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「幸せ」と「幸せな気持ちになる」は違う

「幸せ」と、「幸せな気持ちになる」ということは違う。

なぜ急にこんなことを言い出すのかというと、先日「幸せなのに、幸せを感じられない」という状態に陥ったからだ。

きっかけは、新型コロナで一週間近く動けなかったことだと思う。

4日間熱が下がらず、下がってからしばらくしてもだるさは続き、食欲もない状態が続いた。

食べようと思えば完食するが、積極的に食べたい気持ちにはならない。大好きな鶏の唐揚げも焼き肉を思い浮かべても全く魅力を感じなかった。
なるべくならずっと寝ていたい。何もしたくない。笑顔を作ってみても虚しくなるだけだ。

新型コロナの後遺症を調べてみると、「抑うつ」という症状があった。

抑うつ状態の私に対して、夫は優しかった。家事すらままならないのに責めたりせず、積極的に働いてくれた。ひどい時は理由もないのにわんわん泣いたりしたのだが、呆れずに慰めてくれた。

こんなに素晴らしい人が夫で、なんて私は幸せなんだ。

心から、そう思った。

そう思う反面、なぜかどう頑張っても幸せな気分にはなれなかったのだ。


今自分が「幸せ」かどうかは、自分が決めるのだ、とよくいわれている。

目の前の幸せに気づけるか。家族と平穏に過ごせること、毎日食べることに困らないこと、ちょっとがんばれば贅沢ができること。

そういった小さな喜びを認識して実感することが「幸せ」なのだ、と。

一方で、「幸せな気持ちになる」というのはまた違った概念だ。

暮らしが荒れ果て家庭も崩壊し、麻薬にハマって中毒になった人がいたとする。

その人は、麻薬が感じさせてくれる幸せな気持ちにハマるのだろう。そんな幸せ感は偽物だという人がいるかもしれないが、本人がそう感じているならその感覚自体は本物だ(麻薬を肯定してるわけではありません。麻薬に手を出してはいけない)。

しかしひとたび効果が切れれば、現実に引き戻される。その人は、麻薬の力なくして幸せな気持ちになることはできないかもしれない。これは、どう考えても「幸せ」な状態とはいえない。

幸せなのに幸せな気持ちになれないこともあるし、幸せではないのに幸せな気持ちになれることもあるのだ。


さて、私の抑うつのような状態であるが、これはあっさり解決した。

どうやら、筋肉と活動量が足りていなかったようである。筋トレと朝の散歩を5日間続けただけで、ビックリするくらい心が元気になった。スクスク育つ植物を見るだけで顔がにやけてくるし、ご飯だって200gのチキンカツ定食を食べてもまだ足りないくらいだ。よくこんなあっさりと変わるもんだと我ながらあきれる。

エネルギッシュに稼いでいる人の多くは、体も鍛えているという。ようやく、その訳が腑に落ちた。頭ではわかっていても腑に落ちていないと、行動は続かないものであるが、この1件でようやく私も体をバシバシ鍛える気になった。来年の今頃は、私もエネルギッシュに稼ぐ人の仲間入りをできているかもしれない。






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