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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第52章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第52章

 

自らが退場となることでチームを守った落合

先日の「【公式】落合博満のオレ流チャンネル」で、落合が退場回数歴代3位だったことを知った。

選手時代2回、監督時代6回の計8回。
選手時代の2回は、いずれも守備中、セーフの判定に抗議した結果だ。

落合は、選手・監督時代を通じて、審判とトラブルを起こしても何のメリットもない、という考えを持っていた。私は、選手時代に審判の判定に抗議しているのを見た

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第51章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第51章

勝つためにプロ野球の華を犠牲にした落合

落合は、就任1年目から勝つために様々な戦略を練り、他球団が思いつかないような作戦を実行に移した。

Numberの雑誌『なぜ今、読まれているのか 似て非なる名将 落合博満と野村克也。』でも、それらのいくつかが赤裸々に語られている。

私は、以前、落合がナゴヤドームで圧倒的に強いチームを作り上げるため、ナゴヤドームの使用球を飛ばないボールに変えた、という話を

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第47章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第47章

落合が32歳でたどり着いていた『負けない野球』

「投手を中心とした守りの野球」
言わずと知れた、落合が目指した野球だ。中日の監督に就任したとき、そう宣言した。

そして、落合は、実際にそれを8年間貫いて、圧倒的な実績を残した。

球史に残る大打者だった落合がいつからそんな考えを持つに至ったか。

私は、おそらく現役時代の晩年か、引退後なのではないかと想像していた。
しかし、最近、1986年の日本

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第41章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第41章

第41章 情を捨て、理知を貫いた選手起用がもたらした栄光

これは、荒木雅博が落合に、使う選手と使わない選手をどう測っているか尋ねたときの答えだ。

落合が監督時代の8年間、掲げ続けた中日のスローガンは『ROAD TO VICTORY』。何があっても、一切変えようとしなかった。

情より理知。

リーグ優勝という栄光への道を歩むために、戦力として必要かどうか。それだけを基準に、選手を起用し続けたの

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『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第40章』

『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第40章』

第40章「自分から右打ちなんてするな」

和田一浩は、2008年にFAで中日に移籍して、落合に打撃指導を請い、その結果として2010年に38歳という高齢でシーズンMVPを獲得した。

その後、さらなる打撃指導を受けて高みを目指したが、飛ばない統一球の影響もあって、2011年は逆に成績を落としてしまう。

それでも2012年以降もまずまずの成績を残し、2015年には79試合出場ながら打率.298、5

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『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第39章』

『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第39章』

第39章 「監督の仕事ってのは、選手のクビを切ることだ」

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著)には、印象に残る落合の言葉がいくつもある。

 その中の1つが2004年のシーズン最終戦の前日、戦力外通告を受けた川崎憲次郎が思い出したという言葉だ。

 この言葉は、2011年の落合退任後、谷繁元信が8年間を振り返ったときにも話していたから記憶に残っていた。

 落合は、監督

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『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第38章』

『ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第38章』

第38章『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』でえぐられるマスコミ

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平著 文春e-book)を読了した。

監督落合の8年間を日刊スポーツの担当記者として追い続けた記憶と、監督落合と関係の深い人々の取材を通じて、落合の実像に迫る作品だった。

読む前、私は、少しの不安があった。私がこれまでファンとして見てきた落合像とかけ離れている

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第37章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第37章

第37章 落合監督8年間の総括

 落合が中日監督を務めた8年間は、私にとって奇跡のようなサプライズの連続に映った。

 何せ、就任1年目に補強せずに現有戦力の10%底上げでリーグ優勝。その強さを8年間維持し続けたからである。
 しかも、8年間、補強と呼べるのはタイロン・ウッズと和田一浩の獲得程度であり、それ以外は、自前の選手と安価な選手を育て上げて、常勝チームを作り上げた。

 これは、FA移籍

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第36章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第36章

監督1年目と監督最終年が全く同じ結果だった落合の凄み

 2011年のクライマックスシリーズファイナルステージは、セリーグ優勝の中日がセリーグ2位のヤクルトをアドバンテージを含めて4勝2敗で勝ち抜け、日本シリーズに進出する。
 落合にとって、監督8年間で5度目の日本シリーズである。
 過去4度の日本シリーズは、1度日本一に輝き、3度敗れている。

 短期決戦は、波に乗った選手の活躍が結果を左右する

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第35章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第35章

第35章 落合解任への陰謀に屈せず、逆転優勝で球団史上初の2連覇~2011年~

 2011年10月18日、球団史上最大の10ゲーム差を逆転して、球団史上初のリーグ連覇を成し遂げた中日。しかし、優勝後、次々と明らかになってくる事実は、まるで映画のような衝撃的裏事情だった。
 数々のメディアで流れた情報を時系列の順に並べると以下のようになる。

 3月25日、中日球団社長に坂井克彦が就任し、球団代表

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第34章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第34章

第34章 先を見越した真夏のデーゲーム廃止と快進撃~2011年~

 2011年の前半戦終了時、中日は、2位ながら借金2と苦しんでいた。通例であれば、落合が次の年も監督続投なら、前半戦終了時に白井オーナーから続投要請がある。
 しかし、2011年は、それがなかった。白井文吾オーナーは、続投について「決めかねている」との発言をしていた。
 後から考えれば、当時、落合監督続投を求める白井オーナーと、落

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第33章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第33章

第33章 2011年の落合コメントから見る驚愕の予言計算

 2011年の中日は、東日本大震災の影響で4月12日開幕となったビジターでの横浜3連戦で負け越し。
 4月19日からの神宮でのヤクルト3連戦は、貧打にあえいでまさかの3連敗。

 この年に導入された飛ばない統一球に中日の打者たちは苦しんでいた。職人気質の繊細な打者が多いだけに、なかなか新しいボールに適応できなかったのだ。
 前年のリーグ優

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第32章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第32章

第32章 2011年の激動にも動じない、先を見越した戦略

 2011年は、落合監督の3年契約最終年である。
 もしかしたらこの年限りで契約終了となるのではないか。私にはそんな懸念があった。3月25日に西川順之助球団社長が退任したからだ。
 落合の能力を高く買ってくれる社長がいなくなり、エンターテイメントとしてのファンサービスをしない落合を快く思っていない勢力が台頭すれば、落合の続投はないかもしれ

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ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第31章

ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第31章

第31章 選手全員登録抹消の衝撃 ~2010年~

 この年の中日は、最大の目標であったセリーグ優勝を果たした。
 落合は、毎年、目標をリーグ優勝にする。リーグ優勝後の試合には大きな重点を置いていないかのように。

 それは、短期決戦があくまで時の運であることを落合は、身をもって知っていたからだ。いかにペナントレースで勝った強いチームとはいえ、短期決戦ではあっけなく敗れることもある。
 2人の投手

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