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哲学対話。それは、書きあぐねている人が”突き抜ける”ための、自由で守られた『思考ゲーム』。

初めて「哲学対話」という言葉を目にしたのは、二村ヒトシさんの投稿でした。

もちろん、最初は哲学?、対話?、よくわからんな、というのが正直なところでした。

哲学対話に参加してみた

ですが、「今日は恋愛について考える」「今日は鬼滅の刃について考える」「今日はカレーについて考える」「今日は推しについて考える」と、毎日のように報告される投稿を見るうちに、おっと面白そうだな、と興味を持ち、参加させてもらったのでした。

コロナで人に会えず、思考と会話に飢えていたというのもあります。

テーマは、「コロナ禍において恋愛はどうなるのか?」というもの。12名ぐらいの参加者で、ある一定のルールのもとで、ああでもない、こうでもない、と話し合います。

それぞれが、考える。考えた結果を、あるいはその過程を、とりとめもなくでもかまわないので、話す。しゃべる。しゃべりながら考える。で、そこかが出てきた疑問をそのまま口にする。

すると他の人が、それを引き取るような形で、あるいは、全然違う角度から「僕はこう考える」「私はこんな経験がある」と話し、語り、問いかける。

それは、これまで参加してきた、ワークショップや懇談会、おしゃべりやお茶会、セミナーとはまったく違う体験でした。

受け身で面白がるのではなく、自分が話す。かといって、自分だけが話して悦に入るのではない。すぐに他の視点が示されるので、それについて考えると、さっきまでの自分の考えが揺るがされる。そういう、正解のない思考に翻弄される体験でした。

とても心地よく、刺激的で、面白かった。あー、これは久しぶりに頭を使った、と。普段の仕事では得られない、頭の使い方だ、と。動かしてない頭の筋肉が動いている実感がありました。

二村さんいわく、

「議論・説得や安易な同調「わかる、わかる」をしないで、「人それぞれだよねー」で終わらせないで、問いを出し合うことで各自が、「一つの脳の神経細胞」のようになりましょう。

とのこと。この、「一つの脳の神経細胞」というのが、本当にそうだな、と実感できたのでした。

哲学対話を企画してみた

興奮さめやらぬ細胞である僕は、すぐに、僕発案のテーマでやらせてください、と二村さんに直訴しました。それが「なぜ人は人のことをほっておけないのか?」というもの。

これには図らずもふたつの意味で取ることができる問いでした。

ひとつは、「なぜ、人は他人のことにあれこれと口を出し、誹謗中傷し、おせっかいをし、監視するのか? もっと自分のことだけを見ていればいいのに」というもの。

もうひとつは、「困っている人を見るとほっておけない。なぜ、つい人助けをしてしまうんだろう。優しさってなんだろう?」というもの。

こうやってスタートの解釈が違うこともまた、「なんでもあり思考ゲーム」の醍醐味です。

で、結果的に、これもとても楽しかった。刺激的だったし、視野も広がったし、自分の考えを伝えられて満足でもあった。

これは、いい、と。僕は膝を打って、確信しました。

これは、思考ゲームとしても、コミュニケーションワークとしても、いいと。

一定のルールのもとで保護された、何を言っても、何を考えても、怒られない、とがめられない、自由な対話空間。これはぜひ、自分でも企画したい。そう思い、イベントを立ち上げました。

https://peatix.com/event/1487169/view



哲学対話ってこういうもの、ふたたび

ところが!

サロンメンバーからは、「うーん、とりあえずやってみてからですね」「哲学対話、ちょっと調べたら、怖そうでした」という、冷ややかな感想。

うう。。。そうか、そうか。ちょっと急だったか。反省、反省。

ということで、改めてこのnoteを書き記した次第です。

ちなみに哲学対話の魅力については、この本が詳しいです。これも面白かった。

https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B07K72CFJ8/

また、以前、二村さんが出演されたイベント(愛と性の哲学対話)では、こう記されています。

哲学対話で、答えのない問いに自分の言葉で向き合う。他者といっしょに語り合う。あなたがあなたを生きるために。
参加にあたって、哲学的な知識は必要ありません。 自分の言葉で語り、他者が放つ言葉に触れる。 自由な発想のなかで生まれる、人との違いに驚いたり楽しんでみる。 あなたの言葉が紡ぐ、軽やかでやわらかい哲学が、あなた自身の人生を愛するきっかけになるかもしれません。

うん。まさに。

これこれ〜〜。

この感覚、興奮を、ぜひ、多くの人に味わってもらいたい。

哲学対話×書く、という試み

そして、考えるだけではもったいない。

と、物書きサロン「おとなの寺子屋」の主宰としては、すぐに欲を出したわけです。

そうやって考えを巡らせた過程・結果を、そのままエッセイとして書けば、noteに書けば、それは、その人なりの思考がきちんと深掘りされた、上質なエッセイになっているのではないか。という仮説を立てました。

なぜなら、エッセイとは、その人の考えを記すものだから。深く考えられた思考は、深い読み応えのあるエッセイにつながるから。

「書けない」というのは、「考えられない」からではないか。

「よい思考」は、そのまま「よいエッセイ」に昇華できるのではないか。

というわけで、今回のイベントでは、哲学対話を行い、その後、エッセイを書いてもらう(希望者には添削も)ことまでを、セットとします。

書きたい人。

書きあぐねている人。

考えたい人。

どう考えればいいか分からない人。

ぜひ、一緒に考えましょう。書きましょう。僕も今から楽しみです。

興味を持たれた方は、こちらをぜひ。

https://peatix.com/event/1487169/view


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