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「どれみおじさん」があの時いかにして生まれたか…「おジャ魔女どれみ」へのむきだしの愛を込めた総括

 2020年、「おジャ魔女どれみ」は放送21周年となり、遂に今月11月13日に公開されたシリーズ最新作「魔女見習いをさがして」

筆者は本作の公開を昨年の制作発表段階から生き甲斐にするかのように楽しみにしていたが、本来、今年5月公開のところ、某ウイルスのせいで公開延期となって、リアルにスマホでネットニュースを見て会社のトイレで泣いたりしたものだが、それでもようやく公開日を迎え、作品を観る事が出来た。

作品を観た想いの丈については、別稿のZAKKIちょ~にて年内公開予定。

 「魔女見習いをさがして」について語る前に、そもそも筆者はなぜ、リアルタイムの放送終了後から6年経った2009年から「どれみおじさん」と化し、それから11年間、まったく変わらぬ熱量で「おジャ魔女どれみ」という偉大なアニメシリーズを愛し続けているのかの理由を説明する必要がある。

それには、筆者が2009年6月にmixi日記にしたためた、「どれみ」シリーズ全216話を観終えた後の、読み返してもなんだか気味が悪いほどセンチメンタルで異様な熱を刻んだ総括文を公開したいと思う。

これを踏まえたうえでないと「魔女見習いをさがして」を説得力を持って語ることが出来ない。

2009年当時、日記を公開する数か月前から「どれみ」については、「某アニメシリーズ」と称して作品名を明かさずに語っていて、マイミクの方々に鑑賞の進捗状況をもったいぶって日記を書いていた。

それから満を持して「某アニメシリーズをむきだしの愛を込めて総括する」というタイトルの日記で、「♪前篇♪」と「♪後篇♪」に分けて投稿した。
本稿では両方を繋げて編集した形でお届けする。

 この頃の文章の一人称が「俺」と書いているのが今読むとネット弁慶的なイキった感じで凄くこっぱずかしい。
だが、作品情報が間違っているところや日本語がおかしいところ以外は、11年前の若気の至りと勢いということでなるべく修正せずママイキで。
時折、補足を追加します。

「どれみおじさん」のテンションやばめのヴァイヴスを文章から感じとって頂きたい。

それじゃあ、いっくよ~~~!!!!!!

♬♪♩🎶♬♪♩🎶♬♪♩🎶♬♪♩🎶♬♪♩🎶♬♪♩🎶♬♪♩🎶♬♪♩🎶♬♪♩🎶♬♪♩

 大変お待たせしました。
いえ、お待たせしすぎたかもしれません。
俺がここ数ヶ月、ドツボにハマり過ぎていた
某アニメシリーズは、こちらです。










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「おジャ魔女どれみ」。
1999~2003年までテレビ朝日系列にて、日曜朝8時30分から放送され、本編201話+OVA13話+劇場版2話=計216話という、この長期シリーズ。

すべて観終えて1ヶ月弱が経ってもなお、その余韻に浸っているところである。

今作は1966年に放送が始まった『魔法使いサリー』から連綿と続いていた東映アニメーション制作である。

そんな魔法少女モノの輝かしい伝統を引き継ぐかのように、綿密に作り込まれたキャラクター、世界観など、シリーズの最初から最後までスタッフやキャストの、作品に対する愛と、質の高い作品制作の矜恃をビシビシと強く感じる事ができる。

 そんなクオリティの高さから、00年代最高のアニメシリーズとして根強い人気を持っているのが、『おジャ魔女どれみ』なのである。

ハッキリ言って今作をお子様だけの楽しみモノにしておくのは、勿体ない。
男女問わず大人にもしっかりがっつり激しく発狂するほど、オススメしたい奇跡のアニメーションである事は間違いない。

そんな『おジャ魔女どれみ』シリーズを、俺の極私的雑感もまぜこぜにして、総括していきたいと思う。
しばらくの間、お付き合い下さい。
携帯で読まれている方は、下キーをカチカチ頑張って下さい。

おジャ魔女どれみ_02S

♪ピーリカピリララ ポポリナ ペーペルト!

