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服にこだわる理由が分からない。衣・食・住における「衣」の立ち位置って何だろう。

こんにちは。

前回が「生まれて初めてのブログ」でしたので
何を書こうか、自分がどんな人だと思われたいか。
そのためにどんな内容のことをどんな文面で書けば良いか・・・
頭をフル回転させ、カロリーも消費。


そして、完成した第一回目のブログを何度も読み返し


「ここの言い回しめっちゃええやん!!!」
「ここの改行が読みやすいわー」
「うわー。ちょっとリアリティありすぎたなー(でも敢えてのそれが良かったり♪ムフフ)」


など書き終えた達成感と
遂にブログデビューを果たした自分に酔いしれていたら
いつの間にかこんなに時間が空いていました。

‐‐‐‐‐‐

前回は自己紹介を兼ねて、自身のコロナによる生活の変化を
赤裸々に語り(まだ自己陶酔中)、次回は「洋服」について書こう!!
と決意したところで終わりました。


でもいざパソコンに向かうと

「意気揚々とドヤ顔で第一回を締めくくったものの
いったいあの時何を書きたい気持ちで次回予告をしたんだ・・・?」

という状況です。

それで普段思ったことを書き留めているノートを見返そうと
思ったがそれも手元にないので思い出しながら書き進めようと思います。

‐‐‐‐‐‐

「服」って優先順位低くない?

最初の緊急事態宣言が発令されたときに感じたことです。


そこでなんでもないただのアルバイトが
「衣・食・住」について考えてみました。

①「食」
とりあえずこれがないと死ぬ。
おいしいものを食べた時の幸福感は最高。
カップ麺(安価な食品)でも腹が減った時に食べると最高。
栄養を摂ることで美容と健康にも繋がる。
今日までの賞味期限の10%OFFのイオンのスーパーのケーキでも、
夜子供を寝かしつけ(やっとことないし、出来ないが)
一日が終わったー!!って食べると幸福感やばいですよね。


②「住」
ここでいう「住」は物理的な空間としてのものを指します。
これがないと自然の力にさらされ続け、四季のある日本では
過酷な日々を送ることを余儀なくされます。
日常生活を送るにあたって住環境が整っていることは非常に大切なこと。
今日も嫁さんと家の中のなんてことない段差でも何年も住んでいるとストレスが蓄積すると
話していました(笑)

A
「毎日米と水しか口にしないけど、レザーのバッグを買う」
⇔「服は100均で揃えるけど、毎日好きなものを好きなだけ食べてる」

B
「家がないけどカシミアのコートを買う」
⇔「年中リサイクルショップの服だけど家は高級マンション」


自分含めた猛烈な服好きは一旦抜きにして
AB共に後者に対して前者の違和感が強くないですか?
(例えが悪いだけかもしれません笑)

上記から「衣」ってすごくちっぽけだなって
私は思いました。

でも2つになくて「衣」にある要素もあります。

「内面的な要素」

端的な言葉にするのが難しいですが
分かるようにつらつら書きます。

「食・住」は日常生活を送る中で第三者に
把握されることはほとんどありません。

道ですれ違った人に
「この人こんなもの食べてるんだ」
「この人こんなところに住んでるんだ」
と分かられてしまうことはまずないでしょう。

自分が何を食べたいのか、どんな家に住みたいのか。
すべて「自分」を念頭に選択していきます。


ただ「衣」に関しては相手がいることを前提として
選択する場面が圧倒的に多いです。

「こんな風に見られたい」
「こんな風に見られたくない」

こういった内面的な要素を
含んでいるのは「衣」だけな気がします。


じゃあその「内面的な要素」を含むことの魅力を次回は書いていきます。

前置きが長すぎてスタミナ切れです。

またこのブログを何度も読み返し、自己陶酔に
満足したら第3回を書きます!!!

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