日本を元気にする
また新しいスタートということでまずは、お店の作った経緯なども書こうとは思ってますが、なんの為に今このお店をやっているのかということを整理しておきたいと思います。
改めまして店主RYOです。
なんの為にの話に入る為に僕のルーツを少し書いておきます。
ここがないとなんでそうなるのかけっこう意味わからんてことになると思うので笑
僕は神奈川生まれ神奈川育ち。
小中大好きだった漫画は「世紀末リーダー伝たけし」笑
大好きだったものに人は似ていくものでけっこうエッジの効いたボケとかが好きでした。
この頃の僕の頭に合ったのはしゃべりはそんなに上手くないけど身体をはったボケなら自信があるという意味不明の自信笑
まあ中学までは天真爛漫楽しく平和に過ごしていました。
転機は高校生になってから。
思春期といえばそれで終わりなんだけど、この頃人と話すことができなくなった。
たぶんこの頃一緒に過ごしていた友達はわからないくらいだったと思うけど、相談することもできないくらいに落ち込んでいた。
前まであんなに楽しく生きていたのに、今は全然楽しく生きられてない。
自分が思ってることもうまく話せない。
こんな自分が嫌だけどどうしたらいいかもわからない。
生きてる意味がよくわからない。
悩んでいた。この時期が人生で一番つらかった。
僕はこの頃から人をよく観察するようになった。
今までは楽しく生きられていたはず、あの楽しく生きられていた時と今は一体なにが違うんだろう。楽しそうに生きてるみんなと今の自分は、なにが違うんだろう。
先輩が楽しいから入った部活も、その競技自体が全然好きじゃなかった。(これはあとで気づいたことだけど)ずっと辞めたいと言っていた。
それでも辞められなかったのは、きっと他に選択肢を持っていなかったからだと思う。
他に興味を持っているものは、ファッションとバイクくらい。
自分に自信が持てるものなんて、なんにもなかった。
そこから僕は、勉強だけはやっていたので、「時間を作る為」という理由だけで大学に入った。なんとなくといえばなんとなくだし、本当は俳優になりたいと思っていたので、その大学に入った時間でそっちの表現の道に進もうと思っていた。
最初から「俳優」の道に進まなかったのは、そこまで自分に自信がなかったから、この道だ!って決断できるほどの覚悟がなかったというのが本音のところ。
そしてそこから少しずつ転機を迎える。
まず高校卒業ということで嫌いだった部活を卒業した笑
そこで自動的に嫌な鎧みたいなものを勝手に一つ脱いだ。
そして表現の道に進もうと思っていたので、なにか一つでも表現を身につけようとその時ベストなタイミングで出会った「ダンス」を始めた。ほんと見よう見真似からだけど、最高に楽しかった。最高に心から好きなものと出会えた。それだけでもう、宝物。
そして通学時間や大学にいる時間は授業をノートでとる以外はずっと本を読んでいた。自分がなんで生きてるのか、なんで生まれてきたのかにすごく興味を持って、本を読み漁った。できることから実践した。昔みたいに楽しく生きられるようになりたかった。
そしてもう一つ。
我が家ただ一つの家訓。「18歳になったら北海道の礼文島にある桃岩荘に旅にいかないといけない」
という家訓に従い旅に出て、旅が好きになった。
久しぶりに写真をみたけど今とあまり変わらない笑
そこから初めての海外タイに行き海外にもハマる。
そこから旅とダンスと本読むことしかしてない。
大学二年生になり、バイクが好きで中免の免許をとって、中古でSRという400ccのバイクをとろうとしたらバイク屋さんに
「そんなバイクなかったけど」
と雑な扱いを受け、
「それならもうバイクなんていらんわ!!」
………ッハ!イタリアに呼ばれてる気がする!?
