壊れかけのRadioはレイディオではないのか。
「壊れかけのRadio」
この言葉を見て、
あなたは「Radio」を、
なんて読みましたか?
壊れかけのRadio、
もちろんこれは徳永英明の、
超有名な曲の名前でございます。
カラオケでもよく歌われていて、
誰しも一度は聴いたことがある、
もはや義務教育のカリキュラムに
組み込まれてもおかしくない曲でございます。
そんな曲のタイトル、
「壊れかけのRadio」ですが、
「Radio」の部分、多くの人は
「レディオ」と読んだのではないでしょうか。
でもよく考えてみてください。
「Radio」って、
単体でレディオとは
読まなくないっすか?
これ、この前ふと思ったんすよ。
カラオケとかで人が入れてるの見てさ、
「おっ、壊れかけのレディオか!」
とか普通に言うやないですか。
「次、壊れかけのレディオ歌います!」
つって、「Radio」を「レディオ」って当然のように。
でもよくよく考えたらさ。
「Radio」って、
壊れかけてなかったら、
「ラジオ」って読むくね?
「Radio」を「レディオ」って読むのは、
壊れかけてる時だけやないですか。
新品の「Radio」は、
新品のラジオか、もしくはレイディオでしょ。
逆に言うとさ、
「壊れかけのRadio」の「Radio」だって、
ホンマは、「ラジオ」なんやないか?
それに気づいたとき俺は、
今までレディオって言うてたことが、
急に怖くなったんすよ。
だって、ラジオって読むもんを
「レディオ」って言ってたかもしれんのですよ?
んなもん
糞イキッてるやつやないですか。
そんなんケインコスギ以外で、
日本で許される霊長類いないでしょ。
モンゴル系ブスの俺が言うたら、
下手しい唇ミシンにかけられる恐れがあるからな。
そもそも「Radio」を「レディオ」って言うてるのってさ、
徳永英明が「レディオ」って
歌ってるように聞こえるからやないですか。
それってただ単に
歌い方の癖なだけかもわからんやん。
歌詞としては「レイディオ」とか「ラジオ」が、
ルビとしては正解なのかもしれんわけでしょ?
徳永英明の癖が正式名称として、曲名に充てられているって
よくよく考えたらおかしいでしょ。
その理屈でいうたら、
SEKAI NO OWARIのDragon Nightだって、
「ドラゲナイ」が正式名称にならないとおかしい訳やん。
でもあれは、
「ドラゲナイ(笑)」であって、
正式名称は違うやん。
「ドラゴンナイト」やん。
じゃあ「壊れかけのRadio」だって、
「壊れかけのレイディオ」じゃないとおかしいやん。
「壊れかけのラジオ」じゃないとおかしいやないですか。
俺は、今までの数十年間、
カラオケで間違ったタイトルを宣言して、
皆に陰で笑いながら歌っていた恐れがある訳ですよ。
なんなら冒頭で、
『「Radio」の部分、多くの人は
「レディオ」と読んだのではないでしょうか。』
なんて言いながら、内心若干ビビってましたからね。
過半数の人は、
「こいつwレディオって読んでたんかよww絶対幼卒w」
とか思ってるかもしれんわけですからね。
もうとにかく不安になったんでですね、
とりあえず歌詞を調べてみたんすよ。
何も聞こえない
何も聞かせてくれない
僕の体が昔より
大人になったからなのか
ベッドに置いていた
初めて買った黒いラジオ
いくつものメロディーが
いくつもの時代を作った
ちゃんと歌詞を読んだの初めてやったんすけど、
皆もう思ってることなんすかね。
しっかりラジオ壊れてるやん。
全然壊れかけと言える状態じゃない。
違う違う違う違う!!!!
Aメロですごい事言うてるやんけ!!
ベッドに置いていた
初めて買った黒いラジオ
カタカナ「ラジオ」が
曲に登場してるやんけ!!!
