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【symposium】(Part.2)「クバへ/クバから」_第1回座談会(レクチャー1)上演記録「三野新の作歴とプロジェクト全体の基本構想をめぐって」

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主語・身振り・恐怖の予感

笠井 三野さんの話を受けて、いぬのせなか座の面々から聞いておきたいことはありますか。

鈴木 そうですね。前提となる考え方のところで、日本における沖縄が持つイメージの遠さといわれていますが、「日本」っていう主語が結構でかいなというのを感じましたが……。

笠井 三野さんも「日本」と「東京」の言い換えをしていましたよね。

三野 そうです。そこが難しいところで、僕は多分「東京」の話しか具体的にできないんだけど、それでもこれは「東京」だけの問題ではないだろうという予感がある。言い換えれば、「日本」という言葉に抽象化させられるのではないか、と直感的に考えていて、それがこのプロジェクトの前提になっているんです。もちろん「東京」という言葉自体もさほど具体的ではないのかもしれないけれど、少なくとも「日本」よりは具体的ですよね。しかし一方で、実は「東京」だけの話かもしれず、例えば「鳥取」では考えられないかもしれない、といったこともあると思います。まだ僕もわからない部分があるんですけど、少なくとも今は「東京」っていうのは絶対そうだろう、というのが自分の実感としてあって、まず「東京」のことを考えていくのが先決かなとは考えている。

笠井 一平くんが「日本」という主語の大きさについて気になるのは?

鈴木 沖縄が都道府県のひとつ、日本の一部であるとしたときに、主語を「日本」とすると、わかりにくくなるものがあるでしょう。「日本」の言い換えとして「東京」が出てくるのも気になります。例えばそれは「ヤマト」とも言い換えられますが、そうしたときにどういう意味が働くのか、遠さという語における距離感がどのようなものなのかは慎重に考えるべきかなとおもいます。ヤマトとしてみると、かなりの具合でですね、その遠さをヤマトで生きる私が語るという感じになる気がします。それは自らが荷担する加害性を棚上げにしているか、あるいは自ら加害性を強く意識して内面化した上で語る、みたいな状況をもろに露出する言葉として現れる。遠さの起点となる日本という言葉がどのような意味を持つのかについて考えて、それはどのような言葉に言い換えられるのかというところを議論してみたいです。「日本」ではなく、「私」だったらどうなのかな、とか。話を聞きながら最初に疑問を感じたのはそのことですね。

笠井 三野さんが冒頭で「関係の対等性」と言っていたけれど、ある地名を名指すことそのものに、歴史的な経緯に由来する加害性が知らずしらず生じることはある。日本、大和、東京といった地理的な語選択こそが問題になる。それが一平くんの関心につながるんですね。他のみなさんはどうですか。

なまけ 三野さんにとってけっこう重要なキーワードとして、「身振り」がありますよね。演劇、上演における身振りだとイメージしやすいかもしれませんが、写真における身振りというのがどういうことなのか、また、演劇も写真もやっている三野さんのなかでそのふたつがどのようにつながっているのか、というところを意識しつつ、これまでの三野さんの実作の解説を聞いていきたいとおもいます。

笠井 上演における振り付けと、撮影中に視覚的な印象として得られた身振りのようなものの間に、三野さんは写真と演劇それぞれのジャンルの内的な必然性の重なりを汲み取っていて、どちらも「身振り」「イメージ」という言葉で名指されているんだけど、その回路がどんなロジックでつながっているのか。これから参加者のみなさんとも共有していけるといいですね。

三野 僕は「身振り」という言葉を両義的に使っています。それは一つには、写真のイメージの中で見える身振りらしきもので、もう一つには、実際にそれを撮影する、人に見せる、もしくは表現するときに行うある種の演出的、振り付け的な意味での身振りです。
 ただ、片一方が問題になるわけではなく、結局どういう風に記録され、アーカイヴされていくのかという問題にもつながっていて、割り切れる話ではない。テキスト化されたものにどれくらい入れ込むべきなのかという話にもつながるんですけど、現在行われている身振りと、記録された形/固定された形のイメージの中の身振りを、自分でもまだ明確に区別しているわけじゃないんです。

