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最終回『青天を衝け』プチ解説

ついに終わってしまいました…。これほど熱中した大河ドラマは本当に久々で、たぶん『龍馬伝』以来。現代日本へのメッセージ性をひしひしと感じ、とても活力を貰った大河でした。青天チームの皆さん、1年間ありがとうございました&おつかれさまでした!

ということで最後の『青天を衝け』プチ解説にまいります。

1.北里柴三郎

肥後国出身。東京大学医学部卒業後、内務省入省。衛生試験所細菌室で学ぶ。破傷風の血清療法を発表し、世界にその名を轟かせました。伝染病研究所の所長に就任するも、その後辞任して北里研究所を創立します。この北里研究所と北里衛生科学専門学院を母体としてできたのが、現在の北里大学になります。

2.原敬

南部藩出身。郵便報知記者などを経て外務省、農商務省に入庁。政友会創設の際に尽力し、伊藤内閣で逓信大臣を務めます。米騒動を機に辞任した寺内正毅首相の後任として、平民による最初の政党内閣を樹立。人気はありましたが普通選挙(納税額によって選挙権を制限しない)に反対したり、社会運動を弾圧するなどしたため、東京駅で刺殺されてしまいます。

3.加藤友三郎

安芸国出身。海軍大学校を卒業後、日清戦争に従軍。のちの日露戦争にも参戦しています。第二次大隈内閣で海軍大臣を務め、ワシントン会議では首席全権として出席しました。のちに首相となり、陸海軍軍縮などを手掛けています。首相在任中に大腸がんで死去。

4.徳川家達

徳川家十六代当主。版籍奉還時には静岡藩知事。のちに貴族院議員となり、その後30年貴族院議長に就きます。実は組閣の大命降下があったのですが、本人が辞退。徳川による内閣は幻に終わりました。ワシントン会議で全権委員。

5.幣原喜重郎

大阪府出身。帝大卒業後、外務省入庁。岩崎弥太郎の長男・岩崎久弥の妹と結婚したため、加藤高明の義弟となります。1919年に駐米大使として赴任し、ワシントン会議にも出席しています。若槻礼次郎内閣や浜口雄幸内閣で外務大臣を務め、いわゆる「幣原外交」を実践しました。満州事変の処理に失敗し、第二次大戦中は下野していましたが、戦後の東久邇稔彦内閣の後任として首相に就任します。衆議院議長も務めましたが在任中に死去。

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以上、最終回『青天を衝け』プチ解説でした。今回でこのプチ解説が終わってしまうのは本当に寂しいですが、何事にも終わりがあります。次回の大河は鎌倉物ということで、こちらも楽しみです。来年も大河ドラマに熱中したいと思います。

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