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青い瓦屋根の家③

「水澤さん、海外へ留学したことあるっておっしゃってましたよね?」
「はい」
「その時は何か変わりましたか?」

大学を卒業して三年ちょっと勤めた会社を辞めて、自分の好きなことをしようと思い切ってアメリカのコミュニティカレッジへ留学をしたのだった。
開放的な気持ちになって、初めてアメリカを訪れた自分はとても興奮していたし、気持ちが大きくなっていた。一歩踏み出した自分が何者かになれる気持ちでいっぱいだった。具体的な夢や目標はないけれど、自分は変わっていくのだという確信を持てたのは環境のせいだったかもしれない。
その時、これまでの環境では出会えなかった人とも会えた。秋と同い年の立山光希とはアメリカのコミュニティカレッジで出会った。

光希は日本国内では人とコミュニケーションをとることに限界を感じて、アメリカでクリエイティブの仕事をするために留学をしていた。

「日本人てさ、空気読まないと生きていけないでしょ。俺それは無理。言葉で自分の思ってることはちゃんと言ってくれたらそれなりに俺だってやっていけるって思ったよ。やっぱこっちは俺には生きやすい。日本って文化は俺みたいにな人間には合わないな」と光希は言った。
コミュニティカレッジを卒業後、アメリカの四年制大学でクリエイティブを学び、映像制作のボランティアスタッフをしながらクリエイティブのフリーランスとして働いていくことを模索していた。正規の仕事に就くことができないとフリーランスとしてはビザを取ることが難しく、やむなく帰国したのだった。

帰国後、秋と連絡を取り、付き合い始めた。正社員として大手外資系企業でウェブマーケティングの仕事に就いていたが、上司から広告宣伝ツールの制作への理解が得られなかった。ウェブマーケティングとクリエイティブ制作をしていて、クウォリティにこだわるあまりに休みも無く朝から晩まで働いたが、自分の制作したクリエイティブ作品が海外で受賞したにもかかわらず、なんの称賛も得られなかった。アーティスト志向の光希にはそのことが受け入れがたく、会社を辞めた。
仕事を辞めた光希は秋のマンションでひたすら制作に没頭し、就職することはしなかった。それが原因というわけではないが、秋は半年ほど前に、勤めていた会社から退職勧告を受けた際に、光希の価値観が理解できず別れを選んだ。

「確かに、考えた方が少し変わったのは環境を変えたからかもしれませんね」
「そうなんですよ! 自分を変えるには、環境、時間配分、出会う人の三つを変えることが大切なんですって」
と橋口さんが笑顔で話してくれたことを思った。

今、見知らぬ土地で初めて出会ったこの人たちと一緒に過ごすことで今の自分を少し変えることができるかもしれない。
「こんばんはー!」と玄関先から女性の声がした。「あ、よしいちゃんたちも来たがな」と関根さんが居間の方へと向かった。
中学生くらいの男の子とその母親らしき女性、それから関根さんのお友達らしきご夫婦が居間から台所の方へ顔を出した。
「お友達のよしいちゃんと次郎さん、それから春美さんと航くんね」
と関根さんがご家族を紹介してくれ、「さあさあ、肉持ってぐから、座って座って」とみんなでちゃぶ台を囲んだ。

稔さんが盛り付けた刺し身を持ってくる。朱色や金など鮮やかな色使いで花が描かれた大きな丸皿には、薄いピンク色をした刺し身が盛りつけられている。食べてみると脂がほどよく乗っていて甘みがあった。
「おいしいです、初めて食べました」
と秋が言うと、稔は「イシモチは釣ってすぐに血抜きしておくと美味しくなるんですよ。関根さんが生きていたころに明け方、船頭さんが沖に出す船に一緒に乗せてもらってからずっと、夏は沖釣りしてるんですよ」と教えてくれた。
「お父さんは釣りが好きで次郎さんと毎週のように釣りに行ってだもんねえ」と関根さんが次郎さんに向かって話すと、「んだなあ、はあ、俺はもう、沖さはこわくていげねえけんとね」と笑った。
「一男さんが生きてた頃は釣った魚をさばいてっと、同級生がよく集まって来てだよね」
とよしいちゃんも懐かしそうに話す。
「今は、稔さんが釣りたての魚さばいてくれっからそれが楽しみでね」と関根さんは嬉しそうに春美と稔を見た。
「航くん、育ちざかりなんだから、いっぱい食べてね」と関根さんは、ホットプレートで焼いた肉を航の取皿に乗せる。航は、皿を持ってかき込むようにして肉を頬張る。春美は航の肩に手を置きながら、「かえっていつも、ごちそうになってこちらこそありがとうございます」と関根さんにお礼を言った。
「航は肉が好きなんだもんね」
「うん!」
食欲旺盛な育ち盛りの子供がいると食卓が華やぐ。

