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上様(父の思い出)

むかし、父が経営していた会社の近くに「日本海」という日本料理店があった。瓦屋根かわらやねの4階建てのビルで、1階から3階までが店舗だった。

20年以上前につぶれて、いまは居抜きで韓国料理店になっている。国籍は変わったが、韓国だと瓦屋根でも違和感はなかった。

小学生のころ、父がよく「日本海」に連れていってくれた。両親は別居しており、私は母と暮らしていたが、父は月1回のペースで、なにかと理由をつけてごちそうしてくれた。

たとえば、4月は花見という名目だった。花見といっても、近所の川沿いの桜並木の下をぶらぶらしたあと、店に行って飲み食いするだけだ。

5月は私の誕生日だった。繁華街でプレゼントを買ってもらったあと、ケーキの代わりにあさりの酒蒸しでお祝いをした。

小学生のころからバッテラやなまこ酢、くじらの刺身など渋いものが好きだった。
父が酒のさかなとして頼むのだが、ほとんど箸をつけず、酒ばかり飲んでいた。私が平らげることになるのだが、バヤリースオレンジの肴に食べているうちに好きになっていた。

店に行くのは日曜日の3時ごろが多かった。父と食べていたことを知ると、母の機嫌が悪くなる。6時ごろ、お腹いっぱいで家に帰ると、素知らぬ顔をして母の手料理を食べた。

父はお酒を飲みながら、小学生相手に政治や経済の話をした。田中角栄や松下幸之助の話はなんど聞かされたかわからない。

私が退屈そうにしていると、父の学生時代の話をしてくれた。
大学の同級生であるビートたけしに学校に来るよう説得した話や、アルバイトでドリフターズにトランポリンを教えた話……真偽のほどは不明だが、華やかな東京の学生生活にあこがれを抱いた。

2、3時間のべつ幕なしにしゃべったあと、父は千鳥足でカウンターに行ってお会計をした。
いつも領収書をもらうのだが、店員に宛名あてなかれると、父は決まって「上様で」と言った。

私はそのたびに白馬に乗った着物姿の松平健を想像した。父の会社の得意先にとんでもないお大尽だいじん様がいて、その人がすべて払ってくれているものと思っていた。

12月の名目は忘年会だった。父はお酒とあじの刺身を注文すると、おしぼりで顔をきながら、「今年は英語の発表会はないんね?」と訊いてきた。私は黙ってうつむいた。

3年生のころから英会話教室に通っていた。昨年末はホールを借りて英語劇の発表会が行われており、私は『白雪姫』の王子様を演じていた。
英語のセリフを丸暗記しただけだったが、ホールに観にきた父はほめてくれた。

「じつはね……3週間くらい行っとらん」

私はサボっていることを打ち明けた。母の手前、「いってきます」と言って家を出ていたが、英会話教室には行かず友達の家でゲームをしていた。
今年から女の子ばかりのクラスに変わったのだが、みんな英語の授業がある私立の小学校の生徒だったので、公立小学校の私はついていけなかったのだ(現在は公立小学校でも英語必修化)。

「そういうことならしょうがない。もう辞めんさい」

事情を話すと、父はわかってくれたが、悲しそうな顔をした。
英会話の前はそろばん教室に通っていた。そろばんを辞めるとき、先生に理由を訊かれ、「英会話を習うことになった」と答えたが、そのときの先生と同じ顔をしていた。

お会計のとき、また父は「上様で」と言った。店を出たあと、会社にもどるという父に「上様ってどんな人なん?」と訊いてみた。
すると父は「上様はお父さんよ」と言った。「お父さんが働いたお金で払っとるんじゃけえ」

「英会話、サボってごめんなさい……」

上様の正体が父だとわかると、急に罪悪感がこみ上げてきた。
誕生日やクリスマスのプレゼントを買ってもらったときも、「上様で」と言っていたので、なんとなく英会話の月謝も「松平健」が払ってくれているような気になっていた。

「英会話のことはもうええけ、1月の新年会はどうする?」

会社への道をふらふらと歩きながら、父は言った。

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