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邦人作曲家シリーズvol.15:藤枝 守(text:五十嵐玄)

邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載

キー・ワードは「響き」

TEXT/五十嵐玄
*musée 1999年11月20日(#22)掲載

藤枝1


「テリー・ライリーが来日する」、そう聞いた時は実は、またミニマルの大家のお出ましか、という印象があったことを最初に告白してしまおう。しかし今回の来日公演を含む神奈川芸術フェスティバル[響きのルネサンス](12月4日・5日・11日、於:神奈川県立音楽堂)の企画意図について藤枝守に話を聞くうちに、そこにはもっとずっと大きな枠組みの転換が提示されていることに今気付き始めている。与えられたキー・ワードは「響き」、いやもっとはっきりいえば「音律」の体験の場であるといっても良いだろう。

 さてここで問題となる「音律」の問題を、強引ながらひとこと最初に整理しておいた方が良いかもしれない。我々が通常聞いている音楽というのは、例えばピアノの調律に代表される「平均律」と呼ばれるチューニングによっている。ヨーロッパの近代以降の音楽では構築性や形式を得るための転調を器楽的に容易に処理する必要から、各半音の間の音程間隔を均等にとった平均律を採用してきた。しかし音響的定理に適った、完全な協和音による透明な「響き」は犠牲にされ、どこをとっても不完全な協和しか得られなくなってしまったのである。(より正確な解説は、藤枝守著『響きの考古学ー音律の世界史』(音楽之友社)に詳しい。)もちろん、協和音感覚そのものがそう簡単に侵されきってしまう筈はなく、例えば合唱の世界では半ば無意識的に平均律ではない純正調に近いかたちで協和音が実現されている場合も多い。また非西洋音楽では、多くの音楽の中に純正調に基づく響きが息づいている。

 今回の一連のコンサートの企画者でもある藤枝守は、この問題に果敢に挑み続けている作曲家である。彼の最初のアルバム『遊星の民話』は音楽のスケールの問題が扱われており、現在の音律の問題意識の萌芽が感じられるが、どちらかといえばそのシステマティックな運用の方に焦点が当てられているようであった。その後のアメリカ西海岸留学を経て、ルー・ハリソンなどの、もうひとつのアメリカの実験音楽の流れを見い出し、その音楽を大きく変化させた。一時期は、コンピューターを用いたインターラクティヴな音楽のありかたの模索を続けていたが、ついに純正律に基づく日本の伝統楽器によるアンサンブル〈モノフォニー・コンソート〉を組織するに至っている。今回の3夜にわたるフェスティバルの企画も、彼の「純正律」に基づくグローバルな音楽世界観によらなければ、きっと強引な三題噺にしかならなかったであろう。

 まずその第1夜(12月4日)がテリー・ライリーによる純正調ピアノ・ソロ・コンサート。〈ミニマル音楽〉の代名詞格ともいえるライリーだが、ここでもはテーマは「純正調による響き」ということになる。〈反復する音型〉というミニマルのお題目と、〈純正調〉とはライリーの場合、なんら矛盾するものではなくむしろ、協調的なものである。たとえば比較的初期に属する、純正調オルガンによる作品《Sri Camel》(1976)などは、両者の融合があってはじめて成立するものだ。1986年にも草月ホールで純正調のピアノを演奏しているし、前回の1992年の来日でも「純正調MIDIピアノ」によって、私の大好きな《The Harp of New Albion》による組曲を聞かせてくれた。しかしその後の例えばクロノス・クァルテットの《平和のためのサロメ・ダンス》などの成功のイメージが強くなったこともあって、ライリーにおける純正調の問題というのは、いつしか私の中では風化していたのだった。しかし、今回のライリーの〈純正律ピアノ〉による世界初演新作《The Dream》に対する意気込みを知り、前回の来日時に行ったインタヴューで、「純正律と通常の平均律による音楽は、使用する楽器の制約などもあり、ある種の妥協として両方を平行してやっているのだ」、と語っていたのを思い出した。「コンセントレイション(集中)とメディテイションの両立の上で、心をオープンにしておくことが大切なんだ」と言っていたライリーの音楽には、やはり〈純正調〉の深く豊かな響きが必要なのだ。

 今回のフェスの第2夜は、〈純正律〉を用いた「モノフォニー・コンソート」の演奏により藤枝守自身の《植物文様》第十一集、伊福部昭の《サハリン島土民の3つの揺籠歌》、テリー・ライリーの《In C》(純正調ヴァージョン)、H.パーチ、ルー・ハリソン、ジョン・ルーサー・アダムス(委嘱新作)らの作品が取り上げられる。伊福部作品は、もちろん元来は通常の平均律のピアノ伴奏による1949年の作品である。しかし藤枝はこの作品に潜む純正調性に着目し、純正律の一種であるピタゴラス音律に変換し、2面の箏とメゾ・ソプラノによるヴァージョンとしている点が注目される。現代の響きの底に息づく隠れた深い響きを注意深く聴き出してゆくという、まさに「響きの考古学」の成果といえるだろう。

 第3夜は、鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン、他による演奏で、モンテヴェルディの『聖母マリアの夕べの祈り』(藤枝守作曲による交唱を含むオリジナル・ヴァージョン)。400年近い時を経て、ミーントーンと呼ばれる音律による壮麗な響きと、藤枝が新たにピタゴラス音律によって作曲した清澄な響きが呼応する演奏となる。これまで、ややもすると〈平均律〉か〈純正調〉かという、二項対立で語られがちであった音律の関係が、より豊かな響き合う関係に入ったことを感じさせてくれる演奏会になりそうだ。


■プロフィール
1955年生まれ,作曲家/九州大学大学院芸術工学研究院教授
現代音楽の作曲家として,コンクールでの受賞および音楽フェスティヴァルでの作品上演多数.多くのミュージシャンと共演し,異分野のアーティストとのコラボレーションも積極的に展開している.海外の最新の現代音楽およびサウンド・アートの紹介にも尽力.現在は,音律の方向や可能性を模索するために「植物文様」という作曲シリーズを展開するほか,筝や笙の編成によるアンサンブル「モノフォニー・コンソート」を結成し,定期的に公演を行なう.多数のCDリリース以外に,著書として『[増補]響きの考古学—音律の世界史からの冒険』(平凡社ライブラリー)などがある.博士(音楽学).
https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/fujieda-mamoru/


響きの考古学
藤枝守
音楽之友社(絶版)
藤枝守作品集〜箏組曲「植物文様」
西陽子(瑟・箏・十七絃箏)
石川高(笙)丸田美紀(箏)
[コジマ録音 ALCD-52(廃盤)]
PATTERNS OF PLANTS
MAMORU FUJIEDA
[TZADIK TZ 7025]
プラントロン・マインド
銅金祐司+藤枝守
[ケープランニング KPCD-01]
THE HARP OF NEW ALBION
TERRY RILEY
[CELESTIAL HARMONIES CEL018/ 19 14018 -2] 2CD


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