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【symposium3】「『沖縄の風景』をめぐる7つの夜話」第6夜(12/26)「写真へ/写真から、詩を書いてみて考えたこと」(発表:鈴木一平)

※本稿は、「クバへ/クバから」第3回座談会(シンポジウム)「「沖縄の風景」をめぐる7つの夜話」第6夜(12/26(土)20:00-)の発表資料です。

鈴木一平による、三野新・いぬのせなか座写真/演劇プロジェクト「クバへ/クバから」の「外」で演じられた「上演」の部分的な報告。
「プロジェクト上演」としても位置づけられる本プロジェクトの以前から実施されている鈴木一平による「生活の上演=詩」として、webマガジン「空気の日記」で掲載された、本プロジェクトをめぐる詩について。


●鈴木一平について

・1991年、宮城県生まれ。2016年、いぬのせなか座より第一詩集『灰と家』を刊行。

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「遠くが見える」(2018年)

前世紀

「前世紀(冒頭)」(2018年)


●「空気の日記」について

・webマガジン「SPINNEER(スピナー)」
《2020年、創業35周年を迎えるスパイラル/株式会社ワコールアートセンターは、新しいweb上のコミュニケーション&マガジン「SPINNER」をスタートします。「生活とアートの融合」をテーマに、展覧会やイベントなどスパイラル館内の催事から、まちづくりやモノづくりまで、多くのアーティストたちと様々な事業を手がけてきました。「SPINNER」は、こうした取り組みを通じてつながりを持てた魅力溢れるクリエーターたちのプラットフォームとして、多彩な発信を行う場にしていきたいと思います。》
https://spinner.fun/


・「空気の日記」について
2020年4月1日より連載している、詩人による輪番制の「詩/日記」企画。
《新型コロナウイルスの感染拡大により、街の様子がすっかり変わりました。多くの人々が、せいぜい悪性のかぜみたいなものだと思っていたのはほんのひと月前で、社会の空気の変化に驚いています。未曾有の事態なので様々な出来事は記録されていきますが、こういう時こそ、人々の感情の変化の様子をしっかり留めておくべきではないかと思いました。「空気の日記」は、詩人による輪番制のweb日記です。その日の出来事とその時の感情を簡潔に記していく、いわば「空気の叙事詩」。2020年4月1日より、1年間のプロジェクトとしてスタートします。》
https://spinner.fun/diary/


・「プロジェクト上演」の外部で行われる上演プログラム。新型コロナウイルス感染症流行に伴う詩の活用プロジェクトに対して、別のプロジェクトを導入する謎の試み。


●「11月5日(木)」について

・三野新と(笠井・鈴木を除く)いぬのせなか座メンバーによる沖縄渡航で撮られた1,200枚の写真をもとに制作。

・写真を受けて喚起された感情や、写真の内容の描写ではなく、「それがなんの写真であるか」を制作者の判断に基づいて述べたり、写真内の文字を引用している。

《機械の動きを見て笑っている夢を見る。一週間ぶりの在宅勤務。部署の先輩が異動になる。山本・hさん・なまけが三野(新)さんと沖縄に行って、戻ってくる。滞在中に撮られた1,200枚ほどの写真が共有される。以下、山本撮影。久高島で撮られたらしい海や岩、クバ(ビロウ)の写真。海岸で妙なポーズを取っているhさんの写真。海面を撮る三野さんの写真。でんぐり返しの姿勢で死んでいる(?)蟹の写真。岩の写真。岩を撮る三野さんの写真をいろんな角度から撮った写真。ヤドカリの写真。ヤドカリを手に乗せている写真。看板の写真。看板の文字を読む。《ハビャーン 琉球開闢の祖アマミキヨが降誕、あるいは上陸した聖地とされる。漁労の神役であるソールイガナシの神は、ハビャーンの森にいるタティマンヌワカダラーだといわれ、二頭の白馬として語られることが多い。》《ビロウの社 カベールの林の中には、ビロウ・クロツグやアダンなどの植物が生い茂り、様々な動物たちの住みかにもなっています》《久高島フボー(クボー)御嶽 久高島の中央西側にあり、琉球開びゃく神話にも登場する七御嶽のひとつです。昔から霊威(セジ)高い御嶽として、琉球王府からも大切にされてきました》《ご協力ください 久高島フボー御嶽は、神代の昔から琉球王府と久高島の人々が大事に守ってきた聖域です。神々への感謝の心と人々の安寧を願う場所であるため、何人(ルビ:なんぴと)たりとも出入りを禁じます。》枯れて色の抜けたクバが道の奥でうなだれている写真。ヤドカリの写真。ハイビスカスの写真。重なり合う木の葉の写真。撮った写真を見ている三野さんの写真。自転車に乗る三野さんとhさんの写真。蜘蛛の巣の写真。蜘蛛の巣に触れる手の写真。牛の写真。(...)》
https://spinner.fun/person/poets16/

