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知好楽への違和感

 「知好楽」という言葉があります。

 意味は、「知っている人は好きな人にはかなわず、好きな人は楽しんでいる人にはかなわない」ということになります。論語の「これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」が由来となります。

 確かにアイドルグループのメンバーの名前を暗記して知っているだけでは、好きな人には敵いません。また好きでいる人よりも実際に音楽を聴いたり、動画を見たり、ライブに行って楽しんでいる人には敵いません。

 それは確かにその通りなのですが。この言葉は万人向けの言葉ではなく、限定された人や場面で使用できる言葉であると思います。

 まず、楽しいという感覚を持てる人はとてもラッキーな人であるということです。親からの虐待や抑圧により楽しいという感覚が持てない人がいます。そのような人が知好楽と言われもピンとこない上に、自分は楽しいことが分からないという自己否定の感覚が現れてしまいます。何かを学び知ることだけで精一杯で、好きになることも楽しむこともできないので、どのようにすれば好きになることができるのか、ましてや楽しむことなんて自分にはできるのかというマイナスの気分になります。

 次に道徳的あるは倫理的価値観に基づいた行動は楽しいという言葉で表してもよいのかという問題があります。例えばゲノム編集や、医療従事者の仕事を知好楽で表現するのには抵抗を感じます。これらの分野は楽しいということではなく、義務的行動に基づいており、人間にとってやるべきであるという使命感が強いと思います。

 このように考えると、他人に対して簡単に「これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」という言葉は私は使えません。人の気持ちを察する能力に長けている人はこの言葉に少なからず違和感を感じると思います。楽しめないからと言って自分を責めたりせず、楽しめないからこそ人の気持ちに寄り添える人間でありたい。こちらの方が何だか落ち着いた自然な気持ちになれます。

 「これを知る者は、これを好む者に如かず、これを好む者は、これを楽しむ者に如かず、これを楽しむ者は、これを知るに如かず」とすると、救われた気持ちなるのは私だけでしょうか。

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