 元々、東映アニメーションに関して色々と検索していて、ふと某海外動画共有サイト(※)にたどり着いて、何げなく今シリーズの第1話を観始めたのが、すべてのキッカケである。
(※ 2020年補足 2020年12月現在、Amazonプライムビデオなど配信サイトで閲覧可能)

第1話からすっかり今シリーズの世界観の面白さと高い完成度に魅入られた俺は、ドキドキワクワクしながら食い入るように話数を辿っていった。

途中で「これはちゃんと綺麗な画質のDVDでテレビ画面で観よう」とDVDを最初からレンタル。
(おまけに今作はキッズコーナーにあるから大抵の店では2本借りても1本の価格だったりして更にハッピッピ!)

 今シリーズは物心つき始めたばかりの幼児から小学生までの女児を主な視聴対象者に置いたアニメという事で、その絵柄の表層的イメージだけで判断して、勝手に敬遠してしまう大人は多いかもしれない。

何度も書くけど、

それ、本当、もったいない。

 幼児向けアニメらしく、わかりやすいドタバタギャグもふんだんに挿み込みつつ、大きなお友達に分かるような昭和の名画やアニメ、特撮のパロディネタもじっとりと配合。

また、魔法少女モノの伝統を継ぐかのように、登場キャラクターと視聴者が共有すべき、ハッキリとした絶対的な悪は存在しない。

物語運びの為のそれらしき悪行キャラクターは劇中で現れるが、一元的視点による、典型的な勧善懲悪の対立構造を否定している。

そのかわりに大きく描かれるのが、現実世界の親子、学校生活でのクラスメイト、子育てなどの、人間関係を重点に置くエピソードである。

シリーズが進み、レギュラーキャラクターの自主性が強くなるにつれて、魔法という特異な要素がどんどんと簡略化され、人間ドラマが濃密化していくのにも注目したい。

 そして、制作側がキャラクター作りで意識していたのは、『キレない子供を作る』との事。
なるほど確かに観ていると、総じて我慢強い子供たちばかりが出てくる。

特に主役の春風どれみは、第1話の時点から、何か自分に辛い事があると
『あたしってやっぱり、世界一不幸な美少女だ~~』とつぶやき、自分を慰め、堪え忍ぶ。
しかし、どんなに辛い状況に陥っても、キレない、めげない、投げ出さない。

そうした点では、シリーズ一貫として子供の視点で描かれていて、本来の視聴対象である幼児において、道徳的、情操教育的観点から見ても非常にタメになると言って良い。
女児だけでなく男児が観ても、楽しみながら自然に学べる作りになっている。
俺もすぐキレないように学ばねば~。

 ちなみに、『どれみ』シリーズ終了後、同時間帯で長寿シリーズとなって現在も放送中の『プリキュア』シリーズは、アクション性やスピード感重視の女児向け格闘アニメであって、魔法少女モノである今作とはまったく異質である。
最近のシリーズを何回か観てみたが、あまりにもキャラクターが没個性で、俺にはハマれそうにない。(※)
(※2020年補足 この日記を書いた8ヶ月後の2010年2月より、どれみ制作陣が再集結した「ハートキャッチプリキュア!」が放送開始。1年間限定で「プリキュアおじさん」も兼任)

しゃーぷっ_01S

♬パイパイポ~ンポイ プ~ワプワプ~♪

 本来の対象者である子供だけでなく、その親御さんに当たる、大きなお友達にこそジュワーッと沁み込む、深い味わいを楽しめる側面もあるからこそ、ここまでの長寿シリーズとして愛されてきたのだと思う。