笠井 その分けられなさからして、「身振りに実効性がない」かと言うと、そうは言い切れない。

三野 っていうことも、余白になっていくんじゃないかなという気はする。

山本 なるほどな。一平さんが言っていたような、「日本」は主語として大きすぎるのではないかという問題と、いま三野さんのおっしゃられたような「身振り」をめぐる定義のゆらぎに関する問題は、三野さんにおいてどこか繋がっているように、個人的には理解しています。
 つまりどちらの問題も、この私がある対象に普遍的な構造や考えを見出しつつ、しかしそれが本当に普遍的なものなのかどうかわからない、致命的に間違っているかもしれない、という躊躇や疑いも同時に強く感じる。そうした、自らにおいて半ば強制的に起動する私的感覚と、それがやはり自分のなかで半ば強制的に普遍へ引き上げられてしまうことによって生じる、相反する考え同士の衝突……そこに伴う「圧」にこそ、表現上の価値を見出し、接近していこうとする、というのが、三野さんの特徴としてあると思う。

三野 だから最悪なことを言うと、僕がずっとめちゃくちゃ間違え続けていて、意味がないことをひたすら言い続けているみたいな、当然そういう可能性が賭けられているわけです。自分は単なる狂人なのか、どうなのか。

山本 そう。ある種の危うさを秘めている。あるいはその危うさこそが、三野さんのなかで、ずっと検討され続けている……。そういったところが、ぼくが三野さんの活動に私的に惹かれているポイントのひとつなんだと思います(笑)。
 またこれは、三野さんが自身のプロフィールでずっと「恐怖の予感を視覚化する」というテーマを掲げ続けていることとも、繋がってくる話ではないかと思っています。個人的なものでありながら共同的なものともされがちな「恐怖」という情動。それをめぐり抱かれた私的な「予感」を「被写体」に据え、客観的に把握可能なかたちに「視覚化」すること……あるいは「視覚化できた」と勝手に信じてしまうこと。個別と普遍、私的感覚と共同的感覚のあいだで起こる、誤認ではあるがしかし「圧」自体は確かに存在している、みたいな状態こそが、三野さんの作品で問われ、検証され、作られているものなんだろうなと感じています。

加害の構造、感情と態度

鈴木 そこで共同体の問題を意識するときに、《イメージの遠さ》という言葉はどのような意味を持ちますかね。共同体において共有されるなんらかの感情やイメージがあるとして、《イメージの遠さ》という言葉が示すもの、例えば今回であれば沖縄と名指される場所、ないしはその場所に対するイメージですが、果たして沖縄と名指される場所に住む人は、そうしたイメージにおいて共同体としての関係を持つことができるのか。共同体におけるある構成員が、感覚的に遠さを抱えているべつの構成員と、どのようにその遠さの感覚を共有できるのか、あるいは、そこでいう共有はどのようなものとして考えられるのか。こういいながら考えたのは、遠さを感じる相手に対して共同的という語を用いること、あるいは他方が加害性を持つようなありかたで歴史的に形成されてきた複雑な関係を前提としながら「遠さがある」と語れてしまうのは、どういう事態を意味するのかということですね。

三野 だから、一般的にも歴史的にも、そうした遠さがあるなら近くすればいい、っていう話になりますよね(笑)。それは当たり前なんですけど。「近くすればいい」という考え方によって裏打ちされるその「近さ」も、作者の実感の中で、ともすれば永遠に「近さ」がないという感覚の中で表現にしていかなければいけない、表現にしてしまった人たちの歴史の現れなのかもと考えています。明確に「近い」人は永遠にいなくて、だけどどう「近づいたか」というプロセスによって、その「遠さ」が間接的に表現されていくという表現形式はある。その一方で、逆にゴダールの『ベトナムから遠く離れて』とか、3.11のあとに作られたイェリネクの『光のない。』のような作品が生まれてもいる。ある種の「遠さ」が、そのまま表現に向かうためのきっかけや、歴史的な文脈としても存在できるということですね。
 だから、結局「近さ」と「遠さ」というのは、やっぱり作者の実感としてある部分と、その回路としての身振りが重要になってくる部分がある。今、「身振り」って言っちゃったなと僕は思っちゃったんだけど(笑)、一般的に言えば「態度」ですね。鑑賞者に対して作品が与えるものとして、その両方が見てとれると思います。全然話が飛んじゃうかもしれないけど、僕の中ではハラスメントの問題ともつながっていて、「態度」の問題としても考えられるのではないか。そういった中での制作や表現のあり方も、すごく考えている部分があります。

