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10. 直島豊島 ④ Christian Boltanski 心臓音のアーカイヴ&ささやきの森(アニミタス)

RIP Christian Boltanski
今年7月、クリスチャンボルタンスキーが亡くなった。享年76歳。

豊島には、彼の作品がふたつある。

一つ目は、豊島の端っこの砂浜の目の前、神社の境内の一角にある、世界中の人々の心臓音を集める小さな美術館<心臓のアーカイヴ>。自転車で行っても、最後は小道を歩いていく。最後の角を曲がると目の前に現れる海とひっそりと立つ焼杉板の建物。ボルタンスキーの希望で建築家は入っていない。
小さな島の外れを選んだのは、たどり着くための長い道程に「巡礼」を重ね合わせているからだという。そして、望んだのは、調和と静けさに満ちた平和な場所、ボルタンスキー自身が、自分の遺灰をまいてほしいと思うような美しい海岸、そういう場所。

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二つ目は、豊島の山の中腹の森林の中、無数の風鈴が静かな音を奏でる<ささやきの森>。最寄りのバス停のある道から30分近く、自分の足で坂と山を登っていかなくてはたどりつけない。
<心臓音のアーカイヴ>で申し込めば、ここの風鈴の短冊に大切な人の名前を残すこともできる。

ボルタンスキーは、<心臓音のアーカイヴ>と<ささやきの森>が、「巡礼の地」のような存在になることを望んでいたという。

<心臓音のアーカイヴ>は、ボルタンスキーの以前からのプロジェクトで、「遠く離れた地に、世界中の人の心臓音が聴ける『図書館』をつくる」というコンセプトのもとに生まれた。これまで世界各地で集められた心臓音に加えて、豊島で集められ続けている。
誰かしらの心臓の鼓動が大音量で流れ、鼓動に連動して電球が明滅するインスタレーションの「ハートルーム」、世界中から集められた心臓音を検索し聴くことができるリスニングルーム、そして希望者が自分の心臓音を録音してアーカイヴに残すことができるレコーディングルームがある。

<ささやきの森>は、ボルタンスキーの<アニミタス>というインスタレーションシリーズの2点目だった。
<アニミタス>は、4点のシリーズ。大量の風鈴を野外に設置した、実際に制作されたインスタレーションではあるけれど、作品としてはそれを長時間にわたり長回しで撮影した映像インスタレーション。
第一作はチリ・アタカマ砂漠(2014年)、第二作が 豊島(2016年)、第三作はカナダ・ケベック(2017年)、第四作はイスラエルの死海(2018年)。 
チリのアタカマ砂漠は、地球上でもっとも乾燥した土地の一つで、星の観測に適しているため、標高5000mの場所には、複数の国の共同運営する巨大電波望遠鏡「アルマ」や各国の天文台がある。<アニミタス>は、標高3600m、先住民のコミュニティから借りた土地に設置された。先住民が報酬として望んだのは、25本のギターとギター教師だったという。
アタカマ砂漠は、ピノチェト独裁政権下で殺害された、何千という「政治犯」が埋められた場所でもある。ボルタンスキーは、この、信じられないような星空の下の、重い歴史を背負った、彼が「魂の墓所」と呼んだ場所に、彼自身の誕生時、1944年9月6日の夜の星の配置に従って、風鈴を配置した。
「アニミタス」とは、チリで、死者を追悼するために路傍におかれた小さな祠のことで、スペイン語の「アニマ=魂」に“小さな”を意味する指小辞を加えた「アニミタ」の複数形、「小さな魂たち」を意味する。
風になる風鈴の音は、その場所にただよう魂のささやきのようでもあり、鎮魂の歌のようでもあり。

この<アニミタス>シリーズの中で、実際に訪れて風鈴をみて聴くことができるのは、豊島の<ささやきの森>だけ。
ボルタンスキーは、このシリーズを「いずれ消滅すべきもの」として始めた。誰もみつけられないような場所につくったし、豊島以外の3つは、もう消えてしまっているだろう、作品が存在した証は、映像だけなのだ、と。
だからこそ、<ささやきの森(アニミタス)>は、<心臓音のアーカイヴ>とともに「巡礼の場所」となる。

<心臓音のアーカイヴ>は、いつか「ボルタンスキーというアーティストによる作品だ」ということは忘れられても、この地が古いお寺や神社のように、巡礼の地となって、祖先の心臓音を聞きにくる、そんな場所になることがボルタンスキーの願いだった。
でも、彼は、こうも言っている。
・・・・数千の心臓の鼓動を持つ日本の豊島について教えて、そこに行くことはできるけれど、実際に行く必要はない、そんな島が存在することを知っているだけでいいのだ、と。彼が残したいものは、物語、寓話、ある種の神話なのだから。

ボルタンスキーのもうひとつの「神話」は、アルゼンチン南部、パタゴニア北部にある。
<ミステリオス(2017)>は、荒涼とした地の果てのような大西洋に面した海辺にたつオブジェを撮ったビデオインスタレーション。<アニミタス>と同様、「風」が作品の一部であり、地球上の二度と到達できそうもない場所に設置され、いつかは消滅する運命にある。
「地の果て」に設置されているのは、クジラの骨と風が通ると鯨の声と似た音を奏でるラッパのような黒いオブジェ。パタゴニアでは、鯨は世界の始源を知る生き物と信じられ、答えのない問いには「鯨に聞け」と言うそうで、黒いラッパは、存在する限り、鯨に問いかけ続ける。

<アニミタス>にしろ<ミステリオス>にしろ、実際に見に行くことは重要ではない、重要なのは、彼がやったことを知っておいてもらうこと、オブジェ自体ではなく、その場所に彼の物語・寓話が残り語り継がれて生き続けていくこと、神話・伝説となること
野外に設置されて放置された作品や展覧会で空間全体として提示した作品は、物としては残らず消滅してしまうだろうけれど、物語は残るのだ。

豊島で録音された心臓音は、2020年12月12日現在で41,793件、これを含めて保管されているのは全世界14か国29カ所で登録された73,893件。
激しい鼓動、力強い鼓動、弱々しい鼓動、安定した鼓動、不規則な鼓動・・・鼓動の強さや速さで電球の明滅が変わるハートルームで聞いたさまざまな人の心臓音の個人差は、衝撃的でさえあった。
そうか、ここにひっそり残しておくか・・・お墓には入らないだろう自分の墓標に、と心臓の音を残してきた。
いつか誰かが、私の心臓音をここで聴いてくれるかもしれない。でも、そうか、実際に聴きにきてくれなくても、ここでひそかに波打つ私の鼓動を思い浮かべてくれるだけでいいのか。
そしてわたしは、自分の心臓の音が、あまりに静かで弱々しくて驚いたのだった。

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