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世界はどんなふうに聞こえるか。そして妖怪の音へ。サウンドスケープ《音の風景》について 〜その2〜

「見る」ことだけじゃなくて、「聞く」ことで世界はもっと広がる。世界を違うかたちで感じることができる。「サウンドスケープ」の考えかたは、なにかと「目に見えるもの」ばかりに気がいってしまいがちな傾向に一石を投じた。
前回はそんなお話をしました。

今回は、サウンドスケープのこれからを見すえつつ、サウンドスケープへの批判に少し触れて、最後にはわたしの妖怪研究にそれらがどう繋がっていこうとしているのか、お話したいと思います。

サウンドスケープのこれから

わたしは、耳を澄ませることが大好きです。
なかでも、雨が降っているときのサウンドスケープはいちばん心が癒される。しとしとと静寂に包まれて、透明な気持ちになって、心のすみずみまで深く呼吸ができる。

サウンドスケープは、わたしに「聞く」ことの大切さを教えてくれた。そのおかげで、こういう「心地よさ」を繊細に感じることができる。

ただ、その心地よさを求める態度にはちょっとした落とし穴がある。
サウンドスケープへ向けられる批判のひとつは、上に書いたようにあるサウンドスケープを描いてみるとき、また世界を音からとらえなおすときに「心地よい音」を選びがちだという点。
人間だし、それは気持ちの悪い音や心地よくない音はイヤだ。分かる。わたしもそうだ。だけれど、「心地わるい音」を排除して、「心地よい音」だけで世界をとらえようとしていいのだろうか。それは、良し悪しで世界を判断してしまうことにならないだろうか。わたしたちは、もっと複雑で多様な音に囲まれていて、様々に関わり合いながら生きている。こういう点からの批判です。
うん、そうだよね、世界を「心地よい音」だけでとらえてしまっては、その豊かなありようをつかみ損ねるかもしれない。

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もうひとつは、少しややこしいかもしれないけど、そもそも「Landscape=風景」のなかに「音」も含まれているのだから、そこにあえてSoundscapeという新たな概念を持ちだして世界を切り分けてしまっていいのか、という批判です。
わたしたちがそれぞれの風景のなかで生きるとき、そこには目に見える景色もあれば、音もあるし、においもあるし、肌触りもある。わたしたちは、いちいちそれぞれを切り分けながら生きているのではない。渾然一体に感じながら、世界を生きている。

この批判は、Landscapeを「目に見えるもの」だけのように扱うこと自体がそもそも間違っているのではないか、という点から生まれています。
そう考えると、Landscapeに対置されたかたちで語られるSoundscapeは、その前提を失ってしまう。Landscapeのなかにsoundもある。わざわざSoundscapeという概念を持ち出して対置する必要がなくなるのです。

本来は五感で感じているはずのLandscapeを「目に見えるもの」だけで切り取って、その目に見えるものだけをLandscapeと言っている。そうじゃないでしょ、ということだ。
もっと全身でLandscapeを受けとめているのだから、同じような間違いをSoundscapeという概念でしてはいけない。そもそも要らないのではないか。世界を「目に見えるもの」で切り取ってしまったように、「耳に聞こえるもの」だけで切り取るのはやめようよ。そんな批判です。

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この批判を読んだとき、わたしは、なるほど、と思いました。
たしかに、世界は、目に見えるものだけで構成されてはいないし、聞こえる音だけでも構成されているわけでもない。世界はもっともっと複雑で、わたしはその複雑な世界を様々な感じかたで生きている。世界を全身で感じながら生きている。このとき、「Landscape=風景」は、五感をともなうもの、全身で感じるものとして立ち上がってくる。

これは、人類学者のティム・インゴールドさんが「Against Soundscape」という論文で指摘していることで、また深い話へ繋がっていくので、別なときに掘り下げていけたらなと思っています。

サウンドスケープがこれからどこへ向かうのか、とても興味深い話です。




妖怪の音とサウンドスケープ

さて、最後にわたしの「妖怪の音」研究で、サウンドスケープが投げかけるものとサウンドスケープの批判から、どのような問いが生まれてくるかについて、考えてみました。

まず、サウンドスケープという概念によって、世界を「見る」だけでなく「聞く」ことで、世界をまた違った面からとらえることができた。
このことを妖怪研究にあてはめてみると、妖怪たちを「見る」だけでなく「聞く」ことで、その世界がもっと広がっていくのではないか、という問いに繋がっていきます。妖怪はその「姿かたち」がよく話題になるけれど、その「音」を聞くことで、また違った世界が立ち現れてくるかもしれない。

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また、サウンドスケープへの批判を踏まえると、妖怪の音を研究するということは、「心地よい音を選びがち」な傾向とはまったく別のものになっているんだなと気づきました。
妖怪の音って、決して「心地よい音」として伝えられてはいないよね。ときどき、打出の小槌みたいな吉兆としての音はあるけれど。不気味な音だったり、よく分からない音だったりする。妖怪の音は、多様で、複雑だ。

さいごに、Landscapeが五感を使って全身で感じとるものだという立場をとったとき、妖怪研究はどうなるだろうか。なんだか妖怪のとらえかたそのものが変わっていきそうな気がします。妖怪を目に見えるもの・聞こえるものなどで切り分けて調べるだけではなく「妖怪をもっと全身でとらえる」という試みもできるのではないかと思います。妖怪を全身でとらえる。妖怪を全身で感じる。妖怪のLandscape。おお〜、どういうことになっていくのだろう。


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妖怪のサウンドスケープ、そして「サウンドスケープ」を乗り越えた先に、いったい何が待っているのか。

学問は、わたしにとって未知への冒険。
とてもワクワクしています。

少しずつ研究を進めながら、その都度またいろいろなお話をしたいなと思っています。
どうぞよろしくお願いします。






写真出典
"Sound Forest" by  Jacson Querubin
"Diversity" by Séb
"Adventure" by Scarlizz

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