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11月21日放送分『青天を衝け』プチ解説

今回も、涙なしには観られませんでした。渋沢栄一の妻・千代が亡くなりました。コレラでの死去ということで、家族が死に目を見られないというのは現代にも通じるものがあり、考えさせられる内容です。栄一の息子の習字の「家族」という文字が途中で終わっていたシーンは、大河史に残る名演出ではないかと個人的に思います。

ということで、今回も大河ドラマ『青天を衝け』プチ解説にまいります。

1.穂積陳重

栄一の娘・歌子の夫。イギリスやドイツに留学後、帰国し歌子と結婚しました。東大法学部の講師を務めたのち、東京帝国大学の教授に就任。貴族院議員も務めています。民法などの起草に関与した人物として有名。ちなみに実弟は穂積八束であり、美濃部達吉の「天皇機関説」を攻撃したり、「民法出テテ忠孝亡フ」とボアソナード民法に反対したりと、日本史の教科書に幾度となく登場しています。

2.開拓使官有物払下げ事件

北海道の開拓使長官であった黒田清隆(薩摩出身)が、同郷の五代友厚に格安で官営工場などを払い下げようとした事件。自由民権運動の活動家にとっては、政府批判の好材料となり糾弾。政府は払い下げを中止し、大隈重信ら政府内反対派を罷免して政府内の結束を図りました。これを明治十四年の政変と言います(薩長閥による政府独占)。

3.立憲改進党

政府を追われた大隈重信が結党した政党。イギリス流の議院内閣制の実現を目指したのが特徴。のちに解党し、進歩党を結成。板垣退助が結党した自由党に対抗しました。第2次松方正義内閣(1896年~1898年)では大隈が入閣したため、進歩党も与党に(松方正義と大隈重信の内閣なので「松隈(しょうわい)内閣」とも呼ばれます)。その後第3次伊藤内閣では、進歩党と自由党が合同して憲政党を結党。のちに成立する第1次大隈内閣は、大隈重信と板垣退助の内閣なので「隈板(わいはん)内閣」と呼ばれます。

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以上、『青天を衝け』プチ解説でした。この頃になると、史実がどっさり残っていますし、内閣制度が出来上がればまさに現代と一直線で結ばれますので、歴史的にも面白くなってくるところかと思います。

今回の大河ドラマを機に、幕末~明治期に興味を持つ人が増えれば、これ以上の喜びはありません。

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