特にそれが際立って顕著なエピソードは、最終4thシーズンである『おジャ魔女どれみドッカ~ン!』第40話『どれみと魔女をやめた魔女』であろう。

これにはアニメ版『時をかける少女(以下、時かけ)』を監督した細田守が演出し、実写版『時かけ』の主役である原田知世がゲスト声優として参加している。

明らかに他のエピソードとは雰囲気が異なりセンチメンタルな作風で、魔法や変身シーンが一切出てこないというスポンサーのおもちゃメーカーの存在を無視したような、思い切った英断をしている。
(同じく細田氏演出の第49話も魔法は出てこず)

これはアニメ版『時かけ』で見受けられた、心身ともに大人へ一歩づつ進む事による少女の、それまでと同じではいられなくなる環境の変化への苦悩や逡巡、戸惑いや自分が進むべき道を模索していく「成長」という根底のテーマ性において、その雛形とも言えるエピソードだろう。

第1話ではイノセントの塊のようなドジな小学3年生の主人公・春風どれみの姿から観続けていれば、尚更、後まで引く余韻が生まれる。

当時の小さいお友達が観ても、ぽかーんとなるだけで、ハテナマークしか浮かばなかった回かもしれないが、大きいお友達は、アニメ版『時かけ』と併せて観ておきたい超必見のエピソードである。

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♪パメルク ラルク ラリロリ ポップン!

 先日書いた日記で、TV版の最終シリーズである「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」 最終回で、これまで生きてきた中でもありえない量の涙出量を記録した事を報告したが、
今シリーズは泣かせるエピソードがかなり多い。

メインキャラクターのひとり、バリバリ関西弁のナニワっ子である妹尾あいこ(青い髪の娘)の家族のエピソードなどが特にそうだ。

なぜ彼女の母と父が離れて暮らさなければいけないのかという家庭環境の複雑さは、幼児は観ていてもすぐには理解出来ないかもしれない。

それが4年間という時間の経過を通して、娘・父・母のすれ違いを繰り返し、心境や状況の変化が、断続的にいくつかのエピソードで綴られていく。

観ていて涙でグショグショになりながら、ひたすらもどかしさとヤキモキを感じさせられるのだが、TV最終シリーズの『ドッカ~ン!』最終回近くで、それぞれの4年間の想いが最高の形で結実される。

 また、メインキャラクターではないものの、3rdシーズンである『も~っと!おジャ魔女どれみ』から登場する、どれみのクラスメイトで、不登校で引きこもりの、長門かよこが登場する全3部作のエピソードも、完全に大人が食い入るように観てしまう。

様々な障害を経て、かよこが遂に自分の意志で、自分の足で歩き始めるアンガージュマンを描き、その姿を観てたら涙で画面が見えなくなった。

 また、TVシリーズ終了後、CSで放送された5thシーズン『おジャ魔女どれみナ・イ・ショ』第12話においては、現在の民放では自主的にNGが出そうな、「死」にまつわるエピソードも出てくる。

魔女になるという夢を持つ白血病に苦しむ少女の話だ。
さすがに泣くまでは至らなかったが、ヘヴィな気分に包まれた。

 シリーズ通して俺が『ドッカ~ン!』最終回の次に、最も泣けてしまったのは、2ndシーズン『おジャ魔女どれみ♯(しゃーぷっ)』第40話の『春風家にピアノがやってくる!』。

大きいお友達目線から見て、超号泣必至のエピソードである。
こちらは劇場版1作目と話が繋がってるので、併せて観ると尚更、涙出量が増加する。

 しかし、そうした泣きエピソードばかりでは勿論なく、おジャ魔女達みんなで芋を食って誰が屁をこいたかというアホなエピソードもあるし、バランス良く配分されているから面白いのだ。

しゃーぷっ_25S

♪ピピット プーリット プリタン ペーペルト!

