見出し画像

「雑感」を記す —コンビーニングに参加して/診療所的

飯山 由貴(美術作家)
撮影:冨田了平

《会話》

2022年12月10日、関西の精神病院で数十年看護助手をしている女性の話を聞く機会があった。彼女は自分の勤務時間外に入院患者を対象にした造形表現の制作活動の時間を主催し、現在も継続している。下記はその際の書き起こしの一部だ。Mは看護助手の女性、Yは筆者である。


M:私がいる病院なんかは、やっぱり…私はいつも思うんですけれどね。

権力的に、患者さんはすごく弱いんです。そこの自覚がないと、私のやっていることも、クラフトの時間もそうですけど。私、このごろ考えるのが、暴力性というんですかね。

M:このごろ、してきたことが本当によかったのかと、ふと思うんですよね。うまく言い表せないんですけど。


M:やっぱり、立場はもう決まっていますから、絶対的な権力を持っていますから。若い子らには、そこは自覚しなさいよ、と言うんです。


M:日々見ていて、非常に。これは良いのかどうか。だいぶ時代は変わりましたけど。私の、素人から見ても、これだけ長期間あの場所にいたら、いることは、どういうことなんやろうと。


M:こういうことしかできないっていうか…昔はすごかったんです。もう今やったら、新聞に載るくらいのことをしてはりました。一回聞きにいったんですよ、その人に。一人では聞きにいけないから、ナースと一緒に。「そこまでやるんですか、それはどうしてですか、そこまでやることないと思います」。そしたら、「これくらいせな、わからへんねん」という、その一言なんです。


Y:それは医療じゃないですよね。

M:人権を超えてるっていうかね。私も見ざる言わざる聞かざる。別に私は正義の人間でも何でもないけど、でもその中でずっと一緒に、その人と一緒に仕事をしてきて。おかしい。違和感はあるけど何もできない、と思いますね。


M:それと、反省しているのは。みなさん、今コロナで、中にいる生活で。ストレスも溜まる。で、私もいろいろ、こういうことはやめてくださいねと言っているけど、やらはる方もいはるんです。そういうときにちょっと私も、この頃あかんなと思うのは、声を。このごろ、やめたいなと思うのは、年もいってきたせいか、私自身が、叱責までいきませんけど、大声を張り上げている自分がわかるんです。で、これはあかんなと。

M:でも、それを張り上げたことによって、その男の人は「職員に暴力をした」ということで、お薬を与えられるんです。その過程は、私が言ったから。彼もばっと、こう。でも、職員に大声を張り上げた、それで。


Y:薬が増えてしまう。


M:そういうところなんですよね。申し訳ないというよりも…。これは、年齢的なところもあるし、無理が来てるな、と。それによって、そういう結果になる。これはほんまにいいんやろかと。結果として、職員に声を張り上げたところだけが切り取られて、興奮時のお薬を飲まされたり、注射を打たれたりと何回も見ていた。障害があるということによって、どれだけのそういう行為が繰り返されているのか。


M:うちだけかもしれませんけど。これはどういうことなんだろうと。

Y:患者さんの振る舞いを生み出した医療者側の行為は問われずに、患者さんの反応だけが取り上げられて。


M:それが多いんですよ。

M:余裕がないとか、人員的に、マンパワーがないとかいろいろ言うんですけど。そういう側面もあるけど。やっぱりその、そういう頻度がすごく多い。そういうのが起こりやすいシステムというか。

《場所》

 Mさんの話からは、医療者と患者の非対称な関係が浮かび上がってくる。

そして「患者」や「患者家族」「医師」「看護師」「看護助手」「ソーシャルワーカー」「作業療法士」「事務員」「清掃員」「ボランティア」等をはじめとする属性ありきで、病院内にいる個人の行動はすべて評価され、記述されるのであろう、ということも推測される。

 現在もなお、日本の精神病院内で非常に痛ましい虐待事件(*1、2、3)は起きているが、世論の関心は決して高いとは言えない。事件化され報道される問題は氷山の一角であり、Mさんが語るような理不尽さは、おそらく多くの精神病院において日常的にあるものではないか。


 長年、愛媛県で、精神障害がある人の地域での表現活動と就労、居場所づくりの支援に取り組むSさんに上記のようなことを私が話した時に、彼女がこう言っていたことも頭に浮かぶ。

「でも、それでも、ずいぶんよくなりました」(S)

 精神の病気がある人、精神の病気を経験した人、そして患者の家族が「自分はその当事者である」と、確かに以前よりはずいぶん言えるようになってきたのだと思う。けれどもいまだに、病院内の医療者たちと患者たちの権力関係は揺るがない。

 精神病院から退院して地域社会に戻った人たちは自分と病院の関係を「もう絶対に入院したくない」と表現する場合もあれば、「ちょっと休みに行ってくる」と表現する場合もある。多くの人にとって後者の形で表現される場所が、目指されるべき精神病院のあり方ではないのだろうか。でも、もしかしたら、そんな場所は「精神病院」でなくてもいいのかもしれない。自分自身と周囲の人への安心と安全が保たれ、尊重されながら、薬の量を調節したり、心身を休ませたりできる場所は、おそらく地域社会のなかにも作れるはずだ。すでにそこにいる地域の人々が、その場所と休みにくる人々を受け入れることができるのであれば。

