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邦人作曲家シリーズvol.23:菊地成孔

邦人作曲家シリーズとは
タワーレコードが日本に上陸したのが、1979年。米国タワーレコードの一事業部として輸入盤を取り扱っていました。アメリカ本国には、「PULSE!」というフリーマガジンがあり、日本にも「bounce」がありました。日本のタワーレコードがクラシック商品を取り扱うことになり、生れたのが「musée」です。1996年のことです。すでに店頭には、現代音楽、実験音楽、エレクトロ、アンビエント、サウンドアートなどなどの作家の作品を集めて陳列するコーナーがありました。CDや本は、作家名順に並べられていましたが、必ず、誰かにとって??となる名前がありました。そこで「musée」の誌上に、作家を紹介して、あらゆる名前の秘密を解き明かせずとも、どのような音楽を作っているアーティストの作品、CDが並べられているのか、その手がかりとなる連載を始めました。それがきっかけで始まった「邦人作曲家シリーズ」です。いまではすっかりその制作スタイルや、制作の現場が変わったアーティストもいらっしゃいますが、あらためてこの日本における音楽制作のパースペクティブを再考するためにも、アーカイブを公開することに一定の意味があると考えました。ご理解、ご協力いただきましたすべてのアーティストに感謝いたします。
*1997年5月(musée vol.7)~2001年7月(musée vol.32)に掲載されたものを転載


菊地成孔
WORDS/菊地成孔

*musée 2001年7月20日(#32)掲載

菊地

どうも初めまして。僕はいくつかバンドをやっているのですが、ここではニューリリースのある「DCPRG(デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン)」というバンドに絞って御紹介させて頂きたいと思います。

 このバンドは11人編成の生バンドで、メンバーには当「musee」でもお馴染みの大友良英などがいて、ロック〜ブルース的なアプローチでエレキギターを弾きまくる。なんていう強力なオプションも装備されていたりするのですが、音専誌的、外資系CDショップの売場的に大雑把に言うと「クラブ・ジャズ」もしくは「ジャムバンド」もしくは「アフロ〜ファンク」なんかにカテゴライズされる類の音楽です。東京都内のクラブでライブ活動を行っています。

 このバンドで僕がやりたい事はいろんな側面から多数のファクターがあるんですけど、ひとつにピックアップして御紹介させて頂くと「グルーヴ=ダンス対応音楽のニューフォームの追求」というのがあります。サンプラーとテレコ、五線紙と黒板があれば5分ぐらいで説明終わってしまう話なので言葉で書くのはややもどかしいのですが、ちょっと書いてみましょう。

 先ず「グルーヴ=ダンス」という事ですが、ここで言うグルーヴとは時間周期の事です。ファンク、ロックに代表される多くの音楽がこれで、これによって踊ると言うことは他律的な運動。つまり、音楽に憑き動かされて踊りだしてしまう。という行為ですね。ほとんど総てのクラブミュージックがそうですが、これに対して「ノーグルーヴ(時間周期を持たない、或いは簡便に感じさせない)音楽によるダンス」というのもあるわけで、インプロヴィゼーションとモダンダンサーのコラボレーションとか能、或いはミニマルスタイルやセリースタイルによるバレエ音楽なんかが代表ですけど、こちらは自律的な運動、つまり振り付けがあったり(振り付けに従うのだから他律的だろう。という事では無いことはお解りですね。振り付けを創作するというのはコレオグラファーによる強自律的な行為ですから)即興で踊るにしても音楽の周期的律動に身を委ねて踊り狂う行為と比べると、遥かに自律的です。

 僕がやりたいのは、この両極のグレーゾーンなんです。厳密に言うと、グルーヴ音楽寄りの立場です。グレーゾーンに踏み出すんだけど、軸足はファンク、ロック、ジャズ、等のグルーヴ音楽に置いている訳です。

菊地成孔サブ

 さて、じゃあそれはどう言うことかというとですね、最初に仮定した「グルーヴ=時間周期」というテーゼの「時間周期」の部分なんですが、従来、時間周期というのは明確であれば明確であるほど強度があるということで、シンプルな偶数拍子(主に4拍子)か奇数拍子(3拍子に限定)がグルーブ=ダンス音楽の条件であるかの様に強固に実践されて来ているのは御存知の通りですが、それのアンチというか、一回ひねりとしての不規則変拍子(プログレとか)民族的奇数拍子(7拍子、5拍子)あるいはアフロ・ポリと総称される3と4の(整数的に割り切れる)クロスリズムなんかがあり、特にアフロ・ポリは、その名の通り「ポリリズム」の代名詞として認知されています。

