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小川洋子『密やかな結晶』(1994)


 小川洋子の代表作『密やかな結晶』についていろいろとお話しさせていただきます。


あらすじ

“その島では、記憶が少しずつ消滅していく。鳥、フェリー、香水、そして左足。何が消滅しても、島の人々は適応し、淡々と事実を受け入れていく。小説を書くことを生業とするわたしも、例外ではなかった。ある日、島から小説が消えるまでは……。”

講談社文庫背表紙より

『アンネの日記』に強く影響を受け 1994年に刊行された『密やかな結晶』は、2019年に英訳『The Memory Police』として米国で出版され、瞬く間に英ブッカー賞国際部門にノミネートされました。

 本作は現実と虚構の隙間のような寓話的な島を舞台に物語が展開されます。地理も年代もあきらかにはなりません。脇役に乾という名前の一家が登場することから、かろうじて日本のどこかではないかと推測できる程度の〝ここではないどこか〟です。

 曖昧な世界観でありながら繊細な筆致で綴られる物語はどこか懐かしささえ感じてしまいます。作中で〝消滅〟が起こるたびに、私たち読者はページをめくる手を止めずにはいられません。そして心の奥底に埋もれてしまっていた結晶が微かに輝きを放っているのを見つけるのです。

“自分の外側に、言葉にしてみんなに語って聞かせるべき物語がたくさんある。その方法を得られないまま化石のように埋もれている物語を解読している—そう意識した方が自然な形で執筆できると気付きました”

インタビュー 小川洋子『密やかな結晶』から『小箱』へ―記憶と喪失の物語を紡ぎ続けて | nippon.comより

 氏は自身の内側を書く私小説よりも、外側にあるまだ言葉にされていない物語に息を吹き込むことで、私たち読者に懐かしくも新鮮な文学的想像力を喚起させるのです。
 彼女の小説で語られる言葉は、私たちの中で永らく光を失っていた結晶にふたたび輝きを与えてくれます。それが彼女の物語から感じられる懐かしさの正体なのでしょう。

 ここからは物語の中に踏み込んでいきます。

 本編には三つの種類の人々が登場します。ひとつは、主人公である「わたし」のように消滅に抗えず、それを静かに受け入れていく人々。次いで、消滅の影響を受けないごく少数の人々。最後に、消滅の影響を受けない人々を捕え、拘束し、そして彼らの存在を島から消してしまう秘密警察です。

 そもそも〝消滅〟とは一体どういった現象でしょうか。
 冒頭で幼き日の「わたし」と今は亡き母が、消滅した香水をめぐって会話を交わしている象徴的なシーンが描かれます。消滅の影響を受けない母が香水について、しきりに説明をしています。そして母が娘を抱き寄せて、首すじの香水のにおいをかがせてくれます。

「どう?」
 母が聞く。わたしはどう答えていいか困ってしまう。確かにそこには、何かの匂いがあった。パンが焼ける時とも、プールの消毒液につかる時とも違う、何かの気配が漂っていた。でも、どんなにがんばっても、それ以上の思いは浮かんでこない。
 わたしがいつまでも黙っていると、母はあきらめて小さなため息をつく。
「いいのよ。あなたにとっては、これはただの、少量の水でしかないのよね。仕方ないことだわ。なくしてしまったものを思い出すのは、この島ではとても難しいことだから」
 そう言って母は、ガラス瓶を元の引き出しにしまう。

講談社文庫 P12-13より

 このやりとりから〝消滅〟には大きく二つの定義を見出すことができます。
1 消滅を経験した人の感覚から、その物特有の性質が消滅する(香水であればにおい、絵であれば絵を成り立たせている線や色の体系など)。
2 消滅を経験した人の中から、その物に対する感受性が失われる(昨日まで大切に使っていた香水であっても、それが消滅した瞬間から一切の愛着が消える)。

 つまり消滅後には、香水がただの水になったように、その物の形や質量のみが残されるだけです。

 そして多くの人々は抗うどころかそれを受け入れ、消滅したものを必ず焼いたり海へ流したりして処分します。消滅したことによる欠落感ごと捨て去るためにです。そうしてそれらは記憶からも完全に消されることになります。

「新しい心の空洞が燃やすことを求めるの。何も感じないはずの空洞が、燃やすことに関しては痛いくらいにわたしを突き上げてくるの。全部が灰になった時、やっとそれはおさまるんです。その頃にはたぶん、写真という言葉の意味さえ思い出せなくなっているでしょうね」

講談社文庫 P148より

 本編では寓話的な物語が紡がれていきますが、この構想の下敷きにはホロコーストをはじめとする掠奪行為への徹底した批判があります。
 秘密警察は記憶を保持している者や、消滅した物を手元に残している者を危険因子として拘束します。なぜ秘密警察が執拗に彼らを取り締まるのかは、作中では明言されていません。

「わたし」は小説の編集者R氏に密かに思いを寄せています。しかし彼は消滅の影響を受けない人間でした。そのため「わたし」は彼を秘密警察から守るべく、自宅の1階と2階の間にある小部屋に匿うことになります。以降消滅した物はR氏の助言によって、その小部屋へ一緒に隠すようになります。そしてその小部屋ですが、絶対に誰にも見つかることのない聖域のような場所として描かれているのが明らかなのです。