 それが決して不可能なことだとは、私は思わない。明治中期から昭和初期まで、草津の湯之澤集落(*4)では、ハンセン病者とその家族が集住し、地域社会と関わりながら生活していた歴史がある。精神障害、精神疾患とハンセン病とで、国家が患者たちを管理しようとしてきた理由は異なるが、他の多くの人々と「異なる」人々を隔離収容するのではない別のあり方が、過去すでに様々な条件から可能となり実践されていた。

《診療所的》

 私は2021年からウェルカム財団の「マインドスケープス」というプロジェクトで、東京に滞在するアーティストとして作品を制作し、展示をした(*5)。そして、2022年の夏からは同プロジェクトの「コンビーニングス」というプログラムでの話題提供者として、そして参加者の一人として〈ミュージアムやアートプロジェクトがメンタルヘルスクリニックになりえるのか〉という問いを考えてきた。ここまで述べてきたように、入院機能のある精神病院で起きている負の側面を考えると「そうなってはいけないんじゃないですか?」という答えしか、持てない時間がしばらくあった。

 しかし「メンタルヘルス・ホスピタル」ではなく、あくまで「メンタルヘルス・クリニック」=「心身についての診療所」として、施設に滞在する個々の人々の管理ではなく、地域に点在する人々の「症状」を知り、水平的な関係性を地域社会において指向しようとすることが重要なのだとしたら、それは現在の「アート」や「ミュージアム」にとって決して他人事ではないだろう。

 

「マインドスケープス」のレジデンシーで制作した、DVについての作品《影のかたち》は、私の予想を超えた「効果」を観客に対して表した。約4ヶ月の展示期間で1850通のコメントが私の手元に残った。まだ整理作業中だ。これほど強く大きな反応があるとは事前に全く予想できておらず、事前の準備が足りなかった。声に即座に応答ができなかったことに、この場を借りて謝りたい。

 A4の紙には、一言二言、振り絞ったような言葉が記してあるものもあれば、裏表にわたり、小さな字でびっしりと詳細に経験が記されたものもあった。あの展示室で、他の観客に見られることを引き受けた上でコメントを書いた匿名の人々は、それぞれの感情と共に自分の経験を言葉で記していた。この事から、私がこのプロジェクトに返せるものは何だろう?


 芸術制作と展示の制度のなかで、人々は協働し、自分の属性を保持し語ることができるし、それに尊厳を持つこと、与えることができる。あるいは逆に、属性から一時的に解放され、匿名性を獲得することもできる。私の作品の展示室で起きたのは、個人が匿名性を獲得したことによって被害経験をパブリックに開くことへの能動性の発露だろう。一部の観客にとっては過去を想起し、書くことで語りなおし、展示室にそれを投函し、また日常に戻っていくという経験になったのではないだろうか。今回の私の展示において、作品は観客の想起と能動性を引き出すための単なる引き金だった、とも言える。ミュージアムの機能を極限まで削っていったとすれば、それを可能にするための情報提供なのかもしれない。

 しかし、いま記したような行動をとったような観客の反応がすべてではない。展示室前に掲示されていた事前警告の文章を読み、展示室に入らなかった観客がいた。一瞥して去った観客がいた。被害経験に基づいたフィクションの映像作品を笑ってみつめていた観客がいたとも聞いている。それでも、そうした人たちと共に、加害者、被害者、支援者によるインタビューに目や耳を向け、真剣に現状を憂う様子の人々もいた。そうした他の観客の姿が可視化されることにより、展示室で勇気を得た人々もいた。

 これからのミュージアムやアートプロジェクトが「メンタルヘルス・クリニック」になるべきなのかどうか?、という問いに対して、お願いだから「メンタルヘルス・ホスピタル」にはならないでほしい、というのが私の心からの訴えだ。

 人々を美と技術と理想で管理するのではなく、地域の個別具体的な問題に対して「対症療法」であったとしても多様な表現のあり方と独善的ではない理想で向き合い、関係者が相互に関与しながら小さな実践を積み重ねていくことの変化が、表現を媒介とした社会変革の可能性であり、アートプロジェクトやミュージアムが「診療所的」になっていくことの可能性ではないだろうか。


*1──「兵庫県 虐待事件の『神出病院』に対し“定期的に報告求める”」NHK NEWS WEB 2022/11/28 https://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20221128/2020020283.html

*2──「神出病院における虐待事件 なくすためにはどうするといいのか」認定NPO法人大阪精神医療人権センター 2021/09/09 https://www.psy-jinken-osaka.org/archives/saishin/9157/

*3──「報徳会宇都宮病院の『入院治療』あまりに驚く実態」東洋経済オンライン 2021/07/16

https://toyokeizai.net/articles/-/440032

*4──「【People+】湯之澤 草津温泉に60年続いた自由療養村」leprosy.jp 2023/01/20閲覧 https://leprosy.jp/people/plus05/

*5──「DVやジェンダー格差をめぐる飯山由貴の応答。森美術館での展示から見えてきたものとは」ウェブ版 美術手帖 2022/09/11 https://bijutsutecho.com/magazine/interview/25981


PROFILE

飯山 由貴/神奈川県生まれ。東京都を拠点に活動。映像作品の制作と同時に、記録物やテキストなどから構成されたインスタレーションを制作している。過去の記録や人への取材を糸口に、個人と社会、および歴史との相互関係を考察し、社会的なスティグマが作られる過程と、協力者によってその経験が語りなおされること、作りなおされることによる痛みと回復に関心を持っている。近年は多様な背景を持つ市民や支援者、アーティスト、専門家と協力し制作を行っている。

この記事が参加している募集

イベントレポ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?