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【インタビュー記事】ALSと診断された西牧和音さんが、飛行機を撮る理由


 羽田空港第2ターミナル5階の展望デッキで、西牧和音さんと私は飛行機を撮っていた。
 「オレンジの服は、えらい人。黄色い服は、パイロット。」
 西牧さんが教えてくれる。「えらい人」とは、飛行機の誘導や貨物の上げ下ろしなどを行う「グランドハンドリング(グラハン)」のリーダーのことだ。グラハンスタッフたちが飛行機に向かって手を振る。「いってらっしゃい」と見送るのも仕事のひとつだそうだ。
 「あの人は、点検してる。」
 そう言って指した先には、旅客搭乗橋(ターミナルビルと飛行機を繋ぐ乗降のための設備)の上で作業をする人の姿があった。この作業が見られるのは珍しいらしい。しばらく眺めたあと、西牧さんのレンズが点検の作業員に向けられた。

 グラハンスタッフだった西牧さんが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたのは、2022年の7月、34歳の時のことだ。
 ALSについてはじめて私が知ったのは、この疾患を抱えていた理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士の本を読んだときだった。筋肉が徐々に痩せて力が入らなくなる難病で、年間の罹患者は10万人あたり1-2人。50代-70代での発症が多く、若い年齢で罹るのは珍しい。原因は十分な解明が進んでいない。筋肉自体の疾患ではなく、運動ニューロンという神経が障害を受け、脳から筋肉を動かす司令が伝わらなくなり症状が起こり、多くの場合、思考力や皮膚感覚、視力や聴力は影響を受けない。症状は進行性で基本的に改善することはなく、根本的な治療方法もない。掴んだものを落とす、よくつまづく等、手足の違和感で受診する患者が多いが、話しにくい、飲み込みにくい等が初期症状の場合もあり、西牧さんは後者のタイプだ。どこから症状が始まっても、進行すると体全体が動かせなくなり、嚥下ができなくなると胃ろう、呼吸ができなくなったら人工呼吸器を付ける必要がある。発症後の余命は3年-5年と西牧さんはFacebookで伝えているが、10年以上人工呼吸器なしで過ごすケースもあり、症状や進行には個人差が大きい。

 西牧さんが「しゃべりづらい」と感じたのは2021年10月。一人暮らしだったので「人と話さな過ぎて、表情筋が衰えたかな」くらいに思っていたが、喉にも違和感があったため耳鼻科へ行った。
 耳鼻科では、大病院での検査を勧められた。当初は脳梗塞の懸念を指摘されたという。しかし、紹介された成田赤十字病院でも原因はわからない。2022年4月、精密検査ができる千葉大学医学部附属病院を紹介された。
 モヤモヤする気持ちをなんとかしたくて、自分でも色々と調べた。インターネットで検索すると、脳梗塞の他に「ALS」という病気が引っかかった。MSDマニュアルというサイトで読んだ症状に思い当たる点が多く、これではないかと恐れたが、医者は何も説明してくれなかった。
 検査を受けていることは、母親と職場の上司だけに伝えた。余計な心配をかけたくなかったし、弱さを見せたくないという意地のような気持ちもあった。
 2022年7月、10日間の検査入院をした。検査項目は10種類以上もあった。辛かったのは「ルンバール」だ。腰椎から髄液を一部抜く検査だが、脳と頭蓋骨の間のクッションである髄液を抜くことでひどい頭痛が起こるらしい。

 診断結果が出るまでは、何よりも仕事のことが不安だったという。航空整備士になる夢を大学時代に諦めた西牧さんは、数年前まで職を転々としていた。やっぱり大好きな飛行機の側で働きたいと一念発起し、グラハンスタッフを目指したのが2019年ごろ。グラハンではないが航空貨物を扱う仕事を派遣社員として始めた。しかし、コロナ禍を受けた派遣切りで、現場を食品工場に移されてしまう。諦めきれずにようやく見つけた成田空港のグラハン求人に応募して、思いを叶えた。症状が出始めたのは、それからまもなくのことだったのだ。

 やっと就けた念願の仕事を、休みたくはなかった。飛行機を飛ばすというミッションを、チームワークで達成することが楽しかった。荷物の搬入のたび、飛行機に触れてドアを開けられるのがすごく嬉しかった。「いってらっしゃい」と見送る時の気持ちは何ものにも代えがたかった。キャリアを積んで将来は上の立場に、という希望もあった。
 診断結果を伝えられた時も、頭に浮かんだのは仕事のことだった。脳梗塞なら治療後の復帰もできたかもしれないが、ALSは進行性だから、現場仕事はもう無理だ。
 「声さえ出れば・・・。」
 悔しい、やるせない。いろんな気持ちが渦巻いたという。声を使わない仕事に部署移動を、と申し出たが、それもできなかった。一方で、結果を知り気持ちが楽になった面もあったそうだ。
 もっと先のことは、考えなかった。考えないようにしていたとも思う、という。

 金銭的な理由もあり、一人暮らしをしていた成田から実家に戻ることにした。
 医療費や介護費用は行政の支援により上限があるが、実際は支援の対象外となる物品やサービスを利用する必要が出てくる。症状が進み介護が必要になる可能性もある。現在、家族は支えてくれてはいるが、ALSの症状でスムーズな会話は難しい。今後のことを話し合えていないことが、心理的に負担だという。
 言いたいことを言えないもどかしさは、家族以外とのやり取りでも同じだ。そのことで友人などに嫌な顔はされないが、相手にも申し訳ない気持ちになってしまう、という。

 不安や不便なことはある一方で、西牧さんは状況を悲観してはいない。
 リハビリはむしろ楽しいという。療法士の方は皆親身で、なんでも相談できる存在だそうだ。ALSと付き合う上でリハビリは大変重要で、症状の進行を遅らせる効果がある。言語聴覚士によるリハビリでは、むせたり誤嚥したりしないための力の入れ方や「ゆっくり話す」「口先ではなく、口の奥を広く使う」など、伝わりやすい発声方法を教えてくれる。数ヶ月前に会った時よりも、今回の方が会話がしやすいと感じたことを伝えると「リハビリのおかげかも」と笑った。
 飛行機の写真は10年前くらいから撮っており、現在はライフワークとなっている。撮る時は人が見つけないような構図を意識するそうだ。使っている一眼レフは、空港で撮影中に知り合った人から譲ってもらった。Facebookに載せて反応をもらえることも嬉しく、今はこれが生き甲斐だ、と話す。

 空港という場所も好きで、来ると嫌なことを忘れられるという。ただ、グラハンの仕事に戻りたいという思いが込み上げることもある、と少し寂しそうな顔になった。

 思うように喋れなくなったことで諦めたことも多いが、挑戦する意気込みは持ち続けている。ALS患者の中にはYoutubeで発信している人もいて、実際に会いに行ったこともある。会話はあまりできなくても、頑張っている様子に励まされた。「自分も何か発信活動をしてみたい」という気持ちがあるという。
 取材で印象的だったのは、西牧さんが「ALSに罹患したからできた経験もあるし、出会えた人たちもいる」という考えている点だ。「難病という貴重な経験をできるだけ無駄にしたくない」と言っていたことが心に残る。物事は全て、裏と表がある。マイナスにしかならない経験などないのだ、と改めて教えてもらった気がした。


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