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今後の予定 4『じゃあお前は何が書きたいのか?(目的について)』3 目指すべき先行作品の一つとしての『胎界主』(後半)

・Why : どんな価値や目的のために活躍するのか(先行作品が垣間見せた「彼岸の星」)

(3)社会人時代:新たな小説や漫画との出会い

(3-3)『胎界主』(後半)

〇第一部のあらすじ

Web漫画『胎界主』( http://www.taikaisyu.com/ )の具体的な物語の説明をします。

第一部、最初の7話までは、『胎界主』凡蔵稀男が、町の人々の依頼に応えて人助けをしたり、町のヤクザや警察の便利屋として働いたり、『悪魔』3派閥に絡まれたりします。

ぶっちゃけ、ここは7話もかけるべきところか? とはちょっと思います(7話もあるとかったるく、説明が多いので、脱落する人もいるようです。無理もない)。

8話から、地域全体の元締めである、『球体使い』一門、『東郷』の話が出てきて、稀男は人助けについて全人格的に悩むようになります。やはりターニングポイントであるので、体感的にも話はここから面白くなってきますね。

その後、「創造者であるが、明らかに鬼編集者ムーブをしており、自分の息子たちが創造者として真に素晴らしいものを創れないまま40歳になったらぶっ殺して回る」最悪の『胎界主』その1とか、

「創造者なのに何もかもメチャクチャにすることしか興味がない」最悪の『胎界主』その2とか、

「ある派閥の上位魔王のエージェントだと思われていたが、実はそれどころじゃないとんでもない秘密を秘めていた」『魔法則師』とかと巡り合います。

最終的には、稀男たちは、『悪魔』勢力の敵である、離反した『妖魔』&古くからの敵『骸者』&謎のカリスマ『胎界主『ピュア』』連合勢力と戦うことになります。

そのため、『悪魔』勢力の手により、人間以外の勢力の一部の住む異世界『ロックヘイム』に行くことになります。行く前の話で第一部は終わり、行った後の話は第二部となります。

(最終話は訳が分からないと思いますが、私もあんまり分かりません。例えば映画で最後がこれになったら困るでしょうね。

第二部一幕序章『バンシー牧場』と、第一話『管理者リョース』で海中に浮かぶ居住可能な巨木浮島『四大神獣『ネプリ』』が出てくるところまで行ったら、「続く」と表示されても納得は行く、という感じでしょうか)

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基本的に見どころは2つ。

1.「超能力と知略を尽くして、その都度敵対する強い超能力者たちとどう戦うか」

これは活劇の見どころで、ここがエンターテインメントとしての魅力を支えています。というか、これがなかったらこの作品は物語というより、何らかのお経になってしまいます。表テーマとして必要なものです。

2.「何も信じてない、自分自身すら信用していない主人公にとって、真に頼れるもの、依って立つものとは何か」

おそらく、こちらが裏の真のテーマなのではないか、と思います。

当面は「人助けをすること」がそれでしたが、ある時期を境に、そうではなくなっていきます。別にヒーローではない主人公が、自分のために人助けを貫徹できなくなり、いかなる意味でも別にヒーローでも何でもなくなったとき、それでも己を支えるものは、いったい何か。

このテーマは第二部でも続きます。私の読んでいるところまでだと、まだ答えは出ていないのですが、確かに「本当に何もない人が、それでも生きていく、そして何かを下の土台から一個ずつコツコツと積み上げて、やがては自分をも支えられるようになるには、どうしたらいいのか」というのは、そりゃあとてつもなく大事なテーマです。

〇第二部のあらすじ

2019/10/20現在、今は私は二幕第十一話『湯祭場』の途中までしか読み終えてないので、とりあえずそこまでの話をします。

何もかも勝手が違い、何かにつけて世知辛い異世界、『ロックヘイム』で、稀男たちはピュアを捕まえるために、

多忙を極めていて非協力的なロックヘイムの最高権力者『四大神獣『管理者リョース』』や、信用ならない場末の役所の公僕たちに頭を下げたりしながら、

クエストで金を稼いだり、武器を買ったり、ピュアのエージェントと戦ったり、本来のミッションに関することとしてピュアの手がかりを調査したりします。

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「何も信じてない、自分自身すら信用していない主人公にとって、真に頼れるもの、依って立つものとは何か」の話は、引き続き大きなテーマとして背景に漂っています。

その都度やってくる現実に随時対応していくうちに己の人生が果たされていくものなのか。

何もかも無価値として茶化して、価値を嗤ってヘラヘラと面白おかしく生きていくのか。

それとも、本当に信じられるだけの揺るぎなさを持つ、価値ある真実に触れれば、それで救われるのか。

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茶化す戦術を採用しているときの稀男のことを言うと、あるかどうかも分からない『ふざける力』と称して、下らないギャグを果てしなくやっていく稀男を見て、読者の皆様は不安になると思います。

これ、稀男の心の中ではどうなっているのかを想像すると、何もかも信じていない人特有の、価値への不信による不安もさることながら、

価値の毀損による「俺が評価や信頼に値しなくても、世界も評価や信頼に値しないから、それについて否定される謂れはなく、否定されようが何だろうがそれは無視してよいから、安心してよい」というねじれた安心の気配がするんですよね。

このモードが、何もかも信じていない稀男にとって必要な状態なのは明らかだし、バッサリと切って捨てたくはないのですが、そこで安住なんか出来るわけないんだよな。世界はそんなに甘くなく、そういう安住を一蹴していく暴力的な現実でもあるのだから…

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それに、この戦術が、暴力的な現実ではなく、揺るぎなく価値ある真実によって、いったん破綻するときが来ます。

もっと正確に言うと、不安だろうが何だろうが、揺るぎなく真実を信じている、本気モード全開のピュアを前にして、いったん稀男はまた打ちひしがれるんです。俺はいい加減だ。あいつはガチだ。そんなもん勝てっこない。

(そんなに単純な話でもないと思うけどね。ガチの人が壁を乗り越えられず、いい加減な人が横に抜け穴を見つける、という話はよくあるし)

最終的に稀男が、「やるしかないだろう」と立ち直るまで、二幕初っ端である第八話『親方料理師ハナ・コオ』丸々一話分、長いトンネルが続くのですが、これを超えた時の読後感は爽やかです。

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私の見た『胎界主』は、意味と価値と自己と幸福と人生に関する「彼岸の星」の話です。

しかし、その「彼岸の星」は、実は足元の地球の、それも地表ではなく内核だった、という話でもあります。天の枝葉末節の先の果実を見るのではなく、地の根幹をこそ見るべき、ということですね。

意味と価値がないところから、何とか意味と価値を積み上げることで、自分を支えて幸福に生きていこうとして、じゃあ具体的にどうすればいいのか、というところで無限に試行錯誤して苦しんでいき、何かあるとまた直ちに意味や価値を崩そうとする、根無し草の稀男。

意味と価値の根幹としての、揺るぎない「真実」を実現させるために、無限に努力して、確かに来るべき目的に近づいていく不気味なピュア。おそらく、自己や幸福や人生のことなど、真実に比べれば小指の先ほども重んじていまい。

そんな彼らが直接対峙したときに、我々の根幹たる足元の地球に、どのような「彼岸の星」が姿を現すのか、ぜひ見てみたいと思います。

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