月の光(藤崎くんのPHS)
たしかあれは高校最後の日のことだ。先生から臨時ボーナスが配られ、教室はいろめき立った。
ボーナスというのは校友会の出資金のことで、3万円が返還された。
もちろん親に返すのが筋だろうが、3年前の入学のときに出資したことなど覚えているとは思えない。お小遣いとしてもらっておこう。考えることはみんな同じだった。
ホームルームのあと、仲間うちで話し合った結果、3万円で携帯電話を買うことにした。当時私たちはPHSを使っていたが、携帯電話が急速に普及しつつあり、早々と乗り換えたかった。
「それええじゃん!」と盛り上がるなか、ただ一人「俺、やめとくわ」と水を差したのが藤崎くんだった。大学進学にお金がかかるので、3万円は親に返すという。
放課後、私たちは学ランで携帯ショップに行った。いつもと違って、そこに藤崎くんはいなかった。
新しく買った携帯電話はPHSとは比較にならなかった。
液晶画面は倍くらいの大きさで、なんとカラーだった。流行の折りたたみ式で、インターネットもできた。
なかでも私の心をとらえたのは着信音だ。それまでの単調な電子音とは異なり、FM音源の4和音だった。15曲を内蔵しており、YMOの『ライディーン』を着信音にした。
いつしかウォークマンの代わりに、着信音のクラシックを聴くようになった。
はじめは『エヴァンゲリオン』で劇中曲として使われた『カノン』や『主よ人の望みの喜びよ』を聴いていたが、やがて『月の光』や『ジムノペディ』に魅了された。
どちらもポッカリと開いた胸の空洞をやさしく照らすようなメロディだった。
『月の光』を藤崎くんの着信音に、『ジムノペディ』を4月から同じ予備校に通う広田くんの着信音にした。私は浪人が決まっていた。
3月の終わり、広田くんと大学の近くにある藤崎くんのアパートに遊びに行った。広島駅から20分ほどのところにあり、駅を出るとまわりは山だった。
携帯電話の『月の光』が鳴った。駅前で藤崎くんと待ち合わせをしていた。
2週間ぶりに会った藤崎くんは茶髪になっていた。服もおしゃれになっており、意気揚々と一人暮らしのアパートに案内してくれた。
第1志望の大学に落ちて、すべり止めだと落ちこんでいた姿はもうなかった。
アパートの2階の部屋には、テレビデオ、冷蔵庫、電子レンジなどの新品の家電がならんでいた。
いままで一人部屋がなかったので、大学進学を機に親が借金してそろえてくれたという。家賃は3万円。窓をあけると墓地が広がっていた。
その後、大学のキャンパスに連れていってくれた。予備校とはちがって広大な敷地で、すれ違う学生はみんな楽しそうに見えた。
帰りの電車、私と広田くんはずっと無言だった。
予備校に通い出してからも、藤崎くんと頻繁にメールをしていた。
だが、ひと月ふた月と経つと、『ジムノペディ』がよく鳴るようになるのと反比例して、しだいに『月の光』の回数は減っていった。
新しい環境で、新しい友達ができ、藤崎くんもいろいろと忙しいのだろう。
1カ月ぶりに『月の光』が鳴ったのは、大学が夏休みに入ってからだった。「ひさしぶりに会おうで」とメールがあった。
夏期講習の授業のあと、藤崎くんとお好み焼き屋で会った。関西風のお好み焼きで、客が自分で焼くのが人気の店だ。
藤崎くんは席に着くなり、「とりあえず生ください」と言った。私はウーロン茶を注文した。
訊いてみると、「生」とは「生ビール」のことらしい。バスケットのサークルに入ったそうなので、飲み会とかで慣れているようだ。
お好み焼きをつくりながら、藤崎くんが近況を話してくれた。バイトで貯めたお金で、自動車教習所に通っているという。
「マニュアル車」がどうとか、「仮免」がどうとか、高校時代の藤崎くんからは想像もできない言葉をしゃべっていた。
こちらは毎日勉強ばかりでとくに報告することもなかった。
教習所にかわいい子がいるというので、彼女はできないのかと訊いてみた。
藤崎くんは生ビールをごくりと飲むと、いまバスケサークルのマネージャーと付き合っているという。
私は「へえ~」と相づちを打って、失敗したお好み焼きをウーロン茶で流しこんだ。
時間を確かめようと携帯電話を出そうとして、テーブルの端に置かれた藤崎くんのPHSに気がついた。
藤崎くんは高校のときからずっと同じPHSを使っているようだった。
帰り道、藤崎くんは酔っぱらっていた。酔っぱらったのか、酔っぱらったふりをしているのかはわからない。
藤崎くんは注文したビールを半分以上残していた。
家に帰ってしばらくすると、『月の光』が鳴った。藤崎くんからのメールだ。
「マネージャーと付き合っとるって言ったけど、あれウソじゃけ」とあった。
私は「知っとる」と返信した。
また『月の光』がよく鳴るようになった。
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