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小説読むには心の余裕が必要。「アソビ」を「遊ぶ」ことで見えてくるもの。

アメリカに来て19年。
今ようやく、好きだった作家さんの小説でも読みたいな、と思いはじめている。
忙しかった毎日は、私のそんな欲求をずっと押さえつけていたのだ、と最近になってよく感じるようになった。

好きなことを楽しむには、人生に余白がないとダメなんだなって、思っている。

ずっと毎日忙しかった。

アメリカ生活のはじめの4年間は、大学院での勉強と日本語を教えるTA(teaching assistant)のお仕事で多忙だった。自分の時間が極端に減った。余裕がなかった。10円ハゲもできた(苦笑 睡眠時間を削りながらの生活だった。4時間睡眠の日々。

それでも、その時の婚約者(現在の夫)との生活は楽しかった。

お金も時間もなかったけど二人とも学生でいろんなことを話したし、いろんなところに行った。いろんな人と友達になれたのもこの時期だった。レスキュー犬を飼いはじめ、この犬は私たちの「はじめての子ども」になった。

その後、結婚して、就職して、子供が産まれて、私は専業主婦になった。

育児が始まると、見かけを気にする余裕はない。学生時代、再び、だ。おしゃれも、化粧もない。一人でゆっくりシャワーに入れる日は、なんて贅沢な時間だろう、と心震えるほど(笑)夫は仕事が忙しく、私は日本で俗にいうワンオペ育児をしていた

アメリカ人のママ友からは、「夫育てをしないとダメだよ!」と言われ、そんな心の余裕もないまま、あっという間に過ぎる毎日。うるさく言うアメ人のママ友とは距離を取るようになった。代わりに、価値観の似ている日本人のママ友が増えた

夫婦のカップルセラピーに行くようになったのもこの時期だった。夫の仕事による多忙&人間関係のストレス、私の育児の肉体的、精神的ストレス、二人の時間の激減、などなど、どの夫婦でも経験するだろうこういった日常の変化が、私たちの関係を蝕んでいった。

ただ、効果はあまり実感できず、毎回のセッション代がバカ高いため(150ドル=約1万5千円)一ヶ月でやめた。

夫と二人で、共通敵(セラピスト)を見つけ、めちゃめちゃ文句を言った。アドバイスが役に立たない、だの、あの人は私たちのことを何もわかろうとしていない、だの。

二人の団結力が深まったことは良かった、のかもしれない。お金を払った価値は、そこにあったのか。共通敵を作るだけで、月600ドル(6万円)はかなり高価だと思うが、夫婦仲に少しでも上昇気流が流れ込んだのは、幸いだった。

この頃は、ただただ、目の前にいる子どもの一日一日を無事に送らせることだけに集中していた。

本と私とアソビ

22歳でアメリカに来る前は、本がとても好きだった。少ないお小遣いは、毎月書籍に使った。だけど振り返ってみれば、本を愉しむ時間も、心の余裕もないまま、この10何年過ごしてきたことに気づく。

育児書と料理健康本は読んでいたけれど、小説を読むのには、余裕がなさすぎた。ゆっくり座って、この本が終わるまで一気に集中できる時間を見つけることができなかった。いや、時間はあったのかもしれない。でも、心が何かと落ち着かず、小説を愉しむ気分になれなかったのだ。

心から味わえないのなら、好きな作家さんの言葉一つ一つを噛みしめるように読むことができないのなら、小説を読むなんてもったいない、そんな気持ち。ちょうど、高級レストランで食事を楽しみたいけど、一口一口を味わえないのなら、もったいなくてレストランに行くこともできない、みたいな。

今年、子どもたちは12歳と10歳になった。だいぶ自立して、遠くから見守る仕事が増えた。

今ようやく、私の生活にもだいぶ余裕ができてきた気がしている。好きだったことを再開しよう、そういう気分になっている。

毎日を楽しんで生きていくには、
「間」というものが、思ったより重要なんじゃないか、
と最近思っている。

スピーチをするにしても、聴衆を惹きつけたいときは、「声」ではなく、「間」を使う。それはちょうど、いつもうるさく怒鳴っている小学校の先生が、真剣な顔で何も言わずに教壇に立っているときの雰囲気に似てる。

「間」というのが、日本建築や、日本的ミニマリズムのインテリアには欠かせないように、茶道や剣道の間合いにも、同じように大切だ。

最近習いはじめた書道も、「黒の線を見せるのではなく、空白の白を見せることを考えなさい」と言われている

「音」があるから「無」がある。「無」があるから、「音」が際立つ。

大袈裟だけど、
この「音」と「無」の関係性を、私は勝手に宇宙の真理に近い感じ、
と思っている。

日本の大工さんが日本家屋を建てるとき、木材の間にいい具合の隙間をあける。これを「アソビ」という。

大工さんは、「物事には何事も、アソビがないといけない」という。

これも、私の思ってる、宇宙の真理、に共通している。日本家屋を建てるときも、人生を生き抜いていくにも。

「アソビ」を楽しんで、「遊ぶ」ことで、
忙しさで視野が狭くなっていた私の人生は、
また別の顔を見せてくれるのかな。

「間」「アソビ」「余白」「ひま」、こういったコトバたちを大切に、その特別な時間を意識的に確保し、守っていく。

それって案外、大切なことなのかも。そう思っている木曜日。