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オリンピックにたかるクズどもと山田風太郎―『悪の五輪』を読んで

月村了衛・著『悪の五輪』(講談社)が、おもしろかったよ。

ざっくりあらすじを説明すると、東京オリンピックの記録映画を身内の監督に撮らせて、アガリを稼ごうとする映画マニアのヤクザの話。

まず、タイトルがいい。『悪の五輪』。有象無象のクズどもが五輪マネーのおこぼれにあずかろうとするさまを、これほど簡潔に示したフレーズはない。日本の過去の風景であり、いまぼくらの目の前で起きている現実でもある。

それから、映画への偏愛がいい。アウトローの世界にすら違和感を抱えて、映画館の暗闇に居場所を得る主人公に自分を重ねる映画好きは多いだろう。

キャストがいい。児玉誉士夫、花形敬、永田雅一――戦後から高度経済成長期にかけて喧噪に包まれた日本を闊歩した化物たちが、次から次へと登場し、主人公を五輪をめぐる狂騒と陰謀と腐敗の渦に巻き込んでいく。

実在の人物が重要な役割として登場する手法に、『警視庁草紙』や『地の果ての獄』など山田風太郎の明治物を連想するひとは多いだろう。実際、著者はインタビューで、以下のような発言をしている。

『悪の五輪』が『東京輪舞』と共通している手法はもう一つあって、個人的に山田風太郎メソッドのひとつと呼んでいるんですけど、山田風太郎の明治ものに明らかな手法で、史実と矛盾しない限り、実在の人物と出くわしてもいい。それが物語にいい意味で作用してくれると面白いんじゃないかと。

もっとも、著者が山田風太郎から受け継いだのは、このメソッドだけではないはずだ。前作の『東京輪舞』を通底する、時代の流れにとりのこされてしまったものへの共感と、その共感すらも笑い飛ばしてしまう世の中へのニヒリスティックな視点の同居。『機龍警察』や『ガンルージュ』で惜しみなく披露されるケレン味、つまりは読者へのサービス精神。これらのバランスが、とても山田風太郎っぽいのだ。

本作は『東京輪舞』に続く昭和史物だが、前作よりもストレートにいまの日本社会への怒りが表現されている。そういう意味では、山田風太郎色は薄いかもしれない。ただ、この怒りには、まったく同意だ。なにオリンピックなんて浮かれてんだよ。それにたかってるだけじゃねえか。

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