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Oser_制作の秘密は構わずにやり切る。と言うことにある。行動くんの語る現実

絵はあるフェーズに入ったら(追い上げフェーズ?)

自分の判断を挟まず当てにせず、最後までとにかくやりきると言ったことが大事になる。

と十二年前の僕は行動くんに教わった。

それは美術予備校時代、ヌードモデルさんをエゴンシーレ風に描いていた時のことだ。

最初こう言うタッチは試したことがないし、不安で恐る恐る筆を進めたように思う。途中からめちゃくちゃ気持ちよく「流れる」ように筆を進められた。(何事においても僕はこの流れるって感じが好きなんだ。音楽のように)

しかしそのズンズン進む流れに不安を抱いたのであろうか。途中から自分の技術のなさや初めてやるタッチの試しみに不安になった。画面が初動でどんどん気持ちよく流れるように進んでいったのとは裏腹に手先が、腕が、身体が途中からぎこちよくなくなってしまい流れが停滞した。(しかし停滞も流れの中の完璧なプロセスなのだ)

僕は「アッチャ〜ミスった!」「とんでもない失敗をした!」「どうしたらいいのだろう」「ヤバいヤバイヤバいヤバイ、帰りたい死にたい帰りたい」「もう無理ぽオワタ\(^o^)/」

とか脳内が高速で自らにアラートを発し始めた。

しかし誰にも相談する人はいない。独創性と言うことにおいて相談するってことは本質的には不可能だ。

しかしやるしかない。

信じるしかないと決心しとにかくやり切った。

行動くんの勝利。絵は最高のできで自分でも驚き、周りの人もなんかすごく興味深くその絵に反応を示し絵のファンまでできた。

胸中喜びに溢れた。

行動くんを僕は信じた。自分の身体と魂に宿る自律的自発的システムを。

行動くんは簡単に動く。僕の悩みとは関係なくズンズン進む。行動くん。

行動くんはすごい。行動くんは僕の心配や悩みや絶望的な疑いといった思考とは全く関係なく全てを吹っ飛ばし進む。通常なら止まるリミットを平気でなんの気なく乗り越え先へ突っ込む。これが最高なんだ。これが彼の性質。

行動くんを信じる。内側で巻き起こる考えを信ぜず。行動くんを信じる。つまり行動するってことは流れに乗るってことだ。行動している自分が次第に起きている出来事と同化し、行動している自分はいなくなり、起きている出来事だけが在る、っていう神秘家の言う奥義に達すると言うことだ。それは正確には達することではなく既に達成されている。自分の意、つまり思考のブロックが自分を制限し、自分と出来事を分離するのだ。分離は幻想だ。行動くんがそれを教えてくれる。

起きている出来事の神秘性を、神秘家は詩人は強調する。その気持ちはわかる。しかし行動くんは、神秘を神秘とせず、その通り。と言っている。聖人たちの語る言葉を、行動くんは、あっけらかんに陽気に気持ちよく、楽しそうに遊ぶようにそれを表していた。神秘などなんでもない当たり前の事で在ると。君の不幸はそれを信じれぬことにあると。行動くんは僕にそう教えてくれた。そうだろ?行動くん。僕は僕自身を信ずれば、本来ならすらすら容易に物事は進むのだ。ゾーンに入るとそれがわかる。しかし普段でもゾーンでも同じことだ。行動くんは存在が起こす様々な出来事から僕に合わせたインスピレーションを親切にもチューニングしていつも優しく語ってくれる。感謝する


とある禅的療法の話。

心と行動を別にする。心を放っておく。そして行動を任せっぱなしにする。すると心も放っておかれる。とにかく目の前のやることに手を出すという手法ではない方法論ではない行動療法的医学がある。行である。理屈ではなく体験を重視する。こう言う禅的な発想をする神経症者の為の禅的精神療法がある。それは心と行動を別にして心を対処せずそのまま放っておき目の前の行動に注目し必要な行動をする。ってのがある。こころが不安や心配で満ち満ちていても心はそのままに。行動はただそれが無いときと同じように必要な事をしている、というように。それで神経症は勝手に完治する。脳の自律的なシステムで勝手に整うのだ。それは心の状態を解決しないままの解決。それは完治するしないと言ったことを超えた悟りの感得と言った理性ではわからない領域のことである。

