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僕が店をはじめた理由〜続き〜

連日のコロナ騒ぎでメンタルやられている人が多いんじゃないかと思ってます。
不安の根源はわからないことが多いので、なにで自分は不安に思っているのかを考えるの大切ですよね。
不安不安ではなく、今なにが不安で、どうしたらそれを乗り越えられるのか考えて行動する。
今なにができるかの積み重ねですよね。
1930年代の時の日本が今とすごく似ていると言われてますがあの頃もなんとかなると思っていた人が多かったとか。考えて行動する。なにもしないと不安は勝手にやってくるように人は作られてますから。
今は心を下げずにステイホームからのカントリーマームです!

今日も僕は僕のできることをやります。ぺっぺけぺー!!笑

こんな時しかちゃんと書けないですからね。お店を作った時のこと(居酒屋のほう)を書きたいと思っているのに全然たどり着かない!全部ざっくりで書くこともできるけどよくわかんないと思うんです。なぜなら僕は変わっているから笑

だからルーツをあとスコスだけ、あとスコスだけ共有させてけろ、、、

ということで地震のことまで書きました!

今でもものスゴイ覚えてますが電信柱がぐわんぐわん揺れてました。

第一陣は

「やばかったね」

で、話しを再開したけどすぐに第二波。
りゅうたろうさんはマンションに住んでいたので僕たちはダッシュで外に脱出した。
すごく印象的だったのはりゅうたろうさんが各階のお年寄りの方たちの家をドンドン叩いて「大丈夫!?俺、なんか手伝おうか!?」
って声をかけていたこと。
人を想える人ってかっこいいですよね。

近くの公園に避難して、ひとまずこの日は家に帰ろうということになった。
交通機関がパンクしていてこの日の青梅街道はすごい人だった。

連日のニュース。家に帰ってからもみたこともない津波の情報。
僕はこのニュースをみた時思った。

行かなきゃ

僕にはこの時なにもなかった。知識もなければ人脈もない。金もない笑
できることは体を動かすこと。
物資支援でこちらで買えるものを買って、現地に物資を届けてくれる人に託したりもした。
でも心が納得してなかった。


行かなきゃ

えらいことがしたいとかそんなんじゃなかった。
僕の頭によぎっていたのは行かなきゃ、だった。
すぐに居酒屋のマスターに話した。
バイトは半月くらい休ませてくれた。頼んだよと。

4月に僕は宮城の石巻にある渡波というところへボランティアにいった。
この時のことを詳細にかくつもりはここではない。
概要を伝えるとここで団体はした高橋歩さんという方がやっているNGO団体。
オンザロード。旅人がやっているNGO団体なので世界一周してる人とか旅人がたくさんいた。

そこで得たことは、人生は急に終わってしまうことがあり有限であるという現実。
そしてその中で楽しく生きてる人、辛さの中で生きてる人がいるということ。
つまり、そこで出逢った人達はみんな楽しそうだった。
僕は、みんなに胸を張ってどう生きてる。なにをしてるって、言えなかった。

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僕は今、なにをしているんだろう。
今やってることって、意味があるのかな。。。

ボランティアには10日間くらいいっていた。
10日間の短い期間の中でも、街は見違えるほどきれいになった。
いろんな想いが交錯する中ボランティアを終え、東京に帰ってきた。

東京に帰ってきてからすぐ、このボランティアに行く前にも少し逢っていた、僕の恩師、島岡さん(アフリカで出逢った革命家)に酒でも飲もうぜと誘って頂いて横浜で話をさせてもらった。

そこでまた、自分がなにをしてるのかよくわからなくなった。
島岡さんはいつも自分が何を想い、どう生きているかを話してくれる。
自分もそこでいつも自分と向き合う。
自分と向き合う癖はつけていたつもりだったけど、この時は特に甘かった。
自分と向き合えば向き合うほど、ダメな自分が浮き彫りになる。
でも、いつも思うけど、そんな風に自分に全力で向き合ってくれる人ってどれくらいいるかなって思うと、感謝しかない。
ダメな自分と向き合う素直ささえあれば、そこからは改善していけばいいだけ。
この時はそんな余裕すらなかったけど笑

家に帰り、僕はそこから猛烈に落ち込んだ。
人生で何度か猛烈に落ち込むことあったけど、この時もなかなかパワフルに落ち込んだ。
1,2ヶ月くらいなにもできなかった。

自分はいったいなにをしてるんだろう。
自分が生きてる意味ってなんだろう。
今東京にいる意味ってなんだろう。
自分はなにがしたいんだろう。
そして、自分が本当の意味で世の中の為にできることってなんだろうと。

ずーっとずーっと考えた。
夢がすべて叶うなら何をするとかなんだとかたくさん考えた。

そして5月の終わりかな?
ある決断をする。

日記に書いた。

ここからどう生きるか。

①幸せに生きる
②自分に二度と嘘をつかない


まずなにより不幸だった。
不幸絶頂期。不幸の最前線笑
なぜなら全然行動していなかったから。人とも全然会わなかった。
エネルギーが湧いてくるわけがなかった。
頭ではこうするのが幸せとかいつも考えていたけど、行動が伴っていなかった。
惰性の毎日。ずっと頭の中にあるなんとなくずーんとくる不安。

それで気づいた。
ずっと考えて気付いた。

あ、今不幸じゃん!って笑

だからまず第一に自分に誓った。
幸せに生きようと。
そして自分に嘘をついて生きているとこんなにも辛くなるんだなってことを知った。
だからもう嘘を絶対つかないと決めた。
特に自分自身に対する嘘。

やった結果がこれかと。
なにも形になってない。
うまくいかないことだらけ。
自分にいつも、言い訳をしていた。

いつかきっとこれは実になる。いつかホームラン打つ。
そして結局、なにもしてない笑

もうそういうの嫌だって、本気で思った。
貧乏も嫌だ。もうこんな貧乏ほんとにしたくないって思った笑
だからもう自分に嘘をつかない。
人にも嘘はつかない。
というかやるといってやらないということをしない。
やるって言ったらやる!即やる!
だって明日死ぬかもわからないし。

※ちなみに僕は嘘と冗談は違うと思ってる。
僕はよく冗談をいう。目の前にいる人に。笑顔になってもらいたいからだ。
でも僕は嘘はつかない。そもそも僕は嘘つきは嫌いだ、信用できない。
自分が嫌なやつになったら、また自分の心に嘘ついてるのと同じ。
自分にはもう嘘つかない。晴れ晴れとした生き方が好きなのです。

で、長くなったけど決めたんです。
この約束だけは破らないぞと。


それで動き出した。
決めてからは早かった。
まず今東京に住んでる意味はなし。
そして今自分ができることで本当の意味で人の役に立つことをしようと決めた。


自分がやりたいことではなく、人に喜んでもらえることで。
ずっと本の出版や、表現者の道で生きようともがいていてうまく行かなかった。
もうホームランを狙う生き方はやめた。
ヒットエンドランで行くのだ。
一歩一歩前に。
着実に進んでいくと。


そして自分がやることは常に、自分だけが幸せではなく、周りにいる人が本当に喜んでくれることをする。
自分のこれからの判断基準はそれだけ。
「我を抜く」作業ですね。
僕は自分が自分がというのが強い。こうだって思ったらすぐやる。
それがいい時もあれば悪い時もある。
でも判断基準はいつでも人が喜んでくれること。
自分が喜ぶことでなく、人が喜んでくれることをやっていきていこうと。


そして出した答えがやはり店をやろうということ。


まず仕事を決めることだった。
ふわっとしたことではなく、ちゃんとなにをやるかだ。
まずちゃんと生きること。なによりこれが大切だった。


その中で人の役にたつ生き方をしようと。
自分なりに日本を元気にする生き方をしようと。


まず才能の掛け算が大切だ。


今まで好きなことをかけ算して色々やってダメだった。
だから自分が今まで一番時間をかけてきた仕事を考えてみた。
アルバイトだけど、ダントツ仕事という意味で時間を割いてきたのはやはり飲食。
そしてなにより僕は得意だった。飲食店で働くことが。
まずなにより得意。
そしてもう一つは、人一倍人が好き。


まだ見えぬ誰かを幸せにするのは難しいかもしれない。
でも目の前にいる人だったら笑顔にしたり、元気にしたりできると思った。


だから店だ。
店をやろうと。
そしてなによりワクワクした。
考えただけで楽しかった。
だからやろうと。今死んだら間違いなく、後悔する。
それだけは確定事項だった。
動くなら早い方がいい。


まず資金集めだ。
僕は旅仲間であるりゅうたろうさんにまた話を聞き、旅仲間がどうやってお金を稼いでるかを聞いた。
旅人はガッと稼いで長く旅に行く人も多いからけっこうガッて稼げる情報がある。
怪しいのもいろいろあるんだろうけど、僕はその中で山小屋でのバイトを選んだ。
選んだ山はもちろん富士山。

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理由はない。富士山が好きだからだ笑
タイミングよく山小屋の人材募集をしているタイミングだったのですぐに応募。
行くこと決定。
すぐにバイト先にも辞めてお店を作る為に動き出すことを伝え、無理ない範囲で辞めさせてもらうことに。
家も解約。このついでに自分が持ってるものもすべて捨てた。
本当にすべて捨てた。バックパック一つに入りきるくらいしか荷物は残らなかった。
でも物を捨てる度に心が軽くなった。
ほんと大げさではなく、風が吹いた。


これは人生のリセットボタン。
まじで人生ここからやり直すぞと。
旅してたこととか、もうどうでもいいやって。
過去になにしてたかとかもうどうでもいいやって。
今0歳。この世に新たに生まれたと思って生きていこうと。
だから軽くなる必要があった。
本気で全部捨てた。
東京からは小さいチャリで7時間かけて帰った。
その年の初の猛暑の日だった。
途中で足がつって本気で倒れた。まじで無理かと思った。
水分5L以上飲んだ。
最後家につく時は「サライ」が頭に流れていた笑
でも僕はわくわくしていた。これから始まる毎日に。
なにもしてない。なにも変わってない。


でも動き出した。
風が吹いた。


人生第二章開幕。

ここからの人生の方が絶対面白いぞ

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