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【symposium】(Part.3)「クバへ/クバから」_第1回座談会(レクチャー1)上演記録「三野新の作歴とプロジェクト全体の基本構想をめぐって」

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具体への帰属から抽象の濃淡へ

笠井 ある表現がなされるときにはまず、表現主体が持つ感情と、対象物(取材対象、撮影対象)が持ちうる感情の二者関係がある。その先に――もしくは二者関係のどちらかが鑑賞者になったとき、表現ないし鑑賞の主体が表現に対して抱くであろう感情がある。その三つのさらに「外」に、ここでは「共同性」と呼ばれている、表現の営みに加わる/加わらないという判断の「外」にいる人たちの感情もある。どの感情もそれぞれ固有の距離を持ち、それは東京から沖縄まで飛行機で何時間かかる、何kmあるといった物理的な距離とも重なる。ぼくら自身も現地取材を計画していたけれど、渡航中止を決断してこの座談会に臨むことになった。沖縄でも緊急事態宣言が出て、本島もさることながら、とくに離島の医療体制が逼迫しやすい状況にある。仮に僕たちが僕たち自身の危険を冒すことを許容したとしても、それが県内で暮らす人たちの望ましいことにはならないだろうしね。それもまた具体的な事情としてある。

鈴木 おそらくそうした具体的な事情も含めて、表現をとおして抽象的に思考される「関係性」の議論へと還元されていくとして、いろいろ考えていきたいものはありますね。たとえば「具体的な事情」に対してその抽象化はどうすれば可能になるのか、そもそも抽象化の過程を踏むなら「べつに沖縄じゃなくてもいいんじゃないか」っていう疑問もありえます。具体的なものの抽象化の手続きは、どこまでも具体的に進められていく必要があるのでしょう。「沖縄」という場所やモチーフに対して三野さんのなかで強く結びついている「イメージの遠さ」そのものの由来について、または沖縄で撮られた写真を写真集にするにあたっての三野さん個人の経緯というものもまた、具体的な事情として避けがたくある。今回のプロジェクトを通せば解が得られるという単純な話ではないかもしれないし、うまく還元できるものともいえない。難しさというか、鬱屈としたものがあるのであろうと思うんですね。

笠井 逆に言うと、その難しさを表現者個人のモチーフや感情の選択に収斂させるのではなくて、表現者が対象物との間で取り結ぼうとする関係を、その外にいる誰かにも受け止められるように、ぼくらがどれだけ手を差し伸べられるのかを考えるといいのかもしれません。表現者のすべてを知りえない第三者――鑑賞者、読者、視聴者にとって、もちろん三野さん以外にも写真家はいただろう、いぬのせなか座以外にもテキストの作者はいただろう。そのなかで「この」写真集を選択する必然性を、ひとつの道筋として示したい。hさんどうですか。

