今回の人生の目標。

どーも腰痛で悩んで太郎です。
僕は人生で2回右膝の半月板をぶっちぎって救急車で運ばれて手術入院し、リハビリで完治まで2回とも半年かかったという経験があるので体の異変に気づいたらすぐ病院に行きます。

最近腰が痛かったので早速病院へ。
お医者さまは
「ヘルニアの前段階くらいかな」
とのこと。
断定は出来ないそうですがそんな感じだそう。
まーとにかく痛いから休むしかない。
お散歩おあずけ。
パソコン仕事もおあずけ。
踊りもいつにも増して小さい動き。時短。
そうなってくるともう甘いもの食べることくらいしかすることがない。。
いや。この機に最近疎かになってたnoteを更新しよう。
自分を見つめるのは踊りや瞑想や日常だけではない。
言葉の方向からも掘り進めよう。
これは前から決めてたことなのにだいぶサボってしまっていた。
腰が痛いうちに筆を進めよう。
実際は筆なんか使わずiPhoneにフリック入力するだけやけど。
フリックを進めよう。

2年ほど前から友達の助言から
「今年1年の目標」を立てるようになった。
「何か迷った時にそれを基準に考えたら判断しやすい時がある」
とのこと。
面白そうと思ったのでやってみることにしてから3回
「今年の目標」を立てたことになる。
その中で最初に立てた目標が
「今年の目標」から「人生の目標」に変わった。
今回は人生の目標について書きたいのでとりあえず
カウントダウン方式で2023年の「今年の目標」
から発表していく。
正直今年と去年の目標の話は本題とは関係無いのでとばしてもらっても全然大丈夫です。

あと最初に書いておくといつも僕の目標はふわっとしてて目標としては明確な数字もないから良くないのかもしれないけど、何かを成し遂げるというより自分の中で心の御守りみたいなものだからそこはご容赦いただきたい。


まず直近の「今年の目標」は
「緩やかに痩せること」
これは今のところ順調。
年始から3キロ痩せた状態に今ある。
緩やかだ。
目標を立てた理由はシンプルに自分の理想の体型が
ガリガリ体型だから少しずつそれに近づいてみようと思ったから。
痩せてる方が服を選ぶときの選択肢が多い。
あとオーバーサイズのTシャツを痩せてる人が着てるシルエットが好きだ。
踊りも痩せてる方がかっこいい気もする。
ただ個人的に筋トレをするのが嫌いなので具体的にやってることは
「内臓の調子を感じてちゃんとお腹が空いてから食べる」
ということ。
お祭りの時とかはいっぱい食べちゃうけど、意識していると自分が普段いかに内臓を休めずにただ時間が来るだけでご飯を食べていたのかわかる。
惰性でご飯を食べるのは勿体無い。
しっかりお腹を減らせて食べるご飯は美味しい。
だならたまに断食したりすることもある。
特にトレーニングや走り込みをしてるわけじゃないけどそれだけで体重は減った。
できればガリガリが理想だけどこのまま自分の身体に合った重さに自然に近づければ良い。
今年の終わりどうなってるでしょうか。

そして去年の「今年の目標」は
「色んな人とたくさんセッションすること」
これは決めたらめちゃくちゃ色んな人に声かけたりかけていただいたりで年間5、60くらいセッションできてそれが多いか少ないかはわからないけど個人的には良い期間やったと実感してる。
ダンサーだけじゃなくて音楽やってる人とかカメラマンさんやったりしたけどセッションの奥深さとかに気づけることが多かった。
引き出しとかも多少は増えたけど、僕はそういう技術的な部分じゃなくて捉え方とか在り方を色々と発見できて良かった。セッションのことはまた別でまとめてみよう。

そしていよいよ2年前の「今年の目標」。
これが今では「人生の目標」になっている。
そんな目標は

「強く優しく」

ということ。
これが何故「今年の目標」から「人生の目標」
に変わったかというと理由は簡単で一年やそこらで
どうこうできるような事ではないとわかったから。
それでも大事にしたい目標だったから。