鈴木 ハラスメントの問題を話題に挙げたところは、まさしくこのプロジェクトをやる上でかなり重要であるとおもっています。イメージの遠さを一つのテーマに設定していること、あとは被写体としての沖縄、というような書き方をしていることとそれは強く関係していると感じます。タイトルには「クバへ/クバから」とスラッシュが置かれています。今のところ我々の視点は「クバヘ」として置かれていますが、「クバから」は存在していない。スタートの時点で差別的ともいえる構造が生じている。多大な距離感というのは、そもそも差別意識と言い換えられるのではないかと。かつ、差別意識を我々という主体が持っているということを自己認識するとして、その構造をナルシスティックに保ったままでこの制作を終えてしまうのは、もっとも避けるべき結末だとおもいます。ただスタートの時点ではそれが明らかに存在しているという意識を持ったかたちで始めていくこと、そこからなにかを立ち上げていこうという態度は重要だとおもいます。ここからどうなるかは正直ちょっとわかってないですが、本当に大丈夫なのかという不安があります。「クバへ/クバから」といっているけど、「クバから」と送り返される視点、つまり「クバ」に接近したことによって生じる問題は、最後まで我々にとっての問題でしかないのかもしれない。

三野 そうだね。まずは自分が差別している事実を表明することを出発点とする。

鈴木 そうなると、それって「クバから」じゃないじゃん、という。最後まで「クバから」の視点がないままで終わることもあるわけですね。これから「クバへ」の視点で沖縄について考えよう、沖縄に行きましたと。その結果として学ぶべきことはありましたが、メンバーのだれかが実はコロナにかかっていました、我々はいろいろ勉強できたけど、沖縄に対してはただただコロナを広めてしまいました、みたいな話でもいいですよ。あるいは、この座談会をしているあいだにも沖縄には非常に大きな台風が接近しています。にもかかわらず、東京で我々は沖縄の遠さについてのんびり語り合っていますが、それこそが「遠さ」を反復してしまっているのではないか。否定的な問いばかりになってしまいますが、スタートの地点からそうしたことを感じています。それはでも、ぼく自身にとっても避けられない危うさでもありますね。ぼくは詩を書いていて、このあいだ渋谷にあるミヤシタパークに行って「みんなのミヤシタパーク」という詩を書いてきました。宮下公園はかつてナイキに命名権を買収されて、公共空間が企業の管理下に置かれかけるという騒動がありました。山田亮太という詩人がそれを受けて、2010年に「みんなの宮下公園」という詩を書いたんですが、「みんなのミヤシタパーク」はさらにそれを受けて書いたものです。けれど、結果的にそれを書いたことによってなにが達成されたのかみたいなものが、結局はかつて「みんなの宮下公園」が書かれたという事実に対する応答でしかないこと、単にポエムの側の事情、詩の歴史的な関係図をかなり意識したものでしかないこと、実際そこで問題とされてきたものへのアプローチや、当の被害者である立場の人たちに対するアプローチとしては非常に貧弱である、というところもちょっと踏まえた上で話してるところあります。

三野 だから、「遠さ」というのは、この「上演」に参加するあらゆる人の問題でもあるなと思いました。沖縄の風景に対する問題でもあるし、一平くんがいう自身の表現自体の問題に必ず内包する話でもある。

鈴木 そうですね。スタートの時点ではフラットに語れるようなものはない。距離感っていうものは、A点からB点への物理的な距離では全くない。心理的な距離ということは、その心理的な距離が生じうるであろう主体だったり、主体から見られた対象といった関係があって生まれるものなのだと。対象の側から見られる視点を取り込むことはむずかしいし、ここではあえて対象という言葉を使いましたが、そもそも我々も対象として見られている立場を持つことはいうまでもないことです。その関係においては意識化されない差別感情というような、ポジティブでないイメージも多分に含むでしょう。その感情をどう考えていくことができるのか、それについては強く引き受けたいですね。問いとして提案できたところで、ある程度は引き受けられているのかな、と信じたいです。思ったことを話している感じになっちゃいますけど。

(Part.3につづく

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写真家・舞台作家の三野新と、いぬのせなか座による、沖縄の風景のイメージをモチーフとした写真集を共同制作するプロジェクト「クバへ/クバから」…

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