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在野研究者の情熱がうんだ「エロマンガ」表現の通史――稀見理都『エロマンガ表現史』

稀見理都『エロマンガ表現史』が、とてもおもしろかった。自分はそれなりにエロマンガを読んでいるほうだと思うが、エロマンガを読んだことがなくても、マンガというジャンル全般に興味がある人なら、楽しめる1冊だと思う。実際、売れているようで、2020年1月現在、12刷りとのこと。

エロマンガの研究には、永山薫『エロマンガ・スタディーズ』という名著がある。発表された2006年当時、エロマンガは研究や評論の対象としてはほぼ手つかずの分野。その未開の地を開拓して、エロマンガの歴史やそこで描かれるセクシャリティを体系立てて解説した画期的な本だった。エロマンガ研究を立ち上げた1冊といってもいいだろう。この『エロマンガ・スタディーズ』に衝撃を受けてエロマンガ研究を始めたのが、本著の著者、稀見理都(きみ・りと)だ。

本著は、稀見理都の著作として2作目になる。そこで表現史を選んだのは興味深い。エロマンガは、エロという機能性がある程度求められ、一般のマンガでは見ることが少ない部位やポーズ、シチュエーションを書く。その結果、例えば「アヘ顔」や「乳首残像」のような、一般のマンガでは見ることが少ない「とがった表現」が見受けられるからだ。特に、おっぱいの表現は、ほぼ必ずエロマンガに登場することもあり進化のスピードが早い。本著第一章「『おっぱい表現』の変遷史」を読むと、エロと親和性が高い青年マンガとお互いに影響を与えながら、新しい表現技法を次々と生みだしていくさまが豊富な図版とともに解説されている。表現の進化と豊かさ、マンガ家たちのおっぱい描写への情熱に、ただただ驚きを覚える。

一般のマンガ評論の分野で、表現論が大きく注目されたのは1995年に出版された「マンガの読み方」からだ。それまでの評論ではほぼスルーされていたマンガの「表現技法」について、手探りで見つけていくような内容だった。そこから2005年の伊藤剛「テヅカイズデッド」に至るまで、マンガ表現論ができあがる過程は、非常にスリリングだった。当時のムーブメントは、どうマンガ評論を刷新し、新しくジャンルを作っていくかが、強く意識されていたように思う。あのときのような「ジャンルを作っていこう」という情熱が、本著のひょうひょうとした文体の端々から感じた。

本著によると、エロマンガ研究はそもそも研究者がほぼいない。実際、学術論文を検索できる「Google Scholar」や「CiNii」、「J-STAGE」で「成人向けコミック」等の単語で検索すると、「表現の自由」についての論文や青少年に及ぼす影響について分析した論文がわずかに見つかる程度で、エロマンガそれ自体を研究した論文はヒットしない。当然、研究の基盤になるようなアーカイブやDBも整っていないそうだ。図像を集めなければならない表現論研究にとっては、致命的なはずだ。そこで、稀見理都はどうしたか。とあるイベントで見た限りでは、彼は在野でありながら、膨大なエロマンガを集め、アーカイブを自前で整えながら研究しているのだ。このDIY精神が本著の熱気の根源にあるのだろう。エロマンガというオルタナティブなジャンルならではだと感じる。

エロマンガ界に逆風が吹いているなかで、このような人がいるのは、心強い。エロマンガをくだらないものだと思っている人も、だまされたと思って是非この本を読んでほしい。なお、図版(=エロい絵)が豊富なので、子どもの前や電車の中では読めない。その旨だけはご了解を。

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