となぜかイタリアに惹かれそのままそのお金を全額つぎ込んで20日間ほどイタリアをぐるっと一周する旅に出た。
初めての海外一人旅はこの時が初。
タイは友達との二人旅だった。
そしてこの時、フィレンツェという街で世界一周しているという人に初めて出会うことになる。
※写真はベネチアです
世界一周をしているその人とはフィレンツェのユースホステルで出会いました。
当時僕は19歳。その人23歳の美容師、あ、日本人です。
隣のベッドに偶然いたその人はどんな経緯で話すことになったかは覚えていないけど、何気なく、あ、日本人ですかー的な感じで話したはず。
そこで聞いたことがすごく衝撃的だった。
今世界一周していると。
4ヶ月ちょっとくらいの期間していると。100万円くらいでしていると。
初めて世界一周している人を目の前にした僕は根掘り葉掘り聞いた。
衝撃だった。
正直な感想は
え、意外と簡単にできるじゃん
だった笑
ここで決めたこと。
いつか自分も行こうと。
この人生のどこかで必ず、世界一周しようということだった。
そして翌年、大学3年3月前半。20歳。
ダンスをやっている友達とカンボジア、ベトナムに旅に出た。
いろんなところで踊った笑
もともとこのダンス友達とは本当にどこでも踊る中だった。電車の中でも踊ってた(時効ですかね)
その友達と現地で踊りまくった。空港からもうほんとずっと踊ってた
アンコールワットの前で踊ってたら現地のにいちゃんと仲良くなって孵化する前の卵食わされ、、あ、ご馳走になったり、言葉を超えたコミュニケーションがたくさんあった。
その中で一番印象深かったのがホイアンという街。
ベトナムの中部にある街全体が世界遺産の街。上の写真がそうです。
の旧正月にちょうど当たった時のこと。
全部を書くとまた長くなるのでざっと書くと、ホイアンの街中をぐるっと回って7時くらいに帰ってきて僕は早々シャワーなども入り寝ようとしていた。
でも一緒に旅をしていた友達が(朝から行動をしていた)帰ってこない。
そしてやたらと外がうるさい。がやがやしてる。
宿のおじさんに今日何かあるのかと聞いたら今日は旧正月だからパーティをやってるぞと。お前も行ってこいと言われ着替えてすぐにでかけた。
ホイアンには一本の大きな川が流れている。
上の写真にもある通り。そこの上にたくさんの船が停まり、街には幻想的なランプがたくさん吊ってあって本当に素敵な街並み。
その川の上に停まった船の上でパーティがやっていた。
現地のアーティストの人たちが代わる代わる歌って踊ってる。
それをしたからみていた。
長いこと眺めていていよいよい、カウントダウンの時
3,2,1
ハッピーニューイヤー!!!!!!
あちらこちらで花火が上がる。
そして会場の熱気がピークになった時、誰でも上がってきていいぞー!という司会者の声。
そこでいの一番に出てきたのが僕のダンス友達だった。
めっちゃ踊ってる笑
いやいや、ここで出ないでいつ出るんだよ!
僕も踊った!がむしゃらに踊った!
会場は湧いた!もっとやれーもっとやれーってなった。
血が湧いた。もうなんか、そうとした表現できない。
下に降りてお互いハイタッチをして、そこから現地の人たちからやんややんや声をかけられた。
「お前らどこからきたんだ?最高だった!一緒に遊ぼうぜ!」
言葉を超えた瞬間。なんか頭の中がスパークした。
これだ、求めていたのはこれだ。これなんだ!
熱い感覚を胸に刻んで、日本に帰国。
この時の僕は、好きなことしかしていなかった。
ダンス、旅、そして本による心の勉強。
自分を好きになれるよう心の勉強をたくさんし、色々とやって行き着いた僕の自分を変える方法は、ずーーーーーーーーーーーーーーーっとありがとうと言い続けることだった。
高校生の頃に気づいていた、自分はありがとうも言えないんだって。消しゴム落として拾ってくれた子に、目を見てありがとうも言えない。情けなかった。
だからこれはもう習慣にするしかないと。
言いまくって体に染み込ませようと。ずーっと言ってた。
大学三年生の終わりに卒業したらそのまま世界一周するという夢を立てた。
カンボジアベトナムから帰ってきてすぐのことだ。
そこからはひたすら居酒屋でバイト。
大学では気の合う仲間がいなそうだから最初から友達を作るのはやめた。
だから一人で授業受けて自分で単位とって自分で勝手に卒業した笑
だから大学は4年の最初までしか行ってない。
あとはずーーっと本読むか、ダンスするか勉強するかありがとうって言ってるか笑
居酒屋バイトは忙しい時のバッシング(片付け)の時とかもいかに早くやるかを常に自分と戦いながらずーっとありがとうありがとうと言いながら働いていた。周りが気づいたら怪しいレベル笑
そんなこんなをしていて、2008年3月。大学卒業。
5月2日に世界一周出発。卒業式は何千人といる中一人だけド金髪。
就職も決まってない。俳優にもなれてない笑
でも僕はすっきりしていた。
自分がやると決めたことをやれることに。
ダンスという好きなことと、旅という好きなこと、両方同時にできるワクワク。
まだみたこともない、出会ったこともない文化に触れ合えるワクワク。
そしてなによりこの4年間かけて作った超ポジティブな考え方になれた自分。
↑出発の日
僕は踊りながら世界一周することにした。
またあの時の気持ちを味わいたいという気持ち一つ。
そしてもう一つは、踊りながら旅をして、それを日本の人にみてもらおうと思っていた。
悩んで悩んでどうしようもなかった自分でも、こうなれた。
あの頃の自分のように悩んでいる人は、日本にもきっとたくさんいるはず。
その人たちにメッセージを届けようと。
まだyoutubeが全然流行ってなかった頃。youtