令和4年10月25日の日記

 家族が新型コロナウィルスに感染したので、その後の経過や、それを取り巻く環境の変化、思ったことなんかを忘備録がてら書いてみる。


【10月頭】
・在住している地域に新型コロナウィルスの感染が広まりつつある、という情報が流れる。

【10/6】
・上の娘(小学3年生)のクラスが学級閉鎖になる。

【10/7】
・上の娘の学校が学校閉鎖になる。
・夕方から上の娘がなんとなく体調不良な様子を見せる。発熱無し。

【10/8】
・夜、上の娘が明らかに体調不良な様子であったため、検温すると37度台後半。一晩様子を見て、熱の上昇が見られるようなら翌朝に発熱外来に行く事とする。
・就寝場所を「自分+下の娘(5歳)」と「妻+上の娘」で分ける。ただし互いが完全に隔離されているわけではなく、仕切りの無い2部屋にそれぞれ分かれた感じ。
・娘が陽性だった場合の今後の生活の方針を夫婦間で協議する。「陽性者の隔離による感染拡大防止」ではなく「マスク着用やうがい手洗い等の最低限の感染対策を行い、感染してしまったらその時は仕方無い」という方向性でいこう、と一応決定する。
・上記の判断については、夫婦ともに「濃厚接触者は様子観察者となり、特別休暇が与えられ、しばらく出勤が不可となる」職場に勤めていたという事の影響が大きい。あとは感染者の年齢や居住環境、その他の心情的な理由により、陽性の娘の完全隔離は現実的ではなかった。

【10/9】
・朝、妻と上の娘で発熱外来受診。上の娘に陽性判定。
・関係各所に連絡。職場からは10/19まで自宅待機の指示(夫婦とも)。
・一部会議や打ち合わせ等についてオンラインで参加するための準備を行う。
・医療機関から「新型コロナウィルスに感染した方へ」みたいな文書を受け取ったので、そこに記載されていた電話番号に連絡し、陽性者登録的な事をする。
・公的な救援物資についても確かこのタイミングで申請した。
・上の娘、体調不良ももちろんだが精神的な凹みの方が大きい様子だった。
・両親親族友人知人同僚から、必要であれば救援物資を届けるとの申し出を受ける。とりあえずは隣町に住んでいる妻の両親に生活用品や消耗品を依頼。
・妻が上の娘に付き添う形となったため、なるべく家の中を移動しない方が良いと思い、妻の行っていた家事を自分が担当する事とする。

【10/10】
・特変無く過ごす。
・子供たちのゲームの時間はこれまで平日30分前後と設定していたが、勉強をしたらその時間分だけゲームの時間を延長して良いとルールを定める。
・下の娘のひらがなドリルを付きっ切りで見る。
・スプラトゥーン3をプレイ。長期休みのうちに全ブキ熟練度1にする事を決意。

【10/11】
・妻が節々の痛みやだるさ、寒気を訴える。体温だけみると37'5と微妙なラインだが、状況からほぼ確だろうな……と思いつつ、医療機関の時間外であったため翌朝に発熱外来を受診する事とする。

【10/12】
・朝、妻が発熱外来受診。妻に陽性判定。
・関係各所に連絡。様子観察期間(=仕事休みの期間)が10/22まで延長となる。
・妻「だるさはあるけど昨日ほど体調が悪いというわけでもない」との事。
・居住スペースが完全に「妻+上の娘」「自分+下の娘」で分かれる。

【10/13】
・公的な救援物資が届く。米、経口補水液、スポーツドリンク、ビタミン系のゼリー、パックごはん、レトルト食品、カップ麺、菓子、果物のパック、他消毒液やウェットティッシュなんかも入っていたか。普通に有難かった。
・夜、下の娘が母親と寝たいと泣く。

【10/14以降】
・妻子とも、日を重ねる毎にしっかり回復していったためホッとする。
・下の娘が持てあまし気味だったので、車で20分ぐらいのところにある人気の無い農村地帯に散歩に連れていく。2回程。
・10/17より上の娘が通学再開。他3人の家族がまだ休みである事に対してブーブー言う。
・10/22に上の娘の学芸会があったが、自分と下の娘は大事をとって不参加。
・学芸会のあと下の娘の誕生会。例年祖父母×2も集合していたが、今回は家族だけでこじんまりと実施。
・10/23、休み明けに出勤したくなさ過ぎて参った。

