「現場と経営を繋ぐ配管が腐っていた」
多くの組織で、経営陣が改善に向けた取り組みを講じている。
しかし、思うように現場が反応してくれないということがよくある。
なぜか。本書には以下のような記述がある。
「現場が腐っていたわけでもなければ、経営が怠けていたわけでもなく、現場と経営を繋ぐ配管が腐っていた」(P121)
現場サイドは「経営陣はろくに俺たちの話を聞かず、ズレた取り組みばかり考える」と言う。
経営サイドは「現場は全体観を欠いており、自分に都合の良い考えばかりしている」と言う。
こういった「どちらとも」の思い込みが誤りであり、問題は、現場と経営を繋ぐ「配管」にあると喝破している。
「腐る」という表現は面白い。
私はよく思う。「流れが停滞すると必ず腐る」と。
つまり、ここでも何かが流れず停滞しているのだ。
それはなんだろう。
それは「目的の意味」ではないか。
著名な本の中でも、目的の重要性は「腐るほど」繰り返されている。
そしてその重要性は疑うべくもないものに思える。
私がこの本で気付かされたのは、
ある特定の目的であっても、一人ひとりによって「目的の意味」が違う
ということだ。
客観的に見てどれほど重要な目的であったとしても、それが「私」にとってなんらかの意味を持たなければ、「私」の能力やモチベーションは引き出せない。
そんな状態では、連携体制は十分なものにならない。
例えば、食用の昆虫を研究することがこれからの地球社会にとって非常に重要であったとしても、どうしても関心が持てない人もいるだろう。
仕事を仕事として割り切って取り組む人もいる。
一方で、高い使命感を持って取り組む人もいる。
この、「個人的意味」の違いを忘れてはいけない。
私がいる行政組織でも、何かと「業務改善」というワードは出てくる。
しかし、仕事を仕事として割り切っている人も多い。
そういった人に自己研鑽を迫っても、当人の人生にとって意味が感じられないので効果は上がらない。
ではどうするか。
1人の人間が仕事に「個人的意味」を見出し、自分なりの目的を持つことを、
「その人が携わる仕事において主人公になる」
と本書では表現されている。
そして、「部下が仕事のナラティブにおいて主人公になれるように助けるのが上司の役割」だとも述べられている。
「実は主体性を発揮してほしいと思うことは、こちらのナラティブの中で都合よく能動的に動いてほしいと要求していることがほとんどです」(P124)
手厳しいが、核心を突く洞察だ。
まとめ
本書では、思い込みや前提を保留し、お互いの「見方」を交換し合うことで対話を進めていく実践的なメソッドを詳しく紹介している。
私たちは、「自分にとって現実だと思うストーリー」を生きている。
それが私にとっての「意味」であり、それが思い込みや前提の正体でもある。
しかし、複数人が「意味」を共有したら、どうだろう。
より多くの人に共有されるほど、その意味に実態や現実感のようなものが付与される。
(宗教がイメージしやすい)
そして、
意味は対話によって共有される。
宗教も、それを信じる人がまだ信じていない人と対話し、お互いの見方を交換した結果、広まっていった。
このプロセスは、こうも言い換えられる。
「対話が現実を更新する」
例えば現代課題の筆頭にあげられる環境問題にしても、
「なぜ今、環境問題に目を向けなければならないのか?」
「なぜ今、私たちは行動を起こさなければならないのか?」
という「意味」を共有していくことが必要だ。
それは直接的な対話はもちろん、SNSや動画といったメディアを通じても行われるだろう。
(SNSや動画においても、私たちが自分の心の中で「対話」をするようし向けるものがある)
「対話」というプロセスを通じて、望ましい未来を現実のものにする。
まさに、今これから必要な知識と技術だと思う。気になった方には、ぜひ直接手に取っていただきたい。
●書き手 綜一
滋賀県庁職員。児童虐待・児童養護施設を担当時、行政の重要さを実感。意欲的に仕事をした結果、「あなたみたいな人が県庁にいて本当によかった」と幾度か言っていただいた。その経験から、県庁職員も県民もハッピーになれる働き方を模索し始めた。施設担当時作成したインタビュー記事「Sai」も掲載