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百話 運命の七夕

 「七夕の夜だったな。星が辺り一面、嫌というほど見え、天の川も煌々と輝いていた。夕刻から盧溝橋から数キロ永定河沿いを北上した龍王廟東側で、夜間接敵演習をしていた。当時、若干の支那兵が龍王廟附近の堤防上を徘徊していたが、特に気にしていなかった。そのため、彼らに背を向け東進し、敵役の我が軍に隠密接近する演習だった。午後十時半頃、演習が一段落し、敵役の軽機が中止を知らす空砲数発を発射した時、背後の龍王廟南方にいた支那兵が十数発撃ってきた。即座に我が中隊長が、喇叭ラッパ手に『演習止メ』『集合』の非常呼集を吹奏させる。すると、また十数発撃ってきたんだ」
 「國府軍の兵隊は実弾を射ち込んできたのですか?」
 「そうだ。弾は中隊の頭上を掠めた。当然、当たっていれば死んでいた。誰だって自分の國で他國の軍隊に演習されてたら快く思わないだろうが、実弾を射ち込んだりはしないよ」
 「そこから、すぐ戦闘が始まったんですね?」
 「いや、かねてより支那側に対して、軽率な行動はとるなと言われていたので、中隊長は報告にとどめた。実際、それまで連日演習していたが、何もなかったし、演習装備のままだ。警備実包はいつも通り三十発のみ。軽機は演習用空包銃身で、擲弾筒も実弾を持っていない。さらに携帯口糧一食もないんだから、どうしようもないよ。しかし、翌日早暁には、永定河の堤防上に新たに掘った散兵壕が連なり、馮治安部隊の敵兵が面目躍如している。青龍刀を頭上高く振り回したり、無闇矢鱈にこちらを煽っていたよ」
 「それはさらにけしからんですね」
 「ああ、まったくだ。そもそも敵二十九軍は、盧溝橋付近の盧溝橋城(宛平県城)内に一個大隊を駐屯していたが、それが何がため一部龍王廟附近で夜間警備していたか。盧溝橋附近の敵最高上官、馮治安師長が言うには、『部下は城内にあり、龍王廟附近からの射撃は匪賊だ。城外の兵に対しては勝手にやっていい。但し、城内には二千の住民もおり、絶対に攻撃しないでほしい。自分も城内の部下には絶対射撃をしないよう処置する』とのことだったそうだ。その上で、八日午前三時二十五分、龍王廟方向にて敵三発の銃声を認めた。事に及ぶや一木大隊長が、要一撃を具申。豊台事件その他のこともあり、牟田口連隊長がこれを認めたんだ」
 
 浅井は息を呑んだ。第二次世界大戦に至る発火のプロセスを聞き、手に汗握っていた。
 「ついに始まったんですね!」
 自然に大声が出た。
 自らの属する部隊が、悪しき支那を懲らしめる――栄えある瞬間に、期待に胸躍らせた。

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