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百七十三話 歸國

 乗船から二日経った。
 船酔いはうに限界を超え、皆吐き出す物はすっかりなくなっている。
 たれもが支那の阿片常習者のようにゴロ寝していると、甲板から声が聞こえた。

 「日本が見えて来たぞぉー!!」
 「ウオォーーーーー!!!」

 我先にと鉄梯子を上る。
 遅れを取ってなるものか――後を追う浅井。
 甲板に出る。右を見ると、まるで能舞台を見るかのような、濃い緑の松と赤茶けた土の小さな島が見えた。
 島の港付近を航行する輸送船。港には水雷艇のような小型船が、錆びた船底を上にして沈んでいる。
 日本の海軍艇らしい。浅井は捕虜生活を送っていた時、上海から物資を届けに来る兵隊から、ある話を聞いた。

 「米軍は沖縄全島を占領した。逃げ場を失い穴の中に逃げ込んだ島民は、火炎放射器で焼き殺された。また、断崖から海に飛び込んで死ぬ者もいた」

 沈んだままの艦の残骸を目にすると、そんな話が思い出す。他の兵隊達も感ずるものがあったか、歸國のよろこびを忘れ、しゅく然としていた。

 リバティ輸送船は、波の荒い海域を通過して博多湾に入った。釜山に向かった時を思い出す。
 「あの時と同じような岸壁がんぺきだ・・・」
 輸送船は、浅井がそう思ったへきに接岸する。

 先ずは持って将校が下船。それに兵隊の列が続く。
 浅井は解散前、中隊ごとに集合し、中隊長から別離の言葉でもあるのかと思っていたが見事に何もない。
 隊列は、岸壁にズラリと並んだ大きな倉庫の一つに入った。


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