功利主義の理解と実践
功利主義という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
功利主義とは、最大多数の最大幸福-より多くの人がより幸福になること-を目指す考え方です。
代表的な論者としてベンサムやミルがいます。
ベンサムは幸福の量を重視したのに対し、ミルは幸福の質を考慮しました。
私は幸福の質に興味があったので、ミルの功利主義を読みました。
以下では、功利主義について理解したことと実践したことを書いています。
個人的に面白いと思った要点を挙げました。理解の助けになれば幸いです。
道徳を押し付けることは善いことなのか?
功利主義に対して、私が最初に考えたことは、最大多数の最大幸福の理念が理論上は正しいとして、その道徳を他人に押し付けることは善いことなのかという疑問でした。
道徳を他人に押し付ける極端な例として、「時計仕掛けのオレンジ」という映画が挙げられます。
作品の冒頭から、主人公のアレックスが最悪な犯罪を繰り返しており、結果捕まり、ルドヴィコ療法という心理療法を受けることになります。
ルドヴィコ療法は、生理的な嫌悪感を与える薬を投入しながら、暴力行為の映像を見せることで、犯罪に対する条件反射的な不快感を植え付けることで強制的に更生させるという治療方法です。
私はTSUTAYAで初めて借りた思い出の深い映画なのですが、小学校高学年か中学一年の時に見たので、内容に割と衝撃を受けたような記憶があります。
この映画の治療法と似たようなことを、ミルは次のように書いていました。
時計仕掛けのオレンジの中では、悪行が苦痛に結び付けられる治療法としてルドヴィコ療法が実行されるのですが、果たして、ミルがこの映画を見たらなんと言うのでしょうか。
映画の中で、主人公に被害を受けた人間が、ルドヴィコ療法の副作用を利用して、復讐するシーンがあります。
ミルだったら、次の言葉のように、ある程度の復讐と強制治療を理解すると推測しました。
なぜ最大多数の最大幸福が望ましいのか?
功利主義に対して、私が次に疑問を感じたのは、なぜ最大多数の最大幸福が重要なのかということでした。
この問いを考える上で参考になるのが、映画「シン仮面ライダー」における悪の秘密結社ショッカーの理念です。
映画の中で、ショッカーは、「人類の目指すべき幸福とは、“最大多数の最大幸福”ではなく、“最も深い絶望を抱えた少数の人間を救済する”ことである」という人工知能の判断のもと、組織の上級構成員が独善的な幸福を追求する危険な集団として描かれています。
最大多数の最大幸福を採用しなかったショッカーが悪の組織になったことが功利主義の善性を逆説的に証明していると言えるでしょう。
また、悪の思想家ニーチェが、ミルを「鈍物」と馬鹿にしていることからもショッカーが悪の組織たるゆえんを裏付けてくれています。
自分は生活の中で功利主義を実践できているか?
功利主義を読んで、私自身の普段の行動を振り返り、最大多数の最大幸福を実践できているかを振り返りました。
結論から言えば、まるでできているとは言えませんでした。
全体の最大幸福どころか、自分の幸福ですら、最大化するのは難しいです。
自分の幸福の最大化が難しい一つの要因として、こうすれば幸福になれると頭でわかっていても、より低次元の幸福に欲望が負けて、簡単な方に流れてしまうからです。
例えば、早く寝たほうが幸福なのに、夜ふかししてギャルゲーをしてしまう愚かさは、ミルも人間の弱さゆえの過ちとして批判していました。
これを読んで以来、自分の行動を反省し、夜にゲームをすることなく、早く眠るように心がけるようになりました。
つまり、功利主義者としての第一歩を踏み出しました。
さらに、全体幸福を考え、今自分ができることを考え、功利主義者として、「徳」を書いました。
被災に対する共感をして、今は余計な言動を控えて、「徳」を買うことが、重要と考えたからです。
あえて、金額は書いてません。
金額が多ければ偉いのかといったことも考えたのですが、自分の幸福を犠牲にしない範囲で支援することが重要であるとし、金額の大小を他者に対して意識させない方がより功利主義的であろう、という判断でした。
私が最大多数の最大幸福を考える利他主義者になれるかは分かりませんが、少なくとも自分の見える世界の幸福の総量の最大化は基本原理の一つとして採用しようと思った次第でした。
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