それを思い出した。

話が逸れる。

とにかく

失敗しても失敗しなくても自分の判断を挟まず、いつもそのまま前進することがポイントだ。

疑いが出ても。不安が起こっても、立ち止まらずそのまま前進する。


自分を信じない、自己を信ずる

手の動きや勢いとか流れとかの方を信じる。信じると言うより任せる。流れのままに

思考を当てにしない 思考の声を信じない

自分を信じないとは思考の自分を信じないと言うことだ

もっと本質的な自己に忠実になるとこと


「何やってんだろう 

「こんなんでいいのかな

「あ〜ミスった 書き込まなきゃよかった 色の配合、失敗した

「これ以上描いたらまずいかな ここで引いた方がいいかな。。

「いやもっと書き込むべきか。。


なんやかんや。。つまらんことをガチャガチャやろうとする思考ちゃんの声

小細工を弄する浅知恵。


心配 不安 迷い 疑心暗鬼 恐怖

そう言ったものに脅かされつつも

無視して突破する

乗り越える

乗り越えつつ進む

これでいいのか分からない迷路の中を暗中模索に手探りで進む


自分を信ぜず自己を信じ突破する

瞬間瞬間の流れの中で決然と心を決め構わずに進む

フランス語でOser と言う言葉があるそうだ。

日本語には適訳がないが、大胆に構わずにやりきると言った意味だそうだ

ピカソ の作品の太々しい生命の秘密を語る岡本太郎氏が言っていた言葉だ

ピカソ は制作だけでなく生活でもOserを貫いている。

もう十年以上前に読んだ本なのでうろ覚え。青春ピカソ って本だっけな。

ピカソ だ。行動くんのイメージは。今なんとなく浮かんだ。

彼に神秘性はない。ダリとは違う。一点一筆に神秘性を装う神秘性など皆無。徹底的な破壊の大肯定。その不敵な大胆さ。無遠慮極まる身勝手さでずばりずばりとやり遂げていくぴちぴちと流れる自由さ。子供のような身勝手な本能。まさに行動くんだ

行動くんは清らかな流れ。清流だ。

行動くんは信仰を超える。それはもはや南無阿弥陀仏の領域に近い。

その一言でいいじゃないか。と親鸞先生が語るように。

行動くんだけでいいじゃないか。余計な雑行はいらぬのだ。

ただ、ちょっと手を動かしてもそこに雑行はないのである。

いちいち雑行なしに行動と言うのはちゃんと行われる。考えとは関係なく。

考えを捨て私と言う見解を離れることが雑行を離れる方であるのだ、

他に道があるのではないのだ。

花に向かえば花が。目が、花と一つになる。月に向かえば月と一つになって現れる、

そう言うようにこの心身の働きはできておる、

その他は雑行なり。と。

本当に切り詰め抜いたところをチャッとお示しになるんですよ。行動くんは

立派なもんですね。聖人ですよね。ただの。


自分の考えを捨て、行動くんに寄り添い、存在ちゃんの話を聴く。

そうすると

あれ優しいなぁ

と言う風に極楽になるんですね〜

そんな行動くんに寄り添う日も乙なものである



おまけ*

親鸞上人曰く

信は道の元とす。功徳の母なり。欺瞞を断除して、愛流をいでて、涅槃無上の道を開示せしむ。信は垢濁なし、心清浄にして驕慢は滅除す。


何かをやりきるには信じることは大事っす。なんでもいいで。神でも仏でも鼻くそでもお月様でも猫でも。そしてそれは面白いことが起こります

以上です


(なんて変な文章だ!)


終わり。

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