秋が鹿島線から見た景色に感動したことを話すと、稔は高校を卒業して鹿島臨海鉄道に就職し、三十年近くになるという。
「鹿島線が水戸駅から鹿島神宮駅まで旅客列車になったのはつくば科学万博があった年なんだよね。俺はそん時はまだ小学生だったんだけど、高校ん時、同級生と鹿島線に乗って大洗に遊びに来たんだけど、そん時の帰りの夕焼け初めて見たとき、すっげー感動しましたよ」
「そうだったんですね!」
「なんもねえ、だだっ広い田んぼだらけの上を電車が走っていくのも気持ち良がったなあ」
「その風景にとても癒やされました。稔さんはそれで、この鉄道会社に就職しようって決めたんですか?」
「そおだねえ。大学は行くつもりながったし、でも何すっかなあって考えたら、特にやりたいごどもないしねえ、就職先を探してる時期に、あの風景を思い出したんですよね」
「鉄道会社ではどんな業務があるんですか?」
「今は大洗駅で働いてるんですけど、貨物営業部で神栖駅で働いてた時期もありますよ」
「貨物営業部?」
「鹿嶋港の発着の荷物があってそれを運ぶコンテナが神栖駅の広大な敷地にあるんですよ」
「そういう仕事もあるんですね」
「そうなんですよ。配属されるまでは全くイメージつかなかったけど、運転士や車掌の仕事とはまた違って、世界とつながってる仕事してるっつうか、なんかスケールの大きさを感じられたかな」

それから、稔さんは、鹿島臨海鉄道の歴史について語ってくれた。昭和六十二年に国鉄が民営化されて鉄道貨物輸送の見直しが図られたことによって、鹿島臨海鉄道の貨物量も増加していったこと。神栖駅は五トンを超える荷物も乗せられる二十フィートコンテナがあり、海上コンテナの輸送にも対応できること。東日本大震災の時は神栖駅や本線に津波が襲い、全線不通となる壊滅的な被害を受けたが、三ヶ月後には完全復旧し、今では震災前と同様に、地域の物流を支える貨物輸送のローカル線として鹿島臨港線が毎日運行していること。
それを隣りで聞いていた春美が気を遣って、「そんなに一気に語られても訳わかんないよね」と笑って、「ソファで一服しよっか」と秋に声をかけた。
二人がけのソファに並んで座り、白いデイジーのような花がプリントされたグラスで麦茶を飲む。

「秋さん、お肌きれいだよね。おすすめの化粧品とかあったら教えてほしいなあ」
「あんまりファンデーションも塗らないですし、めんどくさがりで詳しくないんですよね」
「へー、逆になんにもしない方がきれいになれるのか。アタシよりは年下かな?」
「今年四十二になります」
「アタシの五つ下か」
「私は結婚もしていないし、子供もいないので、春美さんには家族がいて羨ましいです」
「アタシは逆に、全部自分の思い通りにできる時間があるってすっごく羨ましいよ」
「お互いないものねだりかもしれないですね」
と笑い合った。
「茨城にはよく来るの?」
「初めて来ました。つくばに元同僚が住んでるんで、久しぶりに話しをしたくて」
「そうなんだ、で海を見に大洗へ来たんだね」
「はい」
「リフレッシュできた?」
「うーん、海はきれいだし、すごく気分転換になりました」
「それは良かった。こうしてまた少しずつ人と会えることができるって、今まで当たり前のことだったけど、すごい大事なことだったんだなって思うよね」
「ほんっと、実感しますね。実は、今、就職活動中の身なんですよ」
「どんな仕事探してるの?」
「これまでは外資系の化学品メーカーで研究員補助業務をしてきたんですけど、この年齢で資格も何もないのに事務の仕事なんてないよなあって」
「茨城は三十過ぎたら正社員の仕事とかなかなかないけどさあ、都内とかなら会社もいっぱいあるし、ありそうじゃない?」
「正社員は、四十過ぎて専門スキルが特にないってなるとなかなかむずかしいですね。自分は何ができるのかさっぱりわからなくて」
「うーん、まあねえ、私は市場でパートの仕事をしてるんだけど、お金はそんな稼げなくても働いてて楽しいんだ」
「働いていて楽しいっていいですね」
「何か好きなこととかやってみるとか」
「これといって趣味は無いしなあ。絶賛自分探しの旅をしています」
「そだね、人生長いんだし、焦らずいったらいいと思うよ」
「ありがとうございます」
「そだ、ひかると同い年だね」
「あ、やっぱり」
「もう話ししてるの?」
「自転車で浜辺まで案内してもらったんです」
「ひかるはいいやつなんだよね。人懐っこいでしょ」
「思わず私から声をかけて、案内してくださいってお願いしちゃいましたもん」
「うんうん、いいやつなんよ」
と嬉しそうに頷く春美の横顔を見て、都会では浮いてしまうものを田舎では包み込んでくれる何かがあるように感じた。
「大洗の先に阿字ヶ浦ってきれいな海があるんだよ。案内するから、また良かったら遊びにきてね」
春美の言葉が秋の心を温めてくれた。秋は神栖駅を見たくなった。

              →次回、最終回

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