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どう生きる?人生を決める2つの役割

あれ、画像が一枚しかない。
ということは、、
まさか長文が!?

いえ、ご心配なく。
僕はもう長文から卒業したのです。

短い文章でいかに分かりやすく伝えられるか、これが大切なのですよ。


※この投稿は13秒で読めます。

皆さんは自分の人生のことを考えることをしますか?

僕はします。

毎日しています。

では、どんなことを考えているのか。

それは、自分の人生をこうしたい、ああしたいと考えまくっています。

イメージは脚本家。

そして脚本家である自分が書いたストーリーを演者でもある自分が演じる。

脚本家が筋書きを考え、演者が人生を演じていく。

まるでドラマ。

しかし、人生はドラマどころではない。

ドラマを遥かに越える、壮大な【世界】というフィールドで自分が死ぬそのときまで演技は続く。

脚本家はドラマ一作十話完結とかでストーリーを作る。

しかし、人生というドラマは十話では終わらない。

長い人で100年間という人生を演じていかなければならない。

人生の面白いところは、脚本家がいようがいまいが人生というものは時間を経過させていく。

僕は死ぬそのときまで脚本家でいたいし演者でありたいと思っている。

自分の人生という長いドラマを自分の脚本で作り上げていきたい。

どんなに完璧な脚本を書いたとしても、実際にはそれ通りには進んでいかない。

イレギュラーな出来事というのは常に起きるものだから。

そしてこの世界に生きているのは僕だけではない。

なので様々な絡みが常についてまわり、複雑に交差しつづけていく。

これがまたこの人生というドラマの面白いところ。

脚本には描かれていない、意図しない悲しみ、苦しみ、怒り、そして時には脚本以上の喜びが訪れることもある。

どんなイレギュラーなことが起きたとしても自分が書いた脚本にどうすれば近付くのか、そんなことを毎日毎日考え続けて、イレギュラーが起きる度に脚本を微調整して新たな筋書きを考え、また続きを書いていく。

人生というドラマの脚本とは、そういうものだと僕は思っている。

僕はこれからも脚本を書き続けていく。

野ブタをプロデュース

ではない。

これは豚が豚をプロデュースである。

人生を脚本するもしないも自分次第、そして脚本することに他人が干渉することは出来ない。

脚本は書いて良いモノだと僕は自信を持って多くの人に伝えたい。

好きなように書いて良いものだよと伝えたい。

先程も言ったけど、脚本しなくても日々は経過し、いつかは人生を終える。

脚本したくても自分には出来ないんだ、という人もいるだろう。

環境が、、旦那が、、妻が、、仕事が、、

様々な脚本できない理由が思い付くかもしれない。

大切なことを伝えるよ。

脚本できないではない、あなたが脚本してみたいか、してみたくないか、それだけ。

もし脚本をしてみたいと思うのならば小さなことから脚本していこう。

例えば、今日のランチはこれを食べるという筋書きを脚本する。

いつもはお風呂で頭から洗うが、今夜は身体から洗うという筋書きを脚本する。

些細なことでいい、他人にコントロールされない小さな事から脚本していこう。

もちろん小さな脚本でもイレギュラーは起こる、その時は筋書き通りに進まなかったことをガッカリして諦めてはいけない。

小さな脚本に修正を加え、次の筋書きを作り出そう。

一流の脚本家に今すぐなろうなんて思ってはいけない。

脚本家としての下積みが必要だから。

まずは小さなことから、そしてそれを継続する、次に段々大きなことを脚本していく。

そんなことをしていればいつの間にかあなたは立派な人生の脚本家となるでしょう。

2021.10.12


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