 私は三野さんが持っている問題意識にすごく共感しています。沖縄に遊びにいくと、すごく別の場所だ、異界だという感じがするんですよね。友達と沖縄に遊びに行くというときには、リゾートに行くとか、きれいな海で遊ぶとか、そういうことになりがちだし、そういう意味で自分の日常とはかなり遠い場所だという感覚もあるのですが、東京から移住したり、1年、2年限定で現地に住んでいる人とかの話を聞くと、また別の場所なんだと実感する。
 例えば、現地に住んでいると、青年会があったりして、それを通じて、お祭りであるとか、イベントなどに参加させてもらえる。若者がすごく少ないから人手としてありがたがられて、参加してほしいといってもらえたり、参加すればもちろん一緒に準備もやる。
 でも一方で、生まれてからずっと現地に住んでいる人たちからは、依然としてよそ者と思われているだろうし、移住した側も当然入りきれないみたいな部分があり続けるのではないか。現地に住んでいる人たちが長い間大切にしてきたことに関して、移住した側は自分がうまく理解しきれていないという感覚がどこかで残り続けるだろうし、理解できないなりに関わるにしても、今後もずっと関わり続けられるかどうかわからない。加えて、ある意味では、現地に住んでいる人たちによそ者と思われること自体も、移住した側は尊重する必要があるし、したい。結局、どちらの側も、生まれた瞬間から、あるいは生まれるずっと前からある「ここ」性みたいなものを無視できなくて、関係性をいつまでも更新できないというか。
 この、生まれや家系の問題は、心理的な距離におそらくとても強く影響していると思います。
 例えば、いま25歳の、どこか沖縄の島で生まれて高校入学とともに島を出て、その後島に戻るつもりのない人がいるとする。その人は、16歳からはもう島に住んでいないことになるし、今ももちろん住んでいない、これからも住まないだろう。ただ、実家は島にあって、時々、お祭りのときや休みのときは島に戻ってきたりはする。
 一方で、もうひとり、45歳の人がいるとする。この人は、25歳から島に移り住んでいて、すでに20年間も島に住んでいるし、これからも住み続けるだろう。けれど、生まれは東京で、親戚が島にいるわけでもない。
 こうした2人がいた場合、島に住む人たちからより近さを感じられているのは、島に移住し20年間住み続けている45歳の人ではなく、島にルーツのある、しかし島の外に出ていってしまった25歳の人なのではないか。もちろん一概には言えないことで、中には全く違うように感じる人もいると思いますし、そもそも、さっき一平さんも指摘していましたけれど、沖縄特有の問題なのかどうかもわからない。ただ、だからこそ、この問題は多くの人が共感できるテーマかもしれない、言ってしまえばおもしろくもある問題だとも思います。

笠井 「遠さ」を生み出す多種の距離が問題になると同時に、地縁や血縁、類縁と呼ばれる、「近さ」をもたらす多層の属性も論点になるわけですよね。その土地に生まれ育ち、その歴史を知っていることの価値を突き詰めていくと、血縁や家系による正統の持ち主がもっとも当事者性が濃いよね、という話にもなる。でも、それでいいのかと。当事者性には濃淡があって、ばらばらでまとまらない。その時、僕らも、僕らの共同制作に加わってくれる人たちも、ある土地にどういう縁(よすが)を見つけていくか。手探りするしかないんだろうけど。

役柄を固定する/流動化する

三野 今後もまた同じ話をすると思うんですけど、自分は最近、「役割/役柄」にすごい興味を持っています。「役」というものによって、自分自身の生活、日常的な仕事も規定されているし、家族との関係、他者との関係、恋人との関係も規定されているのではないか。当然その「役割」というのは、建前上のものとしてのみ機能する場合もあれば、契約として「役」を確定し、媒介として円滑に生活を送るための本音としての側面もあったりする。そうしたものを、今回の「上演」では、ある種実践を伴うことによって、今の「東京の私」「日本の私」みたいな形の「役柄」からどのように変化させることができるのかが目論まれるべきなんじゃないかと直感的に感じているわけです。ある種の「役」の変化が、この「上演」のプロセスの中で、参加者に気付きとしてわかることがあれば、僕は成功だと思う。変化させていったその先の「役」が、一体どういう「役」なのかは、まだ自分はわかっていないんですけど、それは今の私たちの「役」だとできないこと、難しさを解消するものになるだろうから、この「上演」を通してそうした「役」を設定することができて、そっちに「役」を変えちゃえる物語ができると良いなと考えています。

笠井 演技に関する問いですね。まずは「役」を発見しなきゃいけないし、発見した「役」とじぶんとの距離をきちんとつかんだ上で、それぞれがどの「役」になるのかを考えながら、戯曲における登場人物の「役割」の指定を、動的で書き換え可能なものとして扱えないか、と。三野さんがその演劇観に行き着いたのは――。

