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台北24時間旅行記(内省ver.)

※この記事は「心理的側面」を書き綴ったものです。


タイトルの通り「滞在時間24時間」の弾丸旅行をしてきた。
きっかけはいくつかあったものの、決め手となったのは「自分の変化を体感したかったから」ということに尽きる。
最後に台湾を訪れたのは五年前。心理学を勉強し始める以前のことである。先日京都・大阪を訪れた際に「以前と自分の感覚がまるで違っている」ということに気づき、その変化がどうしようもなく不可思議であり新しい発見であり、また別の土地を訪れることで、より深く探りたいと考えたのだ。

非日常に足を踏み入れいつもと違う体験をすることを「特別」と感じなくなったのは、数年前のこと。コロナ禍で不要不急の外出を控え、当たり前を疑う日々が多くの人に降り注いだあの時、私が感じたのは「“当たり前”へ感謝すべきだった」ということではなく「日常と非日常に境界線などないのだ」ということだった。
未来に設けた「特別な日」のために、そうでない日々を退屈で面白味のないものと捉え、まるで消化試合のようにやり過ごす。こういう生き方を続けていた人にとって、コロナ禍は残酷なものであっただろう。多くの人は「当たり前に生活できることへの感謝」という視点で内省をしていたかもしれないが、私は「そもそも特別と平凡を区別する必要さえないのだ」と感じていた。
特別なイベントや記念日、ご褒美。スペシャルな未来を設定しなくとも、狭い範囲で限られた喜びを見出し、日常の中の幸福に気づく。そんな生き方ができれば、幸福と不幸の境界線を取っ払い、「どこにいても楽しめる」「何もしなくても充実できる」といった人生を自ら選択できる。
地元を走る電車がそっくりそのまま東京まで繋がって、乗り換えて、世界中のどこへでもアクセスできる現実を思えば、日常と非日常を区切るラインなど存在していないことがよくわかる。「ここからここまでが生活圏」と考えているのは自分であり、明確な色分けをする必要などどこにもないのだ。

出だしから長くなってしまったが、私の中にそういった境界線がなくなっていることに、関西地方に行った時に色濃く気づいたのである。コロナ禍で悟った“東京のイベントに参加すること”への脱イベント感。そんでもって、わざわざ新幹線を乗り継いで遥々訪れた京都や大阪に対する、非・特別感。もしくはアウェー感のなさ、ともいえる。
自分自身が「お客様ではない」と感じることや、どこへいっても続く“ホーム”な感覚。すれ違う人を「関西人」や「自分とは違う人」と感じていないし、誰かが私を「よそ様」として区別しているとも思わない。仮に私を「関東の人間」として警戒する者がいれば、それはその人自身の問題で、「関西人は関東人を嫌ってる」なんて発想にはならない。心理学を勉強して発達したのはそういった、真に人を見る目なのだと痛感する。
関西地方で体験したこれらのことは、関西地方に行かなければ分かり得なかったことで、私は沸々と「他の場所でもこれを試したい」「どこまで行けば私は境界線を感じるのだろう」という気分になり、渡航を決意するのであった。

結論からいえば台湾でも「地元みたいなテンション」を発動しまくっていた。もう、ぶらっと遊んでくるよ、といった気分なのである。台湾への渡航が今回で四回目、という事実を加味すべきかもしれないが、それにしても、過去三回の渡航時とは全く違う部分が山ほどあった。心の問題が解決すると、旅先での心理的負担も軽減される。これは私自身としてもありがたい変化だ。