 しかし、悔しい。

今作はリアルタイムで4年間、時間をかけて毎週1話づつ、次週放送を楽しみにしつつオンエアを観続けるのが、やっぱり正しい形なのだ。

何故なら、今作の主要キャラクター達の年齢は、第1話は小学3年生の時点から始まり、シリーズが進む事に徐々に進級していき、最終回では小学校を卒業するにまで至る。

その4年間の実際の時間の経過に伴い、様々な困難を乗り越えてきた中での、それぞれのキャラクターの成長やドラマを、実際に視聴者が過ごしてきた時節の経過と共に感情移入する事が出来るからである。

そして、思い入れの強い分、すべて終わった後に残る温かい豊穣感。

それはしばらく経っても消えることなく、子供たちにとって素敵な想い出として、大人になっても忘れられない余韻を残す。

1ヶ月強にわたって、一気にまとめてDVDで観た俺でも、ここまで心動かされたんだから、4年間オンエアを楽しみに観続けた人は、最終回では、も~っと万感交到る想いだった事は想像に難くない。
おそらくしばらく抜け殻のように立ち直れなかったのでは?

 第1話のどれみは本当にただの無邪気な小学3年生だったのだが、2ndシーズンの『♯(しゃーぷっ)』から人の親になるという責任感と重大さを身につけ始めてからは、言動や行動が明らかに落ち着いて成長しているのがわかる。

特に最終シリーズである『ドッカ~ン!』においては、魔法で小学6年生に成長したハナちゃんが大きく台頭し、かつてドタバタを繰り広げてきたドジッ子の役回りが世代交代し、温かく見守りながら、後進に花を持たせている。

そのポジションはあたかも、同じく東映作品である『仁義なき戦い 広島死闘篇』以降の菅原文太と言えば、話は早いだろう。

 そして、ここは大きく特筆しておきたいポイントなのだが、『♯(しゃーぷっ)』第46話において、謎の美少年・暁(あかつき)くんとデートをしている時に、あのハチャメチャなドジッ子で明るいどれみが、“女”としての萌芽の表情をわずかに一瞬だけ見せるシーンがある。
友達や家族にも見せた事がないであろう、そんなハッとさせられる表情を見せるのは、全216話中、ここだけだ。

俺にはペドフィリア嗜好は無いが、これにはキュンッとした。

「どれみちゃんって、こんな顔もするんだ…」と、暁くんは驚きと共に心の中でそう言うが、まるで視聴者(特に大きいお友達)の意見を代弁しているかのようである。

これこそ、10歳児がふいに醸し出したニンフェットの魔力と言わずして何と言おう。
(しかも、魔法を使わずに!)

 そして最終回ではキッチリ、これは4年間にも及ぶ、「春風どれみの人間成長譚なのだ」と実感できる締めで、視聴者は涙ダム決壊的垂れ流し状態である。

俺はテレビの前で、うめき声上げながらゲロ吐きそうなほど慟哭したよ。

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♪プルルンプルン ファミファミファー!

 2ndシ-ズン『♯(しゃーぷっ)』より、テーマの根幹となる「親になる事への責任感」を通してのおジャ魔女達の成長が描かれていく。

魔女界の次期女王候補の魔女の赤ちゃん・ハナちゃんを1年間養育する事になったおジャ魔女たちの奮闘は、観ている小さなお友達に『うわ~~~子育てって大変だ~~~』という印象を与えるかもしれない。

この設定は、傑作アニメ『ママは小学4年生』からの影響と考えて間違いないだろう。
ちょうどどれみ達も小学4年生に進級したし。

 しかし、ハナちゃんに振り回されるおジャ魔女たちの様子を観た子供は
『自分が赤ちゃんだった時もこんな大変だったの?』という、親に対する疑問に変わるだろう。

ちゃんと、ハナちゃんのうんちやおしっこのおしめを取り替えるシーンも出てくる。
ハナちゃんが風邪気味で鼻水が詰まって呼吸できないでいるところを、どれみが口で鼻水を吸い出してあげるシーンなどもしっかり描かれる。

