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【ただゆるく生きたい】私の人生プラン

子供の頃、歩いて海に行けるような場所に住んでいる人たちのことを羨ましく思っていた。家族で海釣りに行った帰り道、潮のにおいを感じながらお寿司を食べて、クーラーボックスの生臭さに釣果を感じる。

でも2011年3月11日に、日本人にとって海は恐ろしいものになった。あの日以来、海沿いの街に住みたいなんて一度も思わなくなった。

未来はどのくらい先まで見えるだろう。
世界でもトップレベルの投資家レイ・ダリオ氏の方程式に当てはめると、日本はもう立派な衰退国になっているように思う。

  • 債務が膨らみつづけている

  • 経済格差が広がり続けている

未来のない国で、
未来について語り合う。
落語の演目にでもなりそうな、そういう世の中でみんな生きている。「頑張れ」という言葉が皮肉になるなんて、いったい誰が想像できただろう?

頂き女子やトクリュウ、それから東横キッズなんかは、荒んだ世の中が生み出した反逆者だ。
非常識な政治家(ガー◯ーみたいな)が誕生して、恐ろしくもそこに一定の支持者がついてしまうことについて、偉い人たちはもっと真剣に考えたほうが良いと思う。

国が荒むと、ポピュリズムが台頭する。
一見すると狂っているような奴らが支持を集め出したら、みんなそれだけ怒っていると考えた方が良い。

みんないらついてる。
ブロッコリーが400円になっちゃう世の中に、もうみんな我慢できなくなっている。
冗談抜きで、これ本当。

経済学の用語に所得効果というものがある。
普段買っているもの、例えばいつも買っている卵の値段が200円から180円になれば、消費者の所得が20円分増えるのと同じこと、というもの。

ブロッコリーが400円になっちゃったら、どんだけ実質的な所得が減るねん。「#マッチョブロッコリー破産」という言葉がXを賑わすぞ。もう待ったなしで。

こういう世の中で、
明るい未来を想像するのは難しい。

多少のインフレは、経済学的には歓迎されている。
でもそれは、収入の上昇とセットだし、現実の世界では、必ずしも理論が正しいわけではない。

少ない若年世代で、人数の多い高齢世代をおんぶする。お年寄りは敬うべき存在だけど、現実的に考えて、1人がおんぶできる人数には限りがある。

医療が発達して人間はゾンビみたいに長生きするようになった。その一方で、新しい命は生まれてこなくなった。

全国民を巻き込んだネズミ講は、いつでも新たな参加者を求めているけれど、もう素直に騙される人は少ないし、現実的な問題として、自分1人ですら生きるのが大変なのに、気軽に子供を産んで育てられるような世の中ではない。

私は、日本は金融国家になるべきだと常々思っている。インドやインドネシアのように、人口増加を当てにした経済成長には期待するべきじゃない。

人口が減るとか言われているけれど、減ることの何が問題なのだろう。小ちゃな島国に1億3千万人が暮らしているということの方が、むしろ問題なんじゃないだろうか。

人口減少を短絡的に衰退につながるのではなく、そもそもの前提が間違っている可能性を考えてみた方が、議論は現実的なものになると思う。

GDPがドイツに抜かれたとか、近いうちにインドに抜かれるとか、でも言って、今現在世界4位(国民一人当たりだと34位)だ。
問題なのは、国全体としての経済成長ではなく、国民ひとりひとりの幸福の方だ。日本よりもGDPの順位の低い国が、日本よりも不幸というわけではない。

日本のボーナスタイムは、1991年に終わった。でも終わったことに気づかずに、過去の幻を追いかけ続けている人たちもいる。

もうジュリアナ東京の音楽は止まったんだって。
小泉政権は不良債権を片付けたけれど、
人々の負のマインドには手をつけなかった。

もうあの頃とは違う。
若者は数万円で犯罪に手を染めるし、
どれだけ若い頃に真面目に働いても、
老後に待っているのは破産の運命だったりもする。

そういう世の中で、
私は、自分と家族を守りたい。
自分と家族を守るために、いつも頭の中で、様々なパターンに備えてシミュレーションをしている。

  • 経済的に困るような状況にはなりたくない

  • 砂漠に放り投げられても生き延びたい

  • 戦争になりそうになったら海外に移住したい

  • 経済破綻に備えて外貨割合を高めていきたい

  • 働く場所を固定されないようなスキルを身につけたい

  • ひとりの時間を大切にしたい

  • いつ死んでも良いけれど、死ぬ直前までは健康体でいたい

  • モテたいとは思わないけれど、綺麗な人と遊びたい

  • 自然や動物と触れ合う時間を大切にしたい

世の中には、永遠に続くものなんてない。
栄枯盛衰だけが、この世のたったひとつの真理だ。
スペインが強国だった時代が終わり、英国が強国だった時代が終わり、それから米国のドルが基軸通貨になって、世界の警察になった。

日本の企業が、ロックフェラーセンターを買収した時代もあった。
でもそういう時代は終わったし、米国が覇権国家だった時代も、いずれ終わる。

次に覇権を握るのは、中国か、それともインドか、インドネシアか、あるいはどこかにダークホースが隠れているのか。何も確かなものはない。確かなものは何もないから、いつも謙虚で柔軟な姿勢を忘れないようにしたい。
柔らかいものは、きっとANTIFRAGILEに違いないのだから。

正しさは時代によって変わる。
覚醒○は元々、戦争の道具として、兵士の恐怖を抑えるために使われていた。
今じゃ信じられないけれど、昔は先生がタバコを吸いながら授業をしていた。

今は健康に悪いと言われているものが、昔は「健康に良い」と奨励されていたこともある。薬害は、わかりやすい悪党ではなく政府が引き起こす。先生が生徒を殴ったら、たぶん今ならSNSで炎上するけど、昔はみんな、一度くらいはボコボコにされていた。

おじさんが社内の若い女子社員のお尻を触るなんて、別に騒ぎ立てるようなことじゃなかった。

時代は変わる。時代は変わるけど、その流れについていけない人たちは、過去の産物として、隅に追いやられてしまう。だから無駄に成功体験なんて持たない方が良い。

持ったとしても、そこに固辞しない方が良い。
今日正しかったことが明日も正しいとは限らない。
自分の中の正しさを決めるのは自分自身だけど、世の中の正しさを決めるのはismだ。

たとえ納得できなくても、枠の中で生きる以上、従わなければならない。そこに歯向かう人たちは、結局は周庭さんみたいに、亡命でもしなきゃならなくなる。

私たち個人は、大きな力には逆らえない。中国人の友達が、「政府の悪口を言った友達が連れていかれた」と言っていた。個人は徒党を組まないと、大きな力には敵わない。昔の人々は、そうやって血みどろの革命をやってのけた。
でも私は、極力そういう血生臭いことはしたくない。

ただ、ゆるく生きたい。
ゆるく歩いて行きたい。
そして安らかに眠りたい。
人や動物の血や涙は見たくない。

静かなカフェで、海を見ながら本を読んでいたい。
カフェの窓から、犬の散歩をしている人を眺めたり、無邪気な子供たちを見ていたい。

肩書きも、権力も、物も、何もいらない。
ただただ緩やかに生きたい。時代は変わっても、それだけはずっと変わらない。


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