 ここまでがグルーヴ=ダンス音楽のフロントラインで、シュチュオシオニックに言えばフロントラインが見えればおのずとセコンドラインのヒントが山積しているわけで、話が少し脱線しますけれども、昔僕が参加していた、ギタリストで作曲家の今堀恒夫さんがリーダー&コンポーザーだった〈ティポグラフィカ〉というバンドは、前述のアフロ・ポリの構造の発展系をグルーヴ=ダンス音楽に援用しようというのがコンセプトの大半を占めていました(惜しくも解散しましたけれども)。アフロ・ポリの発展系とは何か?という話は長くなるので省略し、DCPRGに戻りますがDCPRGで実践しているのは、アフロ・ポリを「元ポリ」だと仮定した上での「新・ポリ」というか「ポスト・ポリ」という事になります。

 アフロ・ポリはバイリンガル的というか、整数的に割り切れる(最小公倍数として)4と3の共在で、強弁するならば既にポリリズムではなく、ひとつのモノリズムとも言えるわけです(ですから、アフロ音楽の音韻上の重要性は、最早4と3のクロスリズムの理解という段階ではなく、4から3へ、3から4へとメタモルフォーゼする状態に生じる「訛り」や「揺らぎ」、更にはそこから自然発生する5拍子、7拍子、というミニマル・フラクタリックな現象であり、ティポグラフィカが追求していたのは正にその点だったのですが)。では、ポスト・ポリリズム(ポリ・グルーヴ)とは何か? というと、これが何てことはない、発音単位の一つ一つ(ここではメンバー11人ひとりひとりが)が独立して明確な時間周期を持って、バラバラに(無関係に)同時にグルーブするという事なのです。

 これは、オーディオセットやテレビなどを複数用意するか、サンプラーを鍵盤にアサインする機材を使えばどなたでも実践出来ます。各々違うテンポの、簡単なリズムパターンを同時に走らせると、一瞬リズム的には騒音状態(ノーグルーヴ状態)に聞こえますが、じっと耳を澄ましていれば、各発音単位が個別にグルーブを守っている限り、必ず最大公約数的な、ひとつの(主に長時間の)時間的周期があるのが聴取出来ますし、サウンドのどこにフォーカスを当ててもそこにはグルーヴしかないという状態で、自律的に周期を見つける感覚と他律的にグルーヴを浴びる感覚が混在し、これがある限り、この状態はグレーゾーンではありますがグルーヴ状態=ダンス状態なわけです。ビトゲンシュタインの場の理論や、ケージの禅的なサウンドスケープの概念、或いはカーニバル的な祝祭性や、宴席でのカオス状態、O・コールマンのハーモロディクスなどと混同され易いのですが、最小単位が皆グルーヴを遵守している。という強制力に於いて、むしろ市場経済が、様々な相反する利害を持ちつつも欲望という最低ラインでは共通している個々人の集団によって資本主義という巨大なシステムを回している(グルーヴさせている)というメカニズムに近いとも言えます。グルーヴ=ダンスミュージックというのは悟りや世界理解よりも共時的な激しい欲望ですから。

 こう書くと、言うは易しで、コンセプト的にはもう終了。という事になりますが、コンセプトを立てて実践すればそこで完了。という知的・静的な態度はダンス音楽の精神に反するわけで、ここはやはり誰もが興奮して踊り出す。というフロアーの現出まで含めてリビドーの爆発スイッチであるダンス音楽の実践であり、DCPRGのライブでは11人がバラバラに繰り出すポリ・グルーヴァルな共時空間でオーディエンスが激しく踊りまくる。という状態をゲットしつつあります。興味がある方はCDなりライブなりで御確認を、そして出来るならば先ずは脳内からで良いのでダンス衝動の触発、リヴィドーの開放があれば我々も最高にグルーヴィー&ハッピーなのであります。共にグルーヴを。


■プロフィール
1963年6月14日、千葉県出身。サックス奏者、作曲家、文筆家。84年にプロ・デビュー以降、山下洋輔グループなどを経て、自身のプロジェクト、デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン、スパンク・ハッピーなどを立ち上げるも、2004年にジャズ回帰宣言をし、ソロ・アルバム『デギュスタシオン・ア・ジャズ』『南米のエリザベス・テイラー』を発表。映画音楽も数多く手がける。2007年12月、菊地成孔(ts) 、類家心平(tp) 、坪口昌恭(p) 、鈴木正人(b)、 本田珠也(ds)、 Pardon木村(DUB ENGINEER)による新バンドNaruyoshi Kikuchi Dub Sextetによるアルバム『The revolution will not be computerized』をリリースした。


全米ビーフステーキ芸術連盟/シノ
DCPRG & ROVO
[P-VINE PCD-18501]
アイアンマウンテン報告
DCPRG
[P-VINE PCD-18502]

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