【思ったこと】
・「陽性になった」場合の、公的機関への連絡手順(とその必要性)について、もう少し分かりやすいものがあれば良かった。医療機関からは文書を貰ったものの「陽性者登録は必ずしなければいけないのか」「都道府県と市町村では別々に登録しなければいけないのか」「必要な支援はどこに連絡すれば受けられるのか」等について、イマイチ分かり辛かった。文書を精読すれば記載があったのかもしれないが……一番重要そうな番号に連絡した際も「じゃあ陽性者登録をしておきます……が、それで?」みたいな反応だったので、なんかこうもうちょっと、フローチャートみたいなものがあれば動きやすかった。尤もこれはこっちの能力の問題かもしれない。ただ、陽性判定が出た後に、例えば職場や学校、接触のあった知人等への連絡や、或いは今後の生活の組み立てなんかについて、早急に考えたり行動したりすべき事が複数あるので、これについては分かりやすければ分かりやすい程良いなあと思う。理想は「まずはここに連絡!」みたいな番号がひとつ記載されていて、その番号で陽性者の状況を聞き取ったのち、より優先度・必要度の高い番号を紹介するとか……。でもこれももしかしたら各自治体や窓口によってやり方が違うのかもしれないので、よく分からない。
・幸運にも感染者2名が比較的軽症状だったため、そこまで看病の必要がなく、そのぶんストレスケアにまわる事ができたのは良かった(自分自身のケアも含め)。
・思わぬ休暇となったため、当初は「いい機会だから物置を整理するぞ!」とか「部屋を片付けて模様替えをするぞ!」等考えていたが、やはり通常の連休とは全く違う休みであったため、そういう大きな動きはできなかった。
・家族が順番に感染していき、結果的に様子観察及び療養期間がどんどん延びていく……というパターンに陥るのが一番怖かったが、陽性者とも生活をともにせざるを得ない状況であるので、そこまでシビアな隔離はできなかった。幸運にも2名の感染で済んだが、正直全員感染しても全くおかしくはなかった。
・家族との時間、特に子供との時間が大いに確保できたのは良かった。とことん勉強とゲームに取り組んだ。
・業種柄リモートでワークできる事がそんなにないため、早急に回答しなければいけない文書の確認をしたり、2、3の重要な会議にオンラインで参加したり、その程度の業務を在宅で行うに留まった。
・「自ら籠りたくて籠っている」のではなく「強制的に籠らされている」状況下だと、メンタルがあまり良くない方向に動く事が分かった(当然だが)。5日目ぐらいからあれだけ嫌だった仕事に行きたくなったり(=家から出たくなったり)、時折家族以外の人間と会話したくなったりして、鬱々としていた時間帯もあった(主に家族の就寝後)。ただ、この気落ちについては7日目ぐらいがピークで、妻が回復して以降は夫婦とも「せっかくだから徹底的にダラダラする」と開き直り、上の娘を学校へ送り出したあとに夫婦と下の娘と3人で布団に戻って、2人はスプラトゥーン3、1人はyoutube、昼になったら適当に支援物資を食べる、みたいな、どうしようもない生活をおくる事でメンタルの安定をはかった。
・材料と時間がたっぷりあったので、料理が良いストレス解消になった。


 症状やタイミング等も含め、総じてかなり幸運だったと思う。振り返ってみても「なんとか乗り切った!!」という感じではなく「やることやったら時間経過に任せるしかなかったからなあ」という感想になる。陽性者2人も今のところ後遺症等無く、回復後は元気に過ごしている。尤も、おれは家族とスプラトゥーン3をやりまくった結果、全ブキ熟練度1以上になり、ウデマエはSになり、ナワバトラーはランク29になり、スプラトゥーン3無しでは生きられない体になってしまった、という後遺症が発症しているのだけど。

 またなにか思い出したら追記するかも。

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