三野 自分としては、極めて一般的な演劇観だと思います(笑)。だって、普通に生活をしていると、日常生活のあらゆるシチュエーションで「役柄」の問題って絶対出てくる話だし、だからこそそれに対して色々な問題が生まれたり、「役」への向き合いのノウハウを人それぞれ持っていたりする。むしろ、僕は、なんでそこの部分をシアターで閉じて演じられる特殊な「演劇」としてのみ扱おうとするのか、日常を「役柄」とか「演劇」というものがインストールされた状態として見ている人がなぜ少ないんだろうと逆に考え込んでしまう。その意味で極めて普通の話だと僕は思ってますけど、そう考える人が少ないからこそ「役柄」はすごい固定化されやすく、固定化されちゃうと貼りついちゃって、なかなか変更出来なさみたいなことがあるんじゃないか。「僕は〇〇という役割を負っているんだから、他の役ではなく、まさにその役を全うしないと!」みたいな考え方によって人間の本来持つ自由さが奪われているし、生きづらさにもつながる。もっと「役柄」は流動的でありえると思うし、そもそも誰しも複数の役割を予め持っているはずなのに、一つの「役割」に固執させる圧力が強い。それこそ、僕がさっき言った「表現の自由さ」にもつながってくると思っているので、もう少し「役柄」を柔らかくというか、少なくともそういった芸術上の試みがあるといいのかな、って考えています。

山本 外から押し付けられるものではなく、また、自分の肉体から導き出されるようなものだけでもなく。より自由に。

鈴木 そのような役柄が、一般的に言われている役柄たりえるのか。

三野 それはいろいろ言われてますよね。哲学における実存としての問題もあるかもしれないし、平野啓一郎が言う「分人」のような概念かもしれない。

鈴木 何者でもない役柄、みたいなものを思い浮かべます。要するに、一つの名前にも固着できない。「流動的な役割」という視点から日常を演劇として捉えると、たとえば「私」が「父」や「会社員」といった複数の役割を持っていて、そこでは思考の様態それ自体がそのつどの役割と深く結びついている、という考え方ができるけれど、日常という複数の他者との関係が営まれる場では、それぞれの役割自体がさらに別の他者との関係を通して複数化していくのだろう、と。けれど、本来であればそうした複数化していく身ぶりの宛先に先ほど話した複数の役割があって、固定化された複数の役割へと割り振られていく過程がある。自分には複数の役割がある、という考え方そのものをより柔らかくしていくと、名づけえない役割が無数に分泌されることになると。

三野 それが理想ですが、今回はそこまでいってない(笑)。そこまで抽象的ではなくて、今回はやっぱりまずは沖縄のイメージに関して自由に表現ができる役柄っていうのがあると良いんんじゃないかなと。それでもまだ十分抽象的だけど、まずはそこから始めて例示する必要があると思っています。

笠井 固定性と流動性といったテーマが、これまでの対話を通じて前面に出てきた気がします。写真の撮影行為ともつながる論点でしょうか。

三野 そうかもしれないですね。写真はやっぱりどうしても固定しちゃうメディア的な特性がある。現実のなかの流動性をどうやって固着させるかということが、写真表現においては、歴史的に重要視されてきた側面がすごいあるわけです。「決定的瞬間」という写真表現独特の考え方も、現実に「この役」と、役割を命名しちゃうことの快楽に裏打ちされた、モダンな考えです。この役しかないっしょ、みたいな快楽は誰しも強烈に持っているわけです。それに溺れることもとてもよくわかる。でも、それはさっき山本くんの言っていた、僕の「狂っている」ことの両義性の問題にもなってくるのですが、役を固定させることの限界というか、やばさ、みたいなことが既に臨界点を超えている実感がある。

山本 なるほど。「上演」「写真」「アーカイヴ」といった諸々の問いが、お互いの理解のために過度に用いられていくことで、一緒くたになり、あるいはお互いを突き破ってしまいそうになっていく……それ自体の圧みたいなものが、三野さんにとってすごく重要なんだろうな。

三野 はい。そうだと思います。

(Part.4につづく

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写真家・舞台作家の三野新と、いぬのせなか座による、沖縄の風景のイメージをモチーフとした写真集を共同制作するプロジェクト「クバへ/クバから」…

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