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雲の上で生活したら人間変わるのか?~永世中立国スイスで15歳の少女が考えたこと~

プロフィールを紹介した後に、必ず聞かれる最初の質問はこちら。

なぜ、15歳で海外に行こうと思ったのですか?
なぜ、スイス?
なぜ、1人で?親は?
英語は行く前からしゃべれたの?

私が海外に飛び立ったのは15歳の時。
日本での最終学歴は、中卒(笑)。
高校1年生の1学期で日本の高校を退学して、スイスに単身で渡った。

ここから、私の多文化・多言語環境下での自分操縦が始まる。

「操縦」というのは、自分の身体を使った人体実験に近い感覚。
どうなるか全く確信はないけど、目の前にあるどんな選択肢よりも一番最適な道だと思える、絶対的な確信があったし、自分の直感を信じて進むことに自分自身で許可を与えた、大きな決断だった。

この感覚の鋭さは、30年後の今振り返ってもすごく鋭利で、驚くほど研ぎ澄まされていたと思う。

1.15歳からみえた戦争の本質

当時、私が中学生の頃(30年前)、世の中は湾岸戦争の真っ只中だった。

重油にまみれた海鳥の痛々しい様子をテレビの画面越しに見ながら、私は大人への怒りの感情を通り越して、大人たちのことが心配になっていた。

「大人はなぜ、こうも言っていることとやっていることが違い過ぎるのだろうか?」
「いや、『違う』ということにすら、自分で気付けないほど、感覚が鈍化しているのだろうか?」
「それとも、気づいているけど、隠せばいいと思っているのだろうか?」

テレビの画面越しに大人たちを見ていて「大丈夫だろうか?」と思ったことが、私がスイスへの留学を決めた最大の理由だ。

「大丈夫か?」

正直に言うと、大丈夫だとは思えなかった。
大丈夫だと思えない環境に、このまま自分の身を置き続けるのか?
それとも、自分がより安全と思える場所、理にかなっていると思える場所に身を置くのか?

「自分で選択して、道を切り開かなきゃ!」

じゃあ、今(当時)世界で一番信頼できそうな大人がいるのはどこなのか?
そんな視点で、図書館や書店で本を読み漁った。
地理学、社会学、宗教学、政治学、留学書コーナー…。

行き先を決める評価の基準は、
「言行一致」
「言っていることとやっていることに、最も統一感があるのはどこか?」

もちろん、
・留学ってお金かかるよね?それも家一軒建つくらい。
・親からは反対されるかも?
・そもそも、合格するのか?
・英語はどうしよう?
・将来の夢をあきらめてまでも行くのか?(英語・外国とは真逆の将来の夢を描いていたし、猛烈に反対された)

15歳になると、当然、色々と周囲の顔色を伺いながら配慮する自分もいたが、何を優先すべきかは非常に明瞭だった。

数か月のリサーチの結果(立ち読みの成果)、評価基準に唯一合致したのが、永世中立国のスイスにある全寮制の学校だった。

永世中立国
他の国家間のいかなる戦争に対しても介入せず、また自国の防衛と中立侵犯防止のため以外には、いかなる国に対しても自ら戦争を始めないことを義務づけられ、かつ国際的にも不可侵を保障されている国家の地位。

百科事典マイペディア

学校の理念や方針が素晴らしいところは、アメリカにもカナダにも英国にもオーストラリアにも沢山あった。もちろん日本にも。

でも、「戦争をしないと明言して、本当に戦争に加担しない」ことを1815年から忠実に守り続けている国があるということに驚いたし、そんな有言実行を200年近くやり続けていけるという事実に、どんな教育をすれば「平和」が国の絶対的価値になるのか?それを現実のものとさせる政治力・市民力ってどうやったら生まれるのだろうか?

純粋に「それを可能にしている、社会構造(国づくり)を見たい、知りたい、この身体で学び取りたい」と思った。

まさに自分の身体をつかった「人体実験」。そのためには、友達と離れても、家族と離れても、将来の夢を180度変更しても、悔いなし、未練なし!と心底思っていた。というか、縁もゆかりもない場所に自分を置いて、偏見を捨てて、1人にならないと見えないものがあるだろうと思っていた。

おそらく、これも一種の反抗期にみられる現象なのかもしれないが、社会に対する反発の勢いが凄すぎて、日本を飛び出してしまった、という流れだ。

2.雲の上に身を置くと

スイスの全寮制学校での3年間で、世界が広がった。
日本からヨーロッパまで行動範囲が拡大すると、当然、横移動(大陸移動)の距離が大幅に増えたが、同時に縦移動(標高の高低)が飛躍的に伸びた。

横移動をすると、当然世界観が広がる。
いろんな国の人、言葉、文化、価値観に触れる。触発され、時には軋轢も起きる。

縦移動を実感するのは、雲の上にいる時だ。
私が通った学校は、登山列車で山道をガタゴトと登り詰めた、標高1260mにあるレザン(Leysin)という人口2000人の村にあった。

レザンは「絵葉書よりも美しい村」だった。
夏は放牧された牛たちがカウベルの大合奏を山々に響かせ、冬には足元の下に雲海が広がる。地面に足をつけて重力を実感しながら生きていたのに、時折、雲を踏みながら、雲と戯れながら、自分が空中に浮遊しているような感覚を抱く日々が、普通になってしまったのだ。

そうすると、地球上に存在する数々のルールから解き放たれる感覚を身体が認識し、認知するようになる。「非日常は日常になりうるのだよ」「環境と思考が変われば、その境目は易々と超えられるのだよ」と、山、空、雲が無言で教えてくれていた。

人間は「絶対」だと言い張るが、その「絶対」は危うく、儚く、空(くう)なものだ。

そんな感覚を日々、当然のように感じ取っていた。

もちろん当時は、「雲の上にいるー!すごーい!」と、女子高校生っぽい単純な言語表現しかできなかったが、絶対音感のような「絶対体感」がこの時に宿ったなという認識がある。

そして、30年たった今、世の中でゆるぎなく見える(信じ込まされている)「地球上のルール」と「根源的な真理」は同一だとは限らない、という感覚は、この15歳からの海外生活で体感で捉えた貴重なものだったのだと気づく。

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今更、なぜこんな振り返り返りをしているのか?
まず、私がなぜ「評価の哲学」「価値の源泉」の研究をしているのかという原点の糸を手繰り寄せるためである。

「グローバル」といえば、常に国境や言語、文化の壁を超える「横移動」の話になるけれど、標高の高低の「縦移動」で雲海散歩をしていた多感な思春期の経験が、今の私の価値観や世界観、飛ばしたい意識の方向と角度に多大な影響を与えている。

そっか、15歳から始まっていたのだな…と再認識できたことは大きかった。

もう一つの理由は、30年前の昔話と、今の国際情勢が重なって見えてしまったからである。

タイムスリップして、15歳の私に今の世界の情勢を見せた時、すごい怒りと悲壮感を露わにしていると思う。時代は違い、戦場も違うけれど、起こっていることの根源は当時からたいして変わっていない。

情けないけれど、リピートしてしまっているこの世界で、今の15歳の子達には、どんなふうに世界が見えるのか、話してみたいという気持ちもあり、あえて言語化してみた。








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