と言う事はですよ。
この曲名に使われてる、
「Radio」と「ラジオ」ってものは、
最低限別のものと言えるんやないかと思うんですよ。
もし徳永英明が、
タイトルに「ラジオ」と読ませるものをつけたいと思ったとき、
それならカタカナで「ラジオ」と書けばよかっただけですもんね。
にもかかわらず、
わざわざ英語で「Radio」とつけた。
すなわちRadio=ラジオは
100%ないとわかるんすよね。
まずそれがわかっただけでも大満足ですよ。
「ラジオ」と読むべきものを
「レディオ」と読んでしまう
傷の深さって半端ないっすからね。
次の問題は
「レディオ」なのか
「レイディオ」なのか
問題ですよ。
ここが難しいところですよ。
さっきも言うたように、
「レディオ」が徳永英明の癖であれば、
正解は「レイディオ」になるわけです。
「ドラゲナイ」が癖だから、
曲名の呼び名が「ドラゴンナイト」というのと
おんなじです。
だから、曲名の「Radio」が「レディオ」であると言い切るには、
癖ではなくわざと「レディオ」と言っている必要がある訳です。
徳永英明に聞くわけにもいかないので、
とりあえず歌詞を見ていきます。
思春期に少年から大人に変わる
道を探していた汚れもないままに
飾られた行き場のない
押し寄せる人並みに
本当の幸せ教えてよ
壊れかけのRadio
出ました
「レディオ」です。
同時に曲も聞いてみますがこの「レディオ」が、
「レイディオ」がなまったのか、
わざと「レディオ」なのかは、
全く分かりません。
いつも聞こえていた
いつも聞かせてくれてた
窓ごしに空を見たら
かすかな勇気が生まれた
ラジオは知っていた
僕の心をノックした
恋に破れそうな胸
優しい風が手を振った
そして2番で、
2度目の「ラジオ」が現れます。
ここでの表記はカタカナ「ラジオ」で、
サビの「Radio」とは別であることは明らか。
華やいだ祭りの後 静まる街を背に
星を眺めていた 汚れもないままに
遠ざかる故郷の空 帰れない人並みに
本当の幸せ教えてよ
壊れかけのRadio
そしてサビはRadioです。
やはり歌い方ではわかりませんが、
歌詞をしっかり読んでみるとちょっと思ったんですよね。
このradioは、
そもそも「ラジオ」じゃ
ないんじゃないか。
わざわざサビだけ英語表記にしてる時点で、
カタカナ「ラジオ」とradioを区別して、
違う意味を持たせているってことやないですか。
そう考えていったときに、
カタカナ「ラジオ」が出てくる場面。
「初めて買った黒いラジオ」
初めて買った「ラジオ」
このラジオは目の前にある、
音が流れるラジオですよね。
そしてRadioは、
思春期に大人に変わる行き場のない不安を持った僕が、
本当の幸せを教えて欲しいと、
救いを求める偶像的なものとしてのRadioではないんやろうか。
すなわち、カタカナ「ラジオ」はそのまま物体としてのラジオで、
「Radio」は夢や希望などの概念ではないやろうか。
夢や希望を与えてくれたカタカナ「ラジオ」
押し寄せる人波で傷ついた時、
夢を与えてくれたカタカナ「ラジオ」を思い出し、
それを昇華させて概念として「Radio」になった、
そう考えるのが自然やないか。
そこまで行くと
歌詞の辻褄もあってくるんすよ。
何も聞こえないのに、「壊れかけの」radio
一件ただの故障ですが、
壊れかけてるのはradioであって、
押し寄せる人波にもまれて傷ついた心なんでしょうよ。
となると、
この「Radio」はラジオであって
ラジオでは無いわけじゃないですか。
この壊れかけてるものは、
徳永英明の作り出した新しい概念なんですよ。
すなわち。
徳永英明のイントネーション、
発音が唯一のオリジナルとなり、
正解となる訳です。
もうお分かりですね。
「壊れかけのradio」の「radio」は、
「レディオ」と読むのが、正解なわけですよ。
後。
wikiのフリガナに
レディオって書いてるし。
radioの読み方を考えるだけのつもりが、
不覚にも生粋のラジオっ子の自分に、
歌詞がビンビンに響いてしまったところで、
一旦やめさせてもらいます。