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3/17の日記:保険を掛けて「日記」を書く

感じたことや考えたことが自由に書かれた文章を総じて「エッセイ」と呼びます。また、あるものを対象に論点を見つけ、それについて理詰めで論じるような文章を「論考」と。くわえて、虚構や架空のことがらを現実のものとして書けば「物語」になるかと思います。

これらは基本的に、書かれた文章の内容にもとづいた分類です。料理を「中華」「フレンチ」「イタリアン」とわけていくようなもの、ですね。

一方で「日記」は違う、と自分は考えています。いや、日記は「その日にあったことを書くもの」だろ、と思われるかもしれませんが……それは「書かれた文章の内容」ではありません。

自分が勝手に定義するところの「日記」は「ある特定の日付に紐づけられた文章」です。タイトルに「今日の日記」とか「3/18」とかついていれば、そこに何が書かれていようとそれは日記。料理のたとえで言えば「夕飯」や「外食」と近いです。内容ではなく、時間や場所といったシチュエーションによってそこに含まれるか否かが決まるカテゴリー

なので、『3/18:中学時代の友達と自販機を運んだ』というような「エッセイが書かれた日記」もあれば、『3/18:山手線全30駅ホームに置かれた自販機のエリア別分析 なぜ右回りにはコーラが多いか』という「論考が書かれた日記」もあり得る、ということです。

というわけで、ここまで自分的「日記」の定義について書いてきました。今後、このnoteではそれに基づいた「日記」が書かれることとなります。

ところで、なぜ「日記」の定義をあらためて書き直す必要があったのでしょうか?それはタイトルにある通り「保険」です。どういうことか。

冒頭で自分は、エッセイ、論考、物語と文章のカテゴリーをいくつか挙げていきました。そして、自分はどのカテゴリーの文章も「書きたい」のですが、同時に抵抗があります。書くこと自体というより、自分の文章を「エッセイ」や「論考」と呼ぶことへの抵抗です。 

「自分の書いたこの文章は、エッセイ(/論考/物語)と呼ぶレベルに達しているのか!?誰かが読んだら「この程度でなーに一丁前に「エッセイ」とか言ってんだよ笑」とか思うのでは……」と考えてしまうということです。

おそらく実際には、そんなこと誰も思わない!

が、それはともかくとして自分のなかにそういう葛藤が生まれてしまうのだから仕方がありません。そこで「日記」の再定義が活きてきます。

つまり、たとえ内容的にはエッセイだろうと論考だろうと、そしてその内容がどれだけのものであろうと、脳内の「こんなんでエッセイとか論考名乗ってんのかよ笑」と馬鹿にしてくる何者かに対して

「これはただの日記です。この日に思ったことや考えたことを書いているだけで、別にエッセイとか論考とかじゃないので!」

と反論することもできるし、あるいはもっとシンプルに「この文章つまんね笑」と言われようと

「これはただの日課です。この日に思ったことや考えたことを書いているだけで、別に面白さとか追求してないんで!」

と言い訳することができるようになります。

つまり、自分がこれから自分の書く文章を「日記」と呼ぼうとしているのは、ひとえに他人あるいは自分の内側から投げかけられる否定的評価に対してのガードであり「いや……別に……これって個人的な日記だからな……そうだ……ただあったことや考えたことをそのまま書いているだけ……」と保険をかけるためなのです。(そんなんで良いのか?)

こんなことを書くと、いかにも批判に耐性のない打たれ弱い人間と思われるかもしれませんが、別にそういうわけでもありません。否定的な評価は無視するのが良い、というのが基本的なスタンスです。

それだと成長がないじゃないか、と思われるかもしれませんが、同時に肯定的な評価は鵜呑みにせず懐疑的に見さえすれば問題ないと考えています。「これはdisられてるから無視。これは褒めてくれているけど、この褒められているポイントは本当に褒めるに値するのだろうか……実はもっと改善することがあるのではないか……」と疑いを重ねることで、他人からの心無い(と同時に的確かどうかも不明瞭な)声に左右されることなく、同時に現状維持では満足せずに成長することができるだろう、というのが自分の考えです。

他人からの否定的評価を気にしないなら、否定的評価に対する保険などかけなくては良いのでは?と思われるでしょうか?ですが、当然人間はつねに同じ状態というわけではありません。メンタルは他人や気圧に左右され、昨日は平気だったものが今日はめちゃくちゃ無理というのが人生。であれば、保険をかけておくことは決して無駄にはならないでしょう。

保険とは万が一、もしものためのものです。普段のスタンスがどうであろうが、かけておくに越したことはありません。どれだけ常日頃火の元に気をつけている家だろうと、つい忘れて火事になってしまうことはあります。

そんなときに「普段はめちゃめちゃ気をつけているから、まさかこんなことになるとは思わなかったので火災保険には入っていない」というのは、少し甘いと言わざるを得ないでしょう。火災保険には入るべきです。そして自分も、今書いているこの文章とこれから書く文章すべてに「日記」保険をかけようと思います。

「日記保険」のご案内

わたしたちは「日記保険」で、お客さまの文章に「ワンランク上の安心」をご提供します。

文章を取り巻くリスクは千差万別。そのなかでも、読者からの否定的なメッセージによるダメージが執筆者に与える影響は計り知れず、年間約10万人が筆を追っていると言われています。

しかし、書いた文章を誰かの目にさらす以上、そこで何らかの評価が与えられることは避けられません。そして、ときにはメンタルに思いがけないダメージを受けることも。そこで私たち専門スタッフが一丸となり、お客さまのメンタル再建をサポートします。
これが、私たちが全国60,000店の代理店とともにご提供する「ワンランク上の安心」です。

私たちは、お客さまの書いた文章がエッセイであろうと、論考であろうと、物語であろうと、それを世に出す際「日記」として丁寧にパッケージングさせていただきます。

そうすることで、いかなる否定的評価を受けたとしても「いやいや、これは日記だから……別に、面白いとか整合性が取れてないとか……そういうんじゃなくて、マジでただ頭の中に浮かんだこととか実際の体験をそのまま書いてるだけで……内容で評価するとか……そういうんじゃないから……」と、メンタルへのダメージを軽減することができます。

なお、保険金のお支払いはございません。

引用:ライティング損保HP 日記保険の基本補償について

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