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山本撮影

《でんぐり返しの姿勢で死んでいる(?)蟹の写真。》

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山本撮影

《久高島フボー(クボー)御嶽 久高島の中央西側にあり、琉球開びゃく神話にも登場する七御嶽のひとつです。昔から霊威(セジ)高い御嶽として、琉球王府からも大切にされてきました》
《ご協力ください 久高島フボー御嶽は、神代の昔から琉球王府と久高島の人々が大事に守ってきた聖域です。神々への感謝の心と人々の安寧を願う場所であるため、何人(ルビ:なんぴと)たりとも出入りを禁じます。》

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山本撮影

《自転車に乗る三野さんとhさんの写真》


●先行作品「みんなの宮下公園」「みんなのミヤシタパーク」

・「11月5日(木)」の元ネタ(?)。「11月5日(木)」を書くにあたって先行作品となる「みんなのミヤシタパーク」と、山田亮太による「みんなの宮下公園」。

・山田亮太「みんなの宮下公園」(2010年)(『オバマ・グーグル』所収、思潮社、2016年)…ある時期の、ある場所に足を運んで、そこで採取した言葉を配置する。宮下公園はナイキ買収によるホームレス排除や管理に対する抗議文言が、公園の言葉と並列していた。

《落書き禁止 「きれいなまち渋谷をみんなでつくる条例」 違反者は、処罰されます。 見つけた人は警察に通報してください。/おおむらさきつつじ つつじ科/ここはみんなの公園です。うらに書いてあるきまりを守って、みんなでなかよく遊びましょう。/NO NIKE!! ナイキ 悪/ゴミは持ちかえりましょう/水を大切にしましょう/公園はみんなのものだ! PARK is OURS/フットサル場 使用上の注意 このフットサル場は、ゴムチップ入り人工芝を使用しています。きれいな緑と足にやさしい使用感をいつまでも保つため皆様のご協力をお願いいたします。/皆様のフットサル場です。大切に使いましょう。/フットサル場は平成22年4月末まで休場いたします。/防犯カメラ作動中/喫煙所/忘れ物・落とし物にご注意ください/ゴミ等はお持ち帰りください/カン・ビン ペットボトル その他のゴミ/さんごじゅ すいかずら科/れんぎょう もくせい科/渋谷区土木部/不審物を発見したときは、区役所の公園又は警察に連絡願います。なお、無届で集会等を開くことで、不法に占拠することを禁止します。/消えないで公園/荷物をあずけている方へこの倉庫に荷物をあずけている方は、布テープにマジックで名前を書いてください。名前のない荷物は4/19(月)に別の場所に移動します。/みんなのCAFÉ いらっしゃい/わたしたちは、以下の問題があると考え、反対しています。/企業の宣伝・営利に使われること。誰もが憩える公園でなくなること。手続きが不透明かつ非民主的なこと。渋谷区の目的が、公園からの一方的な「ホームレス排除」、街からの「スケーター排除」であること。わたしたちは、この計画の白紙撤回を求め、工事を着工させないために、デモなどを行い、現在テントを張っています。(...)》(「みんなの宮下公園」)