実は僕は昔から
「優しいね」
って言われることが多かった。
僕はその言葉が嫌いだった。
「優しい人ってのは都合の良い人だ」
とずっと思ってた。
あと
「他に何の特徴も無いからとりあえず優しいって言うてるだけやろ。」
とか思ってた。
人間なんて大体優しいやろと。
優しい人とか良い人なんて言われる人は損してると思ってた。
そういう評価を受けてしまっていると
「誰かの特別な人」になれる気がしなかった。
それはまた別のところに問題があるんだろうけど、当時はそう思っていた。
別に優しくしようなんて思ってるわけじゃない。
ただ結果そう言われることが多い。

僕はとても不器用で何かを同時進行でやったり、効率良く物事を進めたりできない。
そして話し上手でもなくて口で自分を上手に表現することもできない。

そうなると会話とかの時に自分を上手く表現するよりも
「相手を不快にさせないこと」
に注力するように小さい時から無意識にシフトしていっていたのかもしれない。
そうすると面白味のない「なんか良いやつ」みたいなフワッとした印象ができあがる。
そんなどうでもいい奴が誰かの大事な人になれる気がしない。
器用に生きれる人を羨んだ。
自分を当たり前みたいに曝け出せる人を羨んだ。
どちらも魅力的だと思う。
サークルの飲み会でしっかり潰れる同級生を羨んだ。
自分には出来ない。
「潰れた人を介抱しないと」
とめちゃくちゃ意識してるから自然とお酒の量も考えてしまう。
本能のまま生きていけるのは羨ましい。
僕は理性のバケモノ。
感じたことをしっかり伝えたり自分を出すことより、倫理観とか周りのバランスばかり重んじて中々そのままになれない。
地べたに這いつくばり、頬に土をつけ、何故か泣きながら水と酒を交互に要求する同級生は僕にとっては輝いて見えた。

もちろんたまーーにベロベロに酔っ払ったりすることはあるけどそんなものはお酒の力であって僕の力ではない。
ただ踊りに関しては本能でとゆーか裸のまま踊れる瞬間に触れてからより没頭していった気がする。
踊ることなら自分でいられる。
気づいた時から自分にとってかけがえのないものになった。
それでしんどいことも沢山あるけど。

僕はいつからか踊りはその人であることが大事だと感じるようになった。
踊りでは嘘をつかない。
誠実であることが自分には大事だと。
そんな風に考えて、色々端折るけど
「踊るように生きていこう」
「生きることは踊ること」
と決めた。
自分の感覚を大事にしようと思った。
これって理性ではなく本能のようなものに従うということ。
昔憧れたものに少しだけ近づこうとしているのかもしれない。
(この辺りは「秋田編第0章」とかの記事でも詳しく書いてた気がする。)

色々な感覚の変化を経て、「今年の目標」
を決めるという時が訪れた。
自分のことを書いているとつくづく自分は優しいとは言われていたけど優しい人間ではないなと思う。
僕が大好きな漫画の名言で
「強い人は皆優しい」
という言葉がある。 
本当にその通りだと思う。
優しい人がみんな強いことは無いと思う。
これは昔の自分のような優しいと人から言われるだけの人だと僕は思う。
でも本当に強い人はみんな本当に優しい。
僕の人生で大好きな人たちはみんな強くて優しい。
自分は弱くてちっぽけだけど、そんな人たちが周りにいて自分もそこを目指さないのは嘘だと思った。
踊るように生きると決めて、踊ることは生きることだと考える僕にとって
「強くて優しいひとになれたら強く優しく踊れる」
という確信がある。
逆もまた然り。 

そして「強くなる」「優しくなる」みたいに自分の生き方や価値観を変えることでは無いと思う。

「強く在りたい」「優しく在りたい」
ってことだと思う。
心の在り方を変えること。
胸の奥に刻んで生きていくこと。
努力して「なる」のではなく努力して「ある」こと。
本当に弱くて心根の曲がった部分が沢山あるけどそうあれるようこれからも努力していきたい。

そんな人。そんな踊りを。体現したい。

そうあるべきと知っていてそうあろうとしないのは最も狡いことな気がするから。
人間として踊り手として胸に刻んで生きて行こう。
幸運にも僕の周りには人生の師匠みたいな強くて優しい人が何人もいる。
その人たちから学んでいこう。

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