 しだいに読者は気付くことでしょう。
 小部屋に隠されているR氏や消滅した品々が、秘密警察の手の届かない〝密やかな結晶〟であることに。

 小川洋子自身も、『密やかな結晶』とは、何をもって結晶なのですか? という問いにこう答えています(そこを曖昧にせずはっきり答えられるところに、作家としての懐の大きさを感じますね)。

“人間があらゆるものを奪われたとしても、大事な手のひらに握りしめた、他の誰にも見せる必要のない、ひとかけらの結晶があって、それは何者にも奪えない。そういうもの、秘密警察にもナチスにも奪えないものが誰にでもあるんです。心の中にある非常に密やかな洞窟のような場所に、みんながそれぞれ大事な結晶を持っているというイメージですね。”

講談社文庫 P445 あとがきより

 R氏は消滅に抗うようにと「わたし」に説きますが、ひとつ、またひとつと、彼女は消滅を受け入れていきます。それでアイデンティティが揺ぐことはありません。消滅を受け入れているために、苦しみを感じることはないのですから。
 それでもR氏は消滅を絶対に受け入れるな、と言い続けます。しかしそれは、R氏が消滅する感覚を絶対に理解できないから言えることであり、彼女たちにとっては静かに受け入れることこそが、欠落の苦しみを感じず、そして秘密警察にも目を付けられることのない安全な道なのです。

 しだいに彼女たち島民は、左足をはじめ、ひとつずつ身体を失っていきます。涙をそっと拭ってくれた彼の指の温もりを、その温もりを感じた頬までも消滅し、そして最後には彼女は消えてしまいます。それを見届けると彼は梯子を上り、久しぶりに外の世界へと出て行って物語は幕を下ろします。

『密やかな結晶』の構成の巧みなところは、「わたし」の書いた小説が本編の物語の中に挿入されているところです。
 その内容は、声を失った女性がタイプライターを教えてくれた先生に監禁されるという悲劇的なものです。すべての自由を奪われた彼女は、毎晩のように先生にされるがままに身を預け、しだいに逃げるチャンスを自ら放棄してしまうほど精神さえも奴隷になってしまいます。
 やがて彼女は自身の存在が曖昧なものに感じられるようになり、彼に触れられたこの体だけが唯一の確かなものとなっていきます。

 小川洋子の近著である『からだの美』というエッセイ集の表題からも分るとおり、彼女は〝触れられる〟もの、またその〝形〟に長年一貫した強い関心を持っていることが窺えます。
 消滅後に残るものはさっきも示したとおり、物の形と質量だけです。消滅したあとで確かなものは、触れることのできるものだけ。
 本編で身体が消滅していき、最後には(明言はされていませんがおそらく)彼女は死を迎えたかのように存在そのものが消えてなくなります。そしてR氏は外の世界へ出て行く……

 つまり消滅したものは人々の心、感受性であり、消滅後に残される物の形と質量は抜け殻の生命と読み取ることができます。そして燃やされて忘れ去られたものは、完全なる無情な死そのもの。
 彼女は最期まで小部屋に結晶を隠したまま死を迎えます。そして彼女の密やかな結晶であるR氏は、ついに自由になりました。それこそが著者の言う〝何者にも奪えない、ひとかけらの結晶〟であり、彼女が最期まで守り抜いた尊厳です。どんな暴力にも屈せず、守り抜いた自由、それを体現した存在が小部屋から解き放たれた結晶たちなのです。



あとがき

『密やかな結晶』は平易な文体でありながら、物語全体には深遠なメタファーが敷かれています。それゆえこの程度の文字数のログですべてを網羅しきるのは不可能です。そもそも完璧な考察というものが存在するのなら、小説の長い文章は必要ではなくなり、その作品は考察された言葉で十分ということになるでしょう。
 それでも私にはまだやり残したことがあります。それは小川洋子さんの美しいレトリックの構造を分析し、それらがどのような詩的効果を発揮しているのかという点です。物語や思想とはべつに言葉のもつ力そのものに光を当てた考察を、今後さらに深めていけたらと考えております。
 ともあれ久しぶりに純文学の傑作に出会いました。『密やかな結晶』はただ叫ぶだけにとどまらず、虚構(想像力的なフィクション)の力を借りて「真実」を探究しているところに、純文学としての意義を感じます。

 最後に私の敬愛する作家のひとり、オルハン・パムクの言葉を借りてブログを閉じようと思います。本作のもつ普遍性、射程の広さ、小説としての器量の大きさをあらわすのに適切だと感じたからです。それはメタファーの重要性と小説のもつ本来的な力について語っています。

小説がどのように生まれ、いかなる役割を果たしたかについて──

禁止令やタブーや権威主義的な国家による抑圧と闘わざるをえない状況に置かれた〔…〕作家たちは、大っぴらには口に出せない「真実」を語るために、小説の虚構性という概念を借りてきて使いました。

パムクの文学講義 岩波書店 P32より


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