・「みんなのミヤシタパーク」(「8月31日(月)」(「空気の日記」))…本作品は宮下公園がかつてあった場所の10年後を舞台に、「みんなの宮下公園」と同じ方法で書かれた。渋谷区と三井不動産株式会社による新宮下公園等整備事業として、2020年に「ミヤシタパーク」(商業施設「RAYARD MIYASHITA PARK」、 公園「渋谷区立宮下公園」、ホテル「sequence MIYASHITA PARK」)に生まれ変わる。

《落書き禁止 「きれいなまち渋谷をみんなでつくる条例」 違反者は、処罰されます。 見つけた人は警察に通報してください。/この遊歩道の下には、渋谷川が流れています。/宮下公園は、誰もが自由に遊んだり散策できる憩いの場です みなさんが、気持ちよく使えるように お互いにルールやマナーを守りましょう/ NO SMORKING 禁煙 喫煙は指定の喫煙所をご利用ください。/お知らせ 渋谷区立宮下公園では、安全管理のため、 以下の物を使用する為に持ち込むことを禁止ます。 ご理解ご協力をよろしくお願いします。  ●花火・火薬などの火器 ●タバコ類(喫煙)  ●銃及び剣類(モデルガン、模造刀、木刀、竹刀を含む)  ●野球、テニス、サッカー、ゴルフ等の球技の用具類(ビーチスポーツを除く)  ●テント・タープ ●のぼり旗類 ●拡声器、メガホン等 ●ラジコン等(ドローン含む)  ●ブーメラン、フリスビー類 ●凧、バルーン類 ※その他、安全の支障になるものは持ち込みできません。 ※スケートボード、インラインスケートは、スケー ト場以外では使用できません。/お知らせ 渋谷区立宮下公園では、快適な公園利用のため、以下の行為を禁止します。ご理解ご協力をよろしくお願いします。 ●施設を損傷、 汚損する行為 ●焚き火などの火器の使用 ●貼紙や貼り札、または広告の表示 ●大音量の演奏や合唱、演説 ●ビラや物品、飲食物を配布 ●工作物の設置 ●寝転がるなど 来場者や歩行者の妨げになる行為 ●長時間のベンチ等の使用 その他、下記行為をしようとするときは、管理者の許可が必要です。 ・物品の販売その他の営業行為 ・業として写真又は映画の撮影など ・演説または宣伝活動をすること ・集会、展示会、競技会その他これらに類する催しのために公園の全部または一部を独占して利用すること ・募金、署名運動など ・興行を行うこと(...)》(「みんなのミヤシタパーク」、「8月31日(月)」)


●「上演」としての詩

・採取した言葉で詩を書くことは、「私の言葉ではない言葉」で詩を書く態度を提示する。

・しかし、「私の言葉」と「私の言葉ではない言葉」の差異は、テキスト上には存在していない(テキストそのものに、両者を分ける基準が存在していない)。テキストは単に「制作者がミヤシタパークを訪れ、そこに書かれた言葉だけで詩を制作した」過程を仮構するにすぎない。

・なんらかのプログラムに沿って書かれたテキストは、あるときにある場所で行われた上演のアーカイブとして残される。提示されたテキストそれ自体を読むのではなく、それを上演の結果として見ることで、当のテキストが制作されるにあたっての「舞台」「俳優」「演出」も同様に仮構される。

・どのような演劇か? ある場所に赴いて、そこに存在するテキストで詩を書くことは、制作者に先行する「必然性」を詩に強いると考えてみる。制作者は自らの内面を経由した言語を、詩に書き込むことができない。

・熊木淳によるアルトー論『アントナン・アルトー 自我の変容』を参照。「残酷演劇」の「残酷さ」は、徹底して外在する必然性に強いられた私のふるまいから表現を立ち上げること。

《テクストは物語として俳優に特定の振る舞い、特定の言葉、特定の思考を実行することを求める。これによってある必然性が舞台上に現れることになる。しかしそれを具体的に俳優に強いるのは演出家であり、演出家こそが俳優からその内面の自発性を奪い、彼らの行為の動機づけを外在化するのである。》(『アントナン・アルトー 自我の変容』)

