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♯2 恋愛観の変化を経て

“恋愛”とはいっても、私は片手で数えられる人数の異性としか、そういった特別な関係になった事が無い。

それらを比べて語れる程の経験はしてきていないのだ。

そんな数少ない経験の中での話しか出来ないが、折角、リクエストを頂戴したのでこれを書いていこうと思う。

恋愛経験では無く恋愛“観”であれば語れる筈だ。

昔と今現在の恋愛観で比べてみると、変わっていない事と変わった事がある。

変わっていない事は、恋愛をする度にその相手に尽くそうと思う精神。

どうやらこれは悪い事らしい。

これまで付き合った人に100%の確率で浮気をされてきているのは、その尽くす精神が原因だと散々言われてきた。

その度に、人の為に自分の出来る範囲内で何かをしてあげたいという精神の何がおかしいのか、と葛藤する。

未だにその意味は完全には分かっていないが、以前よりは遥かに理解度が増してきた気もしている。

何事にも限度がある、この一言に尽きるのでは無いだろうか。

そして、変わった事。これというものが一つすぐに浮かぶ。

これは、AV女優と呼ばれた事のある人達なら例外無く当て嵌まるのでは無いだろうか。

自分の事をAV女優としてでは無く一人の人間として中身を見てほしい、と思う様になった事。

AV女優のくせに贅沢だ、と思う人も居るだろう。

どうしてもAV女優というレッテルを貼られてある以上、そのフィルター越しに個人を見られてしまうのは仕方の無い事ではあるが、それでも自分がこういう風に接して貰いたいと願うのは自由だと思っている。

出会った当初が偏見や先入観からのスタートであっても、いずれその本体である自分に興味を持ち、知ろうとしてくれている姿勢を感じられると、こちらもやっと心を開いていくのだ。

初対面の人を前にして身構える様になったのは、AV女優という仕事をやり始めてから。

元々、男社会で生きてきた過去もあり、同性よりも、異性との方が無駄な気を遣わず本音で話せる(というより気を遣えない)ので、友人は男性が多い。

そんな背景もあり、AV女優になってからは恋愛だけでなく、新たに友人という存在を生み出す事も困難になり、珍しくなっていた。

恋人も友人も、対人関係なのには変わりは無い。

いつしか私は直感で、あっこの人はAV女優としての私にしか興味が無いんだな、と感じ取れる様になっていた。

そうするとこちら側は、その人と接するのは時間の無駄でしか無くなる。

それはそうだ。

自分が“ネタ”を与えるばかりで、相手から与えられるのは不快感ばかり。

決まってそういった人達と話す事といったら、礼儀も何も無い自分の興味の欲を満たす為だけの相手の質問に私が答えていくだけの、謂わば、話というよりも作業だ。

感覚で例えるのならそれは、訳も分からず金属バットでひたすら頭部をガンガンと殴り続けられている様なものだ。

不快感を与え続けてくる人と接したいと思う人は、相当なドMな精神の持ち主を除いて他に居ないだろう。

決してそれを悪いと言っている訳では無いし、そうするなと強要したい訳でも無いのはご理解願いたい。

人は皆、ある程度のルールを守りさえすれば、後は好きにすればよいと思う。

私はそれが嫌だな、と思っただけの事だ。

ここで声を大にして言いたい。

もし、AV女優や元AV女優の方と付き合いたい、と夢見ている方、若しくはそれが実現しそうな方、友人がAV女優だという方は、その人の本質を見て、一人の人間として接してみてほしい。

いちAV女優ファンの方でも良い。

そうする事できっと、貴方への対応も変わってくると思う。

少なくとも、私は嬉しかった。

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