親御さんは、自分の娘のように愛情を持って、キレずに投げずに我慢強く育てていくおジャ魔女たちに感情移入せざるを得ないだろう。

「親は子供を持った瞬間に親になるのではなく、育てていくうちに親になっていく」

と、劇中で、どれみは語る。
その言葉に裏打ちされた、子育てに大切な過程が丁寧に描かれていく。

現在、配偶者のいない俺にとっては、将来子供を育てる時の参考にしたいし、また、親になる事への自覚の為に、このアニメを観返すだろう。(※)
(※2020年補足 今もって配偶者はいない)

も~っと!_11S

♬ペルータンペットン パラリラポン!

 そのほかにシリーズ全編通して掲げられる、「友達」という大きなテーマがある。

疑う事を知らない純然たる善意の下、様々な性格のキャラクター同士が最終的に理解し許し合い、同じ時間を共有し、友愛の関係性が調律される。

すべて観終えてから、深く考え込んでしまった。
『本当の友だちって、親友って何なんだろう?』と。

例えばそれを今作における親友の関係性と併せて
「育ってきた環境や境遇関係なく、お互い利害を求めず、相手を心底から信頼、尊敬し合え、同じ事で泣き笑いできて、時には喧嘩する時がある程に何でも話す事が出来て、離れていても、お互い自分の事のように相手を心配する事の出来る間柄」と定義する。

極私的な事だが、それに照らし合わせてみると、現在これまでの人生を振り返ってみて、俺には趣味の合う友だちのような人たちはいても、親友と呼べる人は1人もいないかもしれない。

まあ自分をさらけ出す事が出来ずに、完全に相手を信じ切れていない俺のせいなんだろうけど。

だからこそ、俺はどれみ達の友情が眩く見えてしまう。
その淀みなくキラキラと純化された心の繋がりを見ていると、どうしても今の自分と照らし合わせてしまい、落ち込んでしまう。

でも、もっと信じる事が出来るかもしれない。
頑張って信じてみたい。
MAHO堂が歌う『ともだちの唄』を聴きながら、しみじみそう思う。

 また、そうした常に相手を疑うことなく信ずるような、素敵な肯定的姿勢による善意の一元的視点だけを浴び続けていると、あまりにも自分が偏ってしまいそうになる。

だので今シリーズを観ている合間にも、人間の持つ暴力性や残虐性を忘れない為に、『八仙飯店之人肉饅頭』とか『わらの犬』とか『ガイアナ人民寺院の悲劇』とか『チェイサー』とか観て、心のバランスを整えていたわけだけどな!

ドッカ~ン!_12S

♪ポロリン ピュアリン ハナハナ ピッ♪

 今シリーズにおいて重要なファクターとして、「どれみ」というタイトルが示す通り、「音楽」が挙げられる。

奥慶一の手による、様々な表情で鳴らされる劇伴曲や、出演者達による、主題歌や挿入歌、キャラクターソングの充実度と完成度の高さは世界観を脳内で無尽蔵に増幅させるに足る内容である。
純粋に聴いていて楽しい。

細かい箇所では、私服から魔女見習い服への変身シーンで使われる音楽の小気味よさとテンポの良い映像表出は、聴覚的視覚的快楽を刺激する。
(特に『♯』と『も~っと!』の変身シーンは何度観てもクセになる)

全216話すべて観終わった後も、記憶の増大の役割として聴き続けていたいと思わせる。
音を聴いただけで、その映像が脳内で喚起される。

なので、今や廃盤プレミアとなっている4作品のCD-BOXと『ナ・イ・ショ』の主題歌シングルをすべてTSUTAYAで借りてきて、自分でベスト盤を編集して、iPodで聴きまくっている。
楽しィ~~い♪

 『おジャ魔女カーニバル!!』『魔法でチョイ2』『夏のまほう』『それゆけ!マジョレンジャー』『ナ・イ・ショYO!おジャ魔女』『ステキ∞』など好きな歌を挙げたらキリがない。
(各Youtubeリンクで楽曲が視聴可能)