・俳優(=ここでいう制作者)から「内面」を奪い、外在化されたテクストと演出が、俳優に行為することの受動性を強いる。必然性のもとで行為すること、「受苦性」から「行為」への移行が、単なるテクストや演出の模倣ではない「演劇」を立ち上げる。

・ではこれらの作品で「俳優」の身体はどのように提示されるか。→選択を巡る政治性が、表現主体を提示する。すべてを書き留めることができてしまうが、書き留めることはむずかしい。そもそも書き留めることでは詩にならない。すべてを書き留めないことで私の詩が成立する。書き留めることの歪んだ中立性。一見すると現状に対する態度が表出されないが、なにかを無視している。いわば、制作の暴力性が語ることではなく、語らないことによって提示される。


●沖縄の「手前」での制作について

・「みんなのミヤシタパーク」と「11月5日(木)」のあいだにある差異は、本プロジェクトのキーワードでもある「距離」を抱え込む。

 ①「写真を撮ること」と「詩を書くこと」
 ②役柄の問題
 ③撮影者と制作者の「主観性」
 ④(複数の)撮影者の主観性と、記述者の主観性

①「写真を撮ること」と「詩を書くこと」

・写真を言葉によって翻訳することは当然ながら不可能。本作品で「写真」という語は、写真に収められたイメージについて語るというより、イメージを記述へと輸送するための装置として機能する。

・それは、翻訳不可能性の問題というより、「みんなのミヤシタパーク」から転用した方法がもたらす記述することによる類型化の過程を伴う。それは、「みんなのミヤシタパーク」において記述されたテキストそのものへの美学的な検討を行わなかったのと同様に、撮られた写真(およびその被写体や構図に関する)への美学的検討を行わなかったからでもある。

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山本撮影

《久高島で撮られたらしい海や岩、クバ(ビロウ)の写真。》
※クバなのかどうか不明。
《それは「日記」を書くうえで採用したスタイルそれ自体の問題でもあるのですが、たとえば「砂浜の写真」という記述は、それがどのような色合いの砂浜であり、海はどのようにそこで存在し、まわりにどのような岩や植物が存在していたのかを捨象した――端的にいえば「沖縄」や「久高島」の「砂浜」が持っていた具体性(山本はたとえば色彩についての指摘をしていましたが)を、一般的な砂浜のイメージへと類型化している。それは「当事者性」への軽視であるともいえる。》(「11月27日(金)」)(「空気の日記」)

②役柄の問題

・沖縄渡航に参加しなかったことで、役柄が「沖縄に行かなかった人間」になる。「みんなのミヤシタパーク」で制作者は「ミヤシタパークに赴き、言葉を探して歩き回る人間」としての役柄を振る舞ったが、本プロジェクトでは「沖縄に行かないこと」がみずからの生活に及ぶ(包括的な)役柄を生み出した。

・ここで、制作者は「沖縄」を権利的に経験できていない。音や匂い、時間、「空気」を経験していない。つまり、みずからの経験から沖縄について語ることを欠かれながら、沖縄についての詩を書くことを強いられる状況が生まれた。

③撮影者と制作者の「主観性」

・写真は、撮影者の恣意性によって撮影される。それは記述者にとって、撮影するに値する動機を理解できたものもあれば、理解できないものもある。

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山本撮影

《花壇の写真。《手を触れないでください。お花を大切に!》》

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山本撮影
使用せず(外から見る「身ぶりの重さ」を考える)。

・一方で、私が見たいものを写真は与えてくれない可能性もある。「日記」を書くにあたって「文字」へのフォーカスは主要な目的となるが、それを前提としていない写真は、しばしば文字が途切れる。「見たいものが見られない」「見られないものがある」ことを書くこと。

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山本撮影(拡大)

