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何もなくなった時、人は成功者になったり犯罪者になったりする

期待値というものを考えてみる。
一般的に期待値というのは、ある出来事が起こり得る確率の平均値と解釈されている。

例えば、掛け金が500円、50%の確率で1,000円がもらえる、50%の確率で何ももらえない賭けの期待値は0円だ。

カジノにあるルーレットなどは、マス目の罠によって、プレイヤー側の期待値がマイナスになるように設定されている。同じトリックで、世の中にあるギャンブル、あるいは宝くじなんかは、基本的にはプレイヤー側の負け戦になっている。

期待値には、計算なんかしなくても、無意識に導き出せる類のものもある。例えば、普通、人は置き引きをしたりしない。

とくに日本は、置き引きが少ない国だと、海外からも称賛されている。「人の荷物を盗むなんてとんでもない、犯罪でしょ!」と思う人がほとんどだと思うけれど、性悪説的な話をすれば、日本という国が、置き引きの期待値がマイナスの国であるということが、心理的なストッパーの一つなのではないかと思う。

日本の警察は、非常に優秀だと言われている。特に、殺人事件などの凶悪犯罪では、犯人はほぼ捕まる。組織の汚職や、忖度はあるだろうけれど、お金で簡単に買収されるような、どこかの国の警察とは大違いだ。

過去の犯罪はデータベース化されているから、SELECT文で簡単に取り出せる。対して、連続殺人鬼でもない限り、殺人は人生で一度だけのぶっつけ本番の行為だ。

優秀な頭脳集団と膨大なデータベースに、たった1人の頭脳で挑んで、勝ち目があるわけない。それこそ、サッカーボールを買ってもらって、ちょっと本やネットで蹴り方を調べただけの奴が、プロチームに1人で戦いを挑むようなものだ。

それに最近では、街中の至る所に防犯カメラがあって、四六時中我々を監視している。SNSもその一役を担っていて、置き引きなんてしようものなら、世界にその顔を醸されかねない。

小ちゃい犯罪は、
割に合わないのだ。
もちろん、おっきな犯罪も、そのほとんどが割に合わない。

大人は普通、そのことを理解している。
小学校高学年くらいになれば、
ほとんどの子供も暗黙知的に理解するようになる。

でも一方で、世の中から犯罪はなくならない。
上野の飲食店経営者の殺人事件が起きて、手を下す際の報酬が安すぎることが話題になった。

「数百万ぽっちで、人を殺めるなんてどうかしてる」というわけだ。
期待値を考えてみれば、95%くらいの確率で、生涯檻の中から出てこられなくなるか、強制的にあの世へと送られる。

一方で、うまく逃げられる確率は数%で、その報酬が数百万円だと考えると、この賭けは詐欺的に割に合わない賭けになる。
つまり、普通に考えたら絶対に乗ってはいけない賭けになる。

でも事件は起きたし、これからもそういう事件は起きる。犯罪心理学者やテレビのコメンテーターたちは、なぜ犯罪が起きたのかを必死に議論する。そうやって頭の良い人たちが集まってみても、結局は答えにたどり着けない。

快適な部屋で放送禁止用語を避けながらする議論に、どんな意味があるのだろう?
秋葉原の通り魔時間や少年Aみたいに、自伝を書く犯罪者もいるけれど、結局本人たちでさえ、自分がなぜ凶悪犯罪の当事者になったのか、理解なんてできていないのだ。

答えはいつも風の中、
思考回路はブラックボックス。
だいたい、犯罪者の考えなんて理解できるわけがない。
もしも理解できるなら、そいつもいずれ罪を犯すだろう。

少なくとも、私には犯罪者のことなんてわからない。
世の中には、たま〜に、話の通じない人間がいる。

街中で突然キレだす奴とか、
電車の中で奇声をあげている奴とか、
精神的な病気の人もいれば、原因がわからない人たちもいる。そういう人たちのことを「理解しよう」なんて、無駄な労力を使っちゃいけないし、少なくとも私は使いたくない。

そういうことは、それを生業としている専門家に任せておくのが一番だ。

話は戻って、期待値というものを考えれば、人は簡単に犯罪を犯したりしない。

不思議に思ったことはないだろうか?
ある凶悪事件が起きて、その犯人が捕まった時、仮にその人が初犯の50歳だったとする。
事件の詳細を聞けば、人の所業とは思えないほど残酷で、常人には理解できそうにない。でも不思議なのは、その人が、事件を起こす前日までは、普通に生活していたということだ。

犯罪者は、突然変異的に生まれたり、どこか別の星からやってくるわけではない。それどころか、昨日まで、普通の人たちと一緒に働いたり、レストランで食事をしたりしているのだ。

ではいったいどこで、普通の人と犯罪者は別の道を歩くことになるのだろうか。
一つの見解として、タガの外れた人間は、犯罪者になる可能性を持つという主張がある。

つまり、孤独や無職によって追い込まれた人が、犯罪者になる可能性があるということである。ネットでは、無敵の人といった呼ばれ方をしている。

怒りや悲しみが積み重なり凶暴化の閾値に達したり、絶望感が積み重なったりして、そうしてようやくジョーカーは誕生する。

負の蓄積が浅いうち、とくに若い頃なんかは、嫌でも人との関わりがある場合が多いし、選ばなければ仕事なんていくらでも見つかる。将来の可能性はまだつぶれていないから、多少、今がが惨めでも、なんとか生きていられる。

それが、歳をとると、自ら動かなければ孤独になることも多くなるし、選ばなくても仕事はなくなる。ある程度の年齢になれば、どんなに頭の悪い人でも、自分の将来が見える。

このまま生きていても仕方ない」となるのだ。

でも孤独や無職になった人たちが、みんな凶悪な犯罪者になるわけではない。誰にも迷惑をかけずに(家族以外)家に引きこもっている人たちもいるし、ホームレスになって路上で必死に生きている人たちもいる。