まず、人の目を気にせず自然体で過ごせる、これが第一の変化。
もちろんこれは「異国の地で羽目を外して好き勝手をする」という意味ではなく、「失敗や恥を恐れずにどんどんチャレンジしてみる」という意味である。
ところで、自己肯定感が低い人の多くが、自分のことを被害者や犠牲者、もしくは欠陥やポンコツとして捉えている。
あらゆることで損をし、恵まれない、奪われる側の弱者として自分自身を認識している。その思いは「私には不足がある」「誰かや何かに満たしてもらわなくては」という錯覚を起こさせ、「私には助けが必要だ」という思考に至らしめる。なにもこれは脳内で常に「誰か助けて!」と考えているということではなく、潜在意識の奥底で言語化されることなく、モヤモヤ状態のまま漂っている、ということだ。
滞在したホテルから台北駅まで、歩いて20分ほどの距離だった。到着日は体力があったので歩くことができたが、出発日は疲れていて、台北駅までの距離を歩くことに前向きになれなかった。調べてみたところ、ホテルのすぐそばにバス停があり数分後に台北駅行きのバスが来るとの情報。十年近く前に台湾に来た際は地下鉄やバスを利用し、台北市内を幾つも観光したのだが、あれっきり台湾のバスには乗っていない。記憶は朧気だし、あの頃とシステムも変わっているかもしれない。数年前の私なら、不安に勝てずに台北駅まで歩いていただろう。早朝でも蒸し暑い街中を歩いて、体に負担をかけていたと思う。
しかし今の私は「とりあえずやってみるか」と考えて、乗車方法だけ簡単に調べてバスに乗り込んだ。「分かんなかったら誰かに聞こう」ぐらいの感じ。(ちなみに私はカナダに留学していたことがあり、簡単な英会話はできる…のだが、それももう十年以上前のことなので、大したコミュニケーションは取れない。)当たり前のように、無事に台北駅まで着く。トラブルもアクシデントも発生しなかった。ここまでほんの数分間のことだが、私は自分の心の変化を観察していたのだった。
もし私の自己肯定感が低く、「自分はダメなポンコツ人間」と考えていたら、バスに乗ってからも冷静になれなかったと思う。パニックを起こしながらデタラメな英語で乗客や運転手に話しかけて、「バスの乗り方が合ってるか分からない! 教えて! 助けて!」と、朝からひと騒動起こしていた可能性もある。それか、ドキドキしながら周囲を観察して「私は観光客だから、何かあっても大目に見てね」なんて、愛想笑いを振りまいていたかもしれない。誰も私のことなど見ていないのに。
過去に台湾を訪れた時はそんな風に周囲との距離を測って、害のないように演じたり、助けが必要な自分と戦っていたりした。当時を思えば、心理的に疲弊していたことが伺える。四度目の旅での気づきは、そういう「心の疲れ」が何一つなかったことにある。ありのままで過ごせることのありがたさを痛感する。

第二の変化は、出会いや体験を特別視しないということにあった。
先述した通り、日常と非日常を区別することはなくなったし、遠くの地を訪れたからといって、自分自身に何か特別なことが起きるとも思っていない。行くことで幸福になるわけじゃないし、帰ったからといって不幸になることもない。浮き沈みがないことを「つまらなさそう」と感じる人もいるかもしれないが、そんなことは一切ない。何よりもこの心の平穏は、楽なのである。
以前の私は旅先で出会った人達に対して、過度に感情移入をさせていた。他人の親切や笑顔に心を動かされ、感傷的になり「ここで出会った人達と、もう二度と会えないのかもしれない」などと、出来事を大袈裟に捉えドラマチックな気分に浸ることがあった。
旅ゆえの感傷であれば、まぁそういうこともあると思えるが、私の場合旅先でなくてもこういった気分になることはままあった。これが通常運転なのだから生きづらい。こういった部分を「感受性が豊か」とか「繊細で優しい」という言葉で美点とされることがあるが、私の場合はただただ「自己否定感が強かっただけ」だと、今なら断言できる。
自己否定的で罪悪感が強かった私は、旅先で出会った人の優しさに触れた時に「こんな私に良くしてくれるなんて」とか「私にはそんな価値ないのに」と消極的に受け止めていたし、さらには「優しさだけ搾取して去っていく自分勝手な私」という気分にさえなっていた。理解できないかもしれないが、虐待を受けて育った人間はこういう思考にもなり得るのだ。
旅することで自分を罰する。幸せになることや、肯定の言葉を素直に受け取れない人の心には、罪悪感がこびりついている。そのこびりついた罪悪感は、旅先でも心のエネルギーを奪う。ここまでが過去の私。
では現在の私はどうかといえば、そのような「ドラマ」が一切ない。人とのコミュニケーションに囚われる必要がないので、心の負荷もない。
親切な人や笑顔を見せたくれた人はいたけれど、「旅先だからうんぬん」とか「観光客だからかんぬん」っていちいち意味付けする必要もなければ、当たり前の生活の中で互いが出くわしただけで、特別でもなんでもない。そう思えることが、とにかく楽だった。今までは大袈裟に美化し、誇大賞賛していた。そりゃ疲れるよな。

そんな感じで、街歩きのような弾丸旅行は終わった。心の変化は予想通り、「どこに行っても境界線を感じない」ということにあった。何度も旅行したことがあるとか、日本に近い国だから、とか、様々な前提こそあるものの、私の中で台湾は「ホーム」なのだと、実感をするに至る。また何度でも訪れたい。
そして、一体全体どこまで行けば、人との距離や温度差や、アウェー感を感じられるのだろうか。行ったことのない国だとか、言語が通じないとか、文化が大きく違うとか。何年かかるか分からないけれど、これからも沢山の地を訪ねたいと思う。

五月二十九日 戸部井