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生きた英語、死んだ英語

別のある日、カマルが話の途中で不意に言った。
「おまえは英語をどこで覚えた」
「日本の学校でだ」
「どのくらい習った」
中学から大学までだから約十年になる。私がそう答えると、カマルは弾けるように笑い出した。
「それで十年か」

『深夜特急4 シルクロード』沢木耕太郎

日本では、義務教育の一環として誰もが英語を勉強する。高校受験や大学受験でも、英語が必須になっている場合が多い。

にもかかわらず、日本人は英語が下手な人種だと言われている。

私自身、小・中学校の頃には英語塾に行っていて、中学、高校、大学では学校で、社会人になってからは英会話教室に少し通っていたけれど、英語力はひどい。

読むことや聞くことは多少はできるけれど、喋れない。とりあえず単語を繋げて、日本人的な発音でしか、自分の考えを伝えることができない。こういうのは、死んだ英語だ。

高校受験や大学受験の頃に勉強するのは、死んだ英語のほうだ。頑張れば洋書や英語の論文を読めるようにはなるけれど、意味のある会話はできない。

対して、生きた英語を話す人たちもいる。外国人の中には、読めないけれど、書けないけれど、現地人と簡単な会話ができる人たちがいる。そういう人たちの中には、学歴なんてものは全然ない人たちもいるけれど、生きていくための意思疎通には困らない。

帰国子女が英語に堪能なのは、机に向かって英語を勉強したからではなく、必要に迫られて日常的に英語を使わざるを得ないからだと思う。そういう意味で、日本人同士でつるむような留学先や、日本にある英会話教室なんかじゃ、生きた英語を身につけることはできない。

「今は翻訳が優秀だから、外国語の習得なんて必要ない」という人たちもいる。

確かに、意思疎通だけであれば、スマホ一つあれば事足りる。買い物ができるし、行きたい場所に行ける。でも人間と楽しくお喋りしたいと思ったら、翻訳なんかよりも、お互いが話せる言葉で話した方が良いに決まっている。

いつだったか、日本の反対側にあるような国の女性を英語でナンパしたことがある。聞いたともない国だったけど、彼女は英語を話すことができた。私は下手な英語で何とか会話を繋げて、彼女とバーで飲むことになった。

男と女がバーにいたら、男は酒を片手に口説き文句を囁いたりするものだけど、私はそういう英語を一つも知らなかった。受験勉強で習ったのは、"This is a pen." みたいなものばかりで、目の前の綺麗な女性を口説くための言葉なんて知らなかった。

私は死んだ英語を溜め込んでいた。必死になって、それが正しいことだと思って。ほんと救いようがないと思った。

海外に行ったり、外国人旅行者に道を尋ねられたりする度に、「もっと英語が話せたらなぁ」と思うけど、死んだ英語が亡霊みたいに背中に纏わりついている。

学生時代を通して勉強してきた英語は、コミュニケーションのための手段ではなかった。暗記して、先生の前で発表して。CDから聞こえてくる英語をシートにマークして、長文読解をする。

いつでも一方通行の暗唱だった。でも現実の世界では、相手がいる。
テストでは、"Where are you going?"と言えば、マルをもらえた。でも現実世界では、相手からの返答がある。

そして死んだ英語が身に染み付いてしまっている人間には、相手の返答が理解できない。死んだ英語を捨てる、生きた英語を身につける。もしもお金に余裕があるなら、子供には留学を経験させた方が良いと思う。

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