一方で、ちゃんと会社員として働いて、社会的な立場もあるのに、犯罪を犯す人たちもたくさんいる。ある特定のグループの中から、ある特定の人たちだけが、犯罪者になる。

傾向といったものはもちろんあるんだろうけど、核心とはほど遠い。それがわかっているなら、そもそも犯罪なんて起きていない。

私は常々、犯罪者と成功者は、紙一重の存在だと思っている。人は何もなくなった時、生存を脅かされる。

無職と孤独というのは、人類にとってとてつもない恐怖をもたらす。昔から人間は群れを作って生きてきた。獲物を狩ったり、農地を耕したりして生きてきた。

今はそれが、SNSでの投稿になったり、パソコンでのプログラミングになったりしているだけだ。
群れからはぐれて、かつ狩もできない状態というのは、いわゆる生存戦略的には詰みの状態で、これはとてつもない恐怖を感じる。

何もかも失ったことのある人は知っているだろうし、そういう経験がないなら想像してみてほしい。
ひとりぼっちの部屋の中で、食料が尽きて、お金が尽きて、例えば電気を止められたりなんかしたら、どんな気持ちになるだろう?

人間は貧乏になると、IQが下がるらしい。
追い込まれると、人は近視眼的になる。
明日生きられるかわからない人間に対して、
「どんな人間になりたいですか?」と質問しても無駄だ。

そしてIQが下がり近視眼的になると、
期待値の計算ができなくなる。
片方の天秤にのった甘い罠にだけ、目がいってしまう。
多少なりともお金がある時の1,000円ははした金だけど、何もない時の1,000円は命の水だ。

起業したばかりの人たち(親や親会社の支援がある人を除く)も、得てして近視眼的になりやすい。
ベンチャー企業の創業物語には、魔の川、死の谷といった恐ろしい言葉が並べられている。

簡単に言うと、軌道に乗る前に潰れてしまうという意味を持っている。起業、独立当初は、金詰まりになりがちだ。私は社員を雇った経験がないからわからないけれど、社員や家族がいたら、人の分まで頑張らなきゃいけないわけで、金詰まりは会社の死以上の意味を持つに違いない。

どん底に落ちた時、成功した人間は勇気を持って自分の信じた道を進む。一方で、犯罪を犯すという間違った勇気を持つ人もいる。

起業しました。人を殺めました。といったワイドショーが喜びそうな話ではなくて、今有名な人や企業も、「実は創業当初はけっこうグレーなことでご飯を食べてました」というところは、意外に多い。

今や超有名企業のD◯Mも、元々はアダルトビデオでのし上がってきた。Webマーケティング系の会社は、ステマやサクラを積極的に活用し、アダルトな広告を配信したり、詐欺まがいのコピーで利益をあげてきた。
そして成熟すると、あたかも社会的貢献のために存在するかのように、CSRを声高に叫び出す。

亡くなった紀州のドンファンは、コンドームの実演販売で財を成した。フリーランスなら誰でも一度くらい、「人としてはどうかと思うけど、お金や実績のためには仕方ない…」というような仕事を、引き受けたことがあるに違いない。

社会的にも精神的にも潰れそうなとき、人はなりふり構わなくなる。高尚な信念を持ち続けることもできるけれど、現実的には汚れ仕事を引き受けざるを得ないこともある。

自己肯定感が高くても、低くても、結末は同じになることもある。

「頑張って働いても意味がない」と「理想のために頑張る」とでは、紙の上では全く異なる。信じられないだろうけど、でも現実の世界では、同じ未来を引き起こすこともあるのだ。

もう10年くらい前の話、某有名私大の学生が、投資詐欺で数億円を持ち出し、海外に逃亡したというニュースが流れた。容疑者は人としての道を踏み外したけれど、期待値の計算に長けていた。スキームがまともなら、単なる起業よりも詐欺の方が、若くして大金を稼げると思う。

詐欺事件は、チームを使うことで期待値がプラスになる可能性がある。もちろん、受け子や出し子なんていう、下っ端の期待値は大幅なマイナスになる。
オレオレ詐欺なんてわかりやすいものだけじゃなくて、世の中には色々な詐欺が存在する。必ずしも詐欺とは言い難い、グレーなものもある。

詐欺の中には、アウトローがはなから詐欺のために立ち上がるグループある。一方で、初めは高尚だった起業家が、生き残るためや保身のため、あるいは野心のために、詐欺の道に走ることある。

米国で「ジャンクポンドの帝王」と呼ばれていたマイケル・ミルケンは、ビジネスチャンスを見つける天才だった。映画『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』のジョーダン・ベルフォードは、説得の天才だった。

トケマッチの社長は、今も海外を逃げ回っている。

これなんかは、始まりが違っても、同じ運命をたどることになったわかりやすい例だ。

そう思うと、私には「たった数百万円くらいのお金で人生を棒に振る選択」が、必ずしも理にかなわないとは思えない。

ただ、IQが下がっていて(あるいは元々低い)、いくつかある選択肢から、近視眼的な選択肢を選んだだけだ。別の世界線では、大企業の社長になっていたかもしれない。

人にはどう頑張っても見えないものがある。ある人の言動が一見して異様に見える時、何か、自分には見えていないもの、知らない情報があることを真っ先に疑うべきだ。

答えはいつも風の中。
思考回路はブラックボックス。
犯罪者と成功者は紙一重。
そのどちらになることもできるし、
もちろん、どちらにもならないことだってできる。

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