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左利きの悪魔 

ドイツの女性作家リカルダ・フーフ(1864~1947)によると、現代人は悪魔と知り合わなくてはいけないそう。なぜなら悪魔と出合うことだけが、人を未来に正しく導いてくれるから。

あいにく、まだ悪魔とすれちがったことはないけれど、悪魔がハロウィンよろしく尻尾とツノをつけた姿で大手をふって街を徘徊しているとも思えない。じゃあ、と、ある日、襟もとにチャームのように片腕でぶら下がっている悪魔を発見するかも、と、ぼんやり考える。
もしもゲーテのいうように「民衆は、たとえ襟をつかまれていても、悪魔に気がつかない」のなら、そんなことだって起こり得るかもしれない。
いずれにしても、この西方世界の生きものについて、おおよその素性くらいは知っておいてもいいような気がする。でないと、本当に出合ってしまったときに声もかけられないもの。
 
私がかつて暮らしていたニュージーランドの、先住民のマオリ族にとって、右は神様の側なのだという。「右」が生を表すなら、邪悪な天使が住んでいる「左」は死の場所だ。
アフリカ大陸では右は善、左は悪を意味するそうで、ある部族の女性は料理の最中に左手を使うことすら許されていない。夫の顔に左手で触れたりしたら、きっととんでもないことになる。
コーランの世界でも、選ばれた人々は神の右側に、呪われた人々は神の左側にいるという。

英語やフランス語のrightはどちらも「正しい」を意味するし、upright(まっすぐの)、forthright(素直な)にも、右を意味するrightが含まれている。これはたんなる偶然? 
それとも悪魔がいつも左の側に住んでいるのには、なにか特別な理由があるのか。気になる。

そういえば、ギリシア神話のレトがオルテュギア島でアルテミス(月・狩の女神)をデロス島でアポロン(太陽・芸術の神)を産んだとき、レトは右手で雄を表す棕櫚を、左手で雌を表すオリーヴを掴んだというのをどこかで読んだことがある。
さらに調べていたら、「右」と「左」は、それぞれ男と女とに関係づけられることがあるとわかった。両性具有のシヴァの右半身は男の腿、肩、胸をもち、左半身は女の腿、お尻、胸を持っているみたいに。

意味するところが分かってきて、言わんとすることも分かってしまって、おまけに納得もいかない。
なにはともあれ、人の右側は清浄で、左側には恐ろしいものが住んでいる。

左利きと噂のレオナルド・ダ・ヴィンチやルイス・キャロルは二人とも鏡文字を書くのが得意だった。鏡をのぞけば、右利きの私もたちまち左利きの使い手になって、たちまち鏡文字を綴ってみせる。
昔から悪魔や吸血鬼が鏡にその身を映すことがないのは有名で、それだけで異形である。そして、私たちはその異形からけっして逃げられないのだ。

とすると悪魔は、私を見つけるのではなくて、私を映し出すような仕方で私のところにやってくるのかもしれない。もしかすると鏡の中からこちらを見つめるもう一人の左利きの私こそが悪魔だったりして。私自身の内部にいつだって悪意があるみたいに。そして心の奥に棲むその生きものには、リカルダ・フーフの言うように、たしかに尻尾も角も見当たらないのだ。

もし悪魔がいたら、きっと左利きだ。
それだけはきっと、おそらく、事実だと思う。

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