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青い瓦屋根の家①

白い外壁に青い瓦屋根の家が太平洋の海を眺めるようにそびえ立っている。石垣の上に建つその家は、白くて高い塀で囲われていて庭の様子も家の窓も見えない。一階のガレージには、少し色褪せた白と赤の太めのストライプ柄の店舗テントが大きく張り出している。

海開きにはまだ早く、繁忙期を過ぎた観光地にある喫茶店のような佇まいだった。土産物屋と喫茶店が併設されているつくりで、正面に向かって左側に石段があり、門柱にある表札には「関根」と彫られている。

店の周りをうろついている不審者とでも疑われたらどうしようと思ったその時、ガレージの奥のガラス扉を開けて大柄な男性が出てきた。もじもじとした動きで、斜め下を見るように頭を傾げているその男性は、こちらの様子が気になっているようなのだが、どうもこちらには近づいて来ない。

年齢は秋と同じ四十歳前後くらいに見える。「こんにちは」と秋がその男性に声をかけると、子どものように無邪気な微笑みを見せた。秋は張り詰めていた気持ちが少し解れたように感じた。「珈琲は飲めますか?」と聞くと、その男性は、頷いて店の入口を人差し指で指した。
店に入ると、国道に面した窓側に少し高めのカウンター席があったのでそこに座った。東京湾とは違って、深い青色のその海は生き生きと太陽の光を浴びて動いている。

小柄で猫のような顔の年配の女性が、甲高く少ししゃがれた愛嬌のある声で「いらっしゃい」とお冷をテーブルの上において微笑んだ。先程の男性の母親だろうか、目元が似ている。
「ブレンドコーヒーをください」
「はい、ブレンドコーヒーね」
「このお店の作りはお城みたいですね」
「そうでしょお、主人が見晴らしのいい家を建でたいって、こんなへんてこりんな建物になっちゃったんだけどねえ」
お城のような家がこの女性の自宅らしく、この人が関根さんだと分かった。

「立派な瓦屋根ですね」
「主人の同級生が瓦職人でお願いしてやってもらったんだけどね、今は主人もその同級生も亡ぐなっちゃったんだげどねえ」
「わたしの住んでる街では瓦屋根を見かけることがなくって、なんだか懐かしい気持ちになりました」
「あらあ、どちらからいらっしゃったの?」
「東京です。つくばに用事があって来たんですけど、なんだか海が見たくなって、バスと電車を乗り継いで来ちゃいました」
「あらあ、長旅だったねえ。どっかこのあどいぐんですか?」
「特には決めてないんですけど、このあたりでおすすめの景色のいいところってありますか?」
「そおねぇ、この時期に鹿島線に乗って見る夕陽は、水田に反射してきれいだげんとね」
「そうなんですね。ありがとうございます」

店の外に居た男性は、秋と話したそうに店内を行ったり来たりしている。店の奥から「ひかる! ほら、こっちきて」と関根さんの声が聞こえた。
秋は「こんにちは。ひかるさんておっしゃるんですね」と男性にあらためて声をかけると、数回頷いてくれた。恥ずかしそうにしながらも、まだ、観光客が来ないこのシーズンに来る客と話したいという好奇心が垣間見えるひかるを見ていると、秋は話しをしてみたくなった。
「浜辺を散歩してみようと思うんですが、ここからどっち方面に行ったら浜辺に入る入口がありますか?」
「ん、よがったら案内します」とひかるがゆっくりと静かに答えた。
「ほんとですか? そしたらお言葉に甘えてお願いしてもいいですか」


お会計を済ませて店を出ると、ガレージに並んでいる自転車を借りた。国道方面に出て、横断歩道を渡り海岸に沿った側道を左へ進む。ひかるのあとをついてしばらく進み、美術館の横の道を曲がると広い砂浜が目の前に広がった。そしてその先の岩の上にある鳥居が波しぶきを受けていた。

自転車を止めて、ひかると砂浜を歩いて海辺に近づくと、秋は両腕を広げて大きく息を吸い込んだ。空を仰ぐようにしてしばらく目を閉じて、体に染み込んでいく潮風を感じた。

秋は、外資系の化学品メーカーへ十年前に派遣社員として勤務して、無我夢中で働き、正社員になれた。文系の大学を出た秋は、理系出身者の技術系社員のアシスタント業務を行ってきた。穏やかな人柄の先輩社員に囲まれて、ストレスもなく仕事ができていた頃が遠い昔のように感じられた。三年前に着任した部長は、アジアパシフィックを統括する外国人の上司には受けが良かった。上司へのパフォーマンスはうまいのだが、現場では独裁的に振る舞い、秋以外の社員もやりにくさを感じていた。

文系出身の秋に、会社が扱う素材の分析業務が加わった。知識が無いながらも、調べながら業務をこなしたが、秋の作る成果物には限界があった。作成するにも時間がかかり、目標もその上司が勝手に決め、一番低い評価をつけられて、能力不足という理由から退職に追いやられた。

就職活動をしなければならないのに、やる気がでない。少し前の自分と上司のことを考えると苛立ちさえも起きない。退職後、無感情のまま、ただ時間は過ぎて半年が経った。

会社が退職と引き換えに用意している転職支援サービスなるものを利用したものの、担当コンサルタントの橋口さんとオンラインで面談をする度に、何もできていない自分が嫌になる。口から出てくる言葉は、申し訳ありません、だけだった。

秋より少し年上くらいに見える橋口さんは、「水澤さんのペースでゆっくり、まずは自分の時間を過ごしてくださいね」と笑顔を見せてくれるが、そんな明るいコンサルタントのオーラに触れる度に、やる気の出ない自分のくすんだグレーのようなオーラがパソコンの画面からも伝わっているのではないかと憂鬱な気分になる。
「前職の会社にご勤務される前はどんなお仕事をされていらしたんですか?」と聞かれ、二十代後半でアメリカへ留学したことを話した。
「わあ、行動力ありますね!」
「はあ、まあ、大学を卒業したばかりの頃は、友だちを旅行に誘って、私がプランを立てたりしていました。最近はそういうこともしてないですけど」
「最近はどんな風に過ごしていらっしゃるんですか?」
「働いている時は忙しくて、自炊もあまりしていなかったので、時間のある今丁寧な暮らしをしたいなあと思っているんですが、だらだらと過ごしてしまってます」
「ゆっくりとする時間、何もしない時間も今は必要だと思いますので、焦らず過ごしてくださいね」

そんな風に、何もしない自分を肯定してくれる橋口さんの言葉が心にすっと入ってこなくて、何も行動を起こせない自分に悶々とした日々を過ごしている。
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