「夢あっていいね」ってよく言われる。

こんばんは。
腰が爆発しております。
先週から特にやばい。
腰痛甚だしい。

ブレイクダンスに明け暮れてた頃は怪我なんか
手のフットワーク豆くらいで
あとはピンピンしてたんですが
ある時期から踊りの感覚が少しずつ変わってから
右膝の半月板を2回ちぎって手術入院して
現在人生初のヘルニア発症中。
生活サイクルとか習慣も変わってるから一概に踊り
のせいとは言えへんけどやっぱ僕の踊りは
身体に良くないみたい。
医学的にも良くなさそうたぶん。
まー仮に身体をドラム缶に入れられてコンクリでガチガチにされても僕の踊りはきっとあるから
身体に良いとか悪いとか身体が動くとか動かないは
あんまり関係ないし一生付き合っていくもんなんですが仕事はそーはいかんからなんとか早く治るよう頑張っております。

先週まではお味噌つくる仕事の他に今滞在してるゲストハウスのBARの仕事と掃除の仕事をしてたんですが
BARの仕事の時はお客さんと話すことが多くて色んな話を聞く。
特にゲストハウスについてるBARなので旅人に沢山来ていただける。
ほんで旅人ってのは人と話すのが好きな人が多いなぁ〜とめちゃくちゃ感じます。
自分とは違ってすごいなぁと尊敬します。
なぜかというと僕もお話しするのは好きなんですがnoteにはよく書いてるけど僕は「世の中好きな人かどうでもいい人しかいてない」って感覚が強くて基本的に大体の人に興味がありません。
ここで勘違いして欲しくは無いのは友達とか家族以外に興味が無いってことじゃなくて
この「好きな人」ってのも会って2、3言話して好きになる人もいるし、表現をやってる人やったらその人の絵とか踊りとか音楽を見たり聴いたりして話してもないのに好きになったりもします。
あと長いこと一緒にいることで好きになる人もいます。

この感覚で生きてる僕にとって色んな人に興味を持って話したいってのは感受性豊かですごいなぁと思うわけです。
でも世の旅人の大多数はこちらであり色んな人とお話しするのが好きな人が多いってのは半年ほど働いてわかりました。
僕やったら例えば1人で旅してて1人で飲んでる時は話しかけられるの嫌なんですが、そーじゃない人が多いってことは学習済み。
それならもーこちらから話を振らせていただきます。
ぶっちゃけ本心はそこに無いんですが仕事としてお客さんにはこちらから話しかけるようにしてます。
嬉しそうにしてくれはることが多いからそーゆー接客としてやらせてもらいます。
喜んで欲しいのは嘘ではないから。
こっちも楽しんでると思って話してくれてた旅人たちがいたらごめんね。
でもあなたが楽しいならそれが良いのです。

で、自分がその人の話を聞くってことは自分の話も相手に話さなければならない。
たまにひたすら自分語りが大好きな人もいてるんですが
だいたい
「ご出身は?」「京都⁉︎なんで秋田に⁇」
みたいな感じに話は進んでいく。
そこで僕が踊りをしててとか話していくんですが、
「ダンスしてるの!夢があって良いね!若いっていいね!」
って言われることがよくある。
だいたい歳上の方に言われる。

いつも「有り難うございます〜」みたいな感じに
流れていく話なんですが心の中では「?」と思ってます。

例えば僕が
「プロダンサーとして有名になりたくて!」
みたいなことを言ってたらまー夢っぽいなとはおもうんですが僕が踊ってるってのはなんか違う感覚。
もちろんダンスでお金が稼げてそれだけで生きていけたらめちゃくちゃすごいことやなーとは思うけど僕の踊りはそーゆー夢みたいなものに向かっていくものではない。
踊ることでお金を稼ぎたくないとかではなくて。
もし自分の表現を突き詰めて突き詰めてその結果としてお金があるのはめちゃくちゃ嬉しいし有難いこと。
でもお金を稼ぐために死ぬ気で踊ったら僕の踊りはみてられないと思う。
そんなみてられない踊りにはお金なんか出るはずもないし。
まずこんなこと言うのはどーかと思うけどそーゆー野望があるなら秋田に来るってのはちょっととゆーかだいぶ違う気がする。

僕が踊るってことは。
踊って生きようってことは。
踊るように生きようってことは。

一生懸命に生きるってことなのです。
1日1日を大切にしようってことなのです。
自分の人生に誠実であろうってことなのです。 
こうありたいってことに正直でいることなのです。
踊ることは生きることなのです。
生きることは踊ることなのです。

誰かからみて「あの人は踊ってるなぁ」なんて思われなくて良いのです。
自分の心が踊っているかどうかです。
今は腰痛で殆ど1日布団の中にいます。
でも窓から入る夕陽を。そよ風を。天井のシミを踊るのです。
心踊れば身体も踊るのです。
まだまだ置き去りにしている瞬間が数え切れないけど。
全部抱きしめて愛したいのです。
強く優しくありたいのです。
人生の目標です。
それは誰もが知ってるダンサーになることでも
踊ることで金を稼げるかどうかでもないのです。
踊らなくても良いこの世界で踊ってしまう僕の心から目を背けずに真正面から向き合って生きていくことなのです。

ただ、踊りは表現でもあるのです。
人前に出ることのおもしろさ、おそろしさもあります。
だからこそ。自分は。
あくまで自分は。
人前に出す時は。
真っ直ぐに一生懸命に生きた踊りを出さなければ意味が無いと思っております。
僕の踊りはとても自分本位です。
自分の人生にちゃんと向き合うかです。
他人がどう感じれるかを排除しています。
でも僕がそれをやっちゃうと、僕の踊りでは無くなるのです。
人に感動を与えられる人たちを心の底から尊敬します。
あらゆる視覚芸術、身体芸術は美しさを伝えることを前提としていると思います。
それは動きの美しさかもしれないし、目に映るあらゆる事象に良い意味を持たせることが必要かもしれない。
だからこそそれらは僕の尊敬する友人に任せて。
自分は弱々しくも生々しく。
嘘を取り除いてやっていかなければならない。

道端で踊る時もステージで踊る時も。
布団で踊る時もスポットライトの下で踊る時も。
食う時も寝る時も。
生きるときはいつでも。
覚悟を持っていたい。
まだまだ未熟でどうしようもないけど。
生きることは踊ることで。
踊ることは生きることだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?