《美ら海を 基地に〔機動隊員の背中で遮られ、読めない〕たま〔同上〕(別角度からの写真では「し」を確認。「美ら海を 基地にしてたまるか」、か)》

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山本撮影

《いきもの おびやかす 基地は いらない 工事を止メェて 早くやメェ》《●●●●●(「沖縄県民よ」、か) 今こそたちあがろう》《ヘリ基地反対協》《予算をコロナ対策へ! 違法工事を中●●(「止!」、か)》

・看板や旗の写真が多数撮られているのは山本による鈴木への「配慮」があった(らしい)。

《写真はあらかじめ記述されることを前提として撮られていません。看板などが代表的な例ですが、ところどころで途切れていたり遮蔽物があったりして判然とせず、細かすぎて読めない字などもある。看板の文字をひたすら文字にする方法は「みんなのミヤシタパーク」という作品でも実践したのですが、そこで看板と結んでいた関係とは異なる距離がここでは設定されています。後日談的に、山本からは「みんなのミヤシタパーク」を書いた鈴木への配慮があり、看板の写真をできる限り撮影したと話されましたが、すでに看板の文字が鈴木によって書き起こされることが撮影者に意識されていたことを念頭に入れても、私ではない他者の撮影行為が介在することで発生するノイズはどうしても避けられない。つまり、この配慮と現象のあいだの歪みはそれを知覚する私の視点を媒介することで生起する「わかりあえなさ」の視覚的なイメージとなっています。》(「11月27日(金)」)(「空気の日記」)

・ノイズの問題は、写真から立ち上げられることで可視化されるものでもあるだろう。限られた経験は、その有限性と共同することで、渡航経験を解するのとは異なるイメージの組み合わせを立ち上げる。

・「撮影者の主観性」と「記述者の主観性」の分離。しかし、だからこそ「写真が撮られること」と「写真を見ること」のあいだの過程を含んだ制作の契機が生まれた。

④(複数の)撮影者の主観性と、記述者の主観性

・異なる撮影者による「異なる撮影意図」が写真に反映されている。それに気が付いて書き留められた言葉もある。撮影者それぞれが持つ複数の主観性と、制作者の主観性のあいだの交錯。

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山本撮影

《《ホステス採用 泡〔フレーム外のため、以下読めない〕》と書かれた看板の横で、まぶしそうな顔をするhさんの写真》

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h撮影

《《ホステス採用 泡盛》》
※《千草》や《連絡先●●-●●●●》を無視していたことに、気がつく。

・余談として、「撮られたものを書く」という方法論は、撮られた写真の性質と構造的に類似している。共有された写真には、「なにかを撮る人を撮る写真」が目立った。「みんなのミヤシタパーク」の方法論を採用したのも、抽象化された写真群の構造との類似=反復が見えたから。

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h撮影(山本撮影)

《妙なポーズを取るなまけを撮る三野さんの写真》

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山本撮影

《岩を撮る三野さんの写真をいろんな角度から撮った写真》
※べつにいろんな角度から撮っているわけではないことに気がつく。


●まとめ

・「11月5日(木)」は、本プロジェクトを土台としつつ、複数の要素が関わり合って生み出された(それぞれに異質な「距離」を抱え込んだ)イメージについての詩である。
①プロジェクト=三野新・いぬのせなか座写真/演劇プロジェクト「クバへ/クバから」
②異なるプロジェクトでの制作=「空気の日記」
③上演空間=「みんなの宮下公園」「みんなのミヤシタパーク」
④表現ジャンル=写真と言葉
⑤流通過程=写真を撮ること/写真を見ること
⑥役柄間の主観性=沖縄に行った人間/行かなかった人間、撮影者/記述者

・課題点
①撮影行為と撮影された対象、写真という表現そのものに対する思考が足りない
②「写真へ/写真から」にとどまり、「クバ」=沖縄との距離を詰めていない
③三野新の作品についての直接的な参照が薄い

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写真家・舞台作家の三野新と、いぬのせなか座による、沖縄の風景のイメージをモチーフとした写真集を共同制作するプロジェクト「クバへ/クバから」…

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