が、その中でも俺が一番大好きな主題歌は、『ドッカ~ン!』のオープニング曲である、『DANCE!おジャ魔女』だ。
(俺編集による、MAHO堂ベスト盤の1曲目でもある)

本編最終シリーズの錦を飾り、特大打ち上げ花火を上げるのに、こんなにも快活で弾けた無尽蔵なユースが激発した楽曲はない。
また、昭和のアニソンのオイニーが漂うのも惹かれる要因だ。

そんな素敵な歌が新たなシーズンの幕開けと共に流れ始めたのは、2002年2月からである。

時期的に世界を揺るがし、危機管理問題が大きく問われる事となった、9.11テロを経たばかりで、正誤の境界線が曖昧になるほどに情報が交錯していた時期だ。

「正義」対「悪」の二元構造論でしかモノが語れなくなった米国や日本の首脳が口角泡を飛ばしながら、仮想敵に対して『テロは絶対許さない!屈さない!』としかほざけない思考が停止した社会情勢。

そんななか、今シリーズ通して語られている「人間界と、魔女界と、その架け橋となるおジャ魔女たちの視点」を表すかのように、ドバっと上空に大量に現れる世界各国の国旗の束に包まれた6人のおジャ魔女が円陣で国旗を結ぶシーンが、オープニング終盤に出てくる。

ちょっと綺麗事かもしれないが、これには制作側の、平和への祈念が込められているのかもしれない。

俺は「平和」という生ぬるい甘言は好きじゃないし、家族が敵国の人間によって目の前で殺されたら迷わず銃を取るだろう。
非暴力の理念はいまだに理解できない。

だが、途轍もなく難しかろうと綺麗事と言われようと、俺はどれみ達のように、それぞれの視点から見て異端といえる各々の国家、人間、文化、風俗を理解・許容し、思考していく視座と、他者への想像力を持っていたい。

そうした意志を再確認させてくれたのが、このオープニング曲だ。

おジャ魔女どれみ_01S

♪まとめ♬

 各キャラクターの事とか、エピソードの事とかいくらでも書けちゃうけど、キリがないのでそろそろ締めます。

 お子様の情操教育的観点からも、216話通してハズレの回が極めて少ない並外れた作品クオリティの高さからしても、後世に伝えていきたいクラシックアニメとして堂々とした輝きを放つ、『おジャ魔女どれみ』シリーズ。

基本的には、1話完結モノであるが、一度観始めると中毒性が高くて止まらない。
絵柄に臆することなく、男女お子様青年中年老人問わず、絶対的にオススメしたい。

宮崎アニメとかクレヨンしんちゃんなどしか観ない大人にこそ、小学生に帰った気分で、しかと観て欲しい。
ちなみにあの映画評論家の町山智浩さんもこのアニメがお気に入りだそう。

00年代のアニメ史に刻まれる今シリーズは、時間をかけてでも216話通して観る価値はある。
きっと、彼女たちはお前の胸に素晴らしいメモリーズを残してくれるから。

 さあ、これを読んだ皆、お近くのDVDレンタル屋さんのキッズコーナーへGOだ!!
ちなみにシリーズを視聴する順番としては、話の流れ的に、

『無印』→
『♯』(第1~第39話→劇場版1作目→第40話~第49話)→
『も~っと!』→劇場版2作目→
『ナ・イ・ショ』→『ドッカ~ン!』→
『16』から『20's』までのライトノベル全10作→
『魔女見習いをさがして』

がベスト。

近所にレンタル屋が無い人は各種配信サイトを検索してみて下さい。

 俺は魔法使いはおろか、魔女見習いにもなれないけど、せめて最後に、変身のかけ声だけ言わせてください。

プリティー・ウィッチー・いぬきっちーーーー!!!

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ありがとう。







© ABC・東映アニメーション

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