noteが続かない人、書きたいことがあるのに書けない人は、結局「考える」が足りてない。
こんにちは!
来る6月2日(火)の夜に、おとなの寺子屋主宰のワークショップを行います。今回はそのご紹介がてら、「書く」と「考える」について、「考えた」ので、「書いて」みます。
※ワークショップの詳細はこちらから。
https://peatix.com/event/1487169/view
書けないのはなぜか?
いざエッセイを書こうとしても、ついただの身辺雑記になってしまったり、今日あったことなどをつらつら並べるだけになってしまい、自分でもどうも面白くない。。。
書きたいことはあるのに、言いたいことはあるのに、どうもうまく書けない。。。
そういうことって、ありますよね。
なぜでしょう?
たいていの場合、その理由は「考え」が足りてないからです。言いたいことが煮詰まっていない。
書きながら考えるのはありか?
いや、わかります。わかりますよ。
書きながら考えるスタイルもあります。書いているうちに見えてくる。思いもしなかったところに、着地する。
それも「ものを書く」ことの醍醐味です。
でも、そのスタイルだと書けないのであれば、ほかのことも試してみる必要があります。当たり前ですが。厳しいようですが。
考えが浅いから書けない?
書くと考えるはセットです。
書けないのであれば、とりあえずもっと考えましょう。
結局自分は何を言いたいのか。最近体験したエピソードは、自分の中の何につながっているのか。
場当たりになってしまいがちな自分の考えを「抽象化」する。
ボンヤリした思いの精度を高める。
普遍的なメッセージ、結局、これが言いたいというところまで突き詰める。
それが足りてないという可能性はありませんか?
考えるってどうやるんだ?
なのですが、次に問題となるのが、考えるって言っても、自分ひとりでうんうんうなってても難しいこと。
机の前でああでもないこうでもない考えてても、考えは同じところを堂々巡りします。1時間考えても、2時間考えても、同じところをさまようだけ。ああ、もどかしい!!!
ならどうするか?
そういうときは、人と話しながら考えるといいです。話してるうちに考えがまとまってくる。人の話を聞いている中で、あ、そういうことだったのか、とひらめく。そういうことってありますよね。
おしゃべりとは違う「対話」
でもさらにここで気をつけたいのが、ただおしゃべりするのとは違うということ。
「人は話しているときは、考えていない」という名言がありますが、自分の考えをぺらぺら話してるときって、意外と頭の中はつるつる空回りして、あんまり深いところまで考えられない。
大事なのは「対話」です。
他の人の話を聞きながら、自分に問いかける。ときには、書くことをやめて、話すことをやめて、発信することをやめて、他の人が次々に立てる疑問・問いに耳を傾ける。
そうやって「なんでだろう?」「どうして私はそう考えるようになったんだろう?」と頭をひねる時間を設けなければ、深くて読み応えのあるエッセイは書けません。
濁っていた水が徐々に澄んでくる。そういう感覚にいたって初めて、その上澄みをすくって、人に差し出すのが、エッセイであり、noteの記事なのだと思います。
書くために対話する
というわけで、来る6月2日(火)の夜に、とことん考えるワークショップを行います。使うのは哲学対話という技法です。
繰り返しになります、目的は書くことです。漠然と考えるのではありません。書くために考える。人と対話をしながら思考を深める。エッセイのネタになるように昇華する。そのための絶好の枠組み・システムこそが、哲学対話です。
noteのアカウントは作ったけど、なかなか続かない人。書きたいことはあるのに書けない人。
2時間、とことん考え続けることで、「書くために考える」感覚がつかめるはずです。
いったん、その感覚さえ身につけてしまえば、以後は、自分で自分に問いながら、自分と対話しながら考えることもできるようになります。
ーー
というわけで。
みなさん、6月2日にお会いしましょう! みっちりと濃く考えるために定員12名となっています。
頭使います。疲れるはずです。でも、その分、得るものはあります。保証します。
※「おとなの寺子屋」は、「書く」ことに対して、いろんな角度から楽しくアプローチする勉強会です。他にはこんなこともやってます。
※6月2日(火)の詳細・申し込みはこちらから。
https://peatix.com/event/1487169/view
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