことに集中すると夢中になり、何も見えなくなってしまう光希が羨ましくもあり、反面、理解ができなかった。気持ちを表現することが上手くできない光希と暮らしていく未来が想像できなかった。価値観が合わないといって、分かれる人たちは山ほどいる。光希は秋に何かを望むことはなかったのに、秋は光希の大切なものを認められなかったのではないのだろうかと思った。

夜風に吹かれながら川沿いの道を歩いて、真っ暗な1LDKの部屋に戻り灯りをつけた。二人がけのダイニングテーブルにリュックを置いて座る。半年前までは当たり前のようにこのテーブルで夢中になってパソコンに向かっている光希が座っていた。ベランダに出ると、重い湿度を含んだ空気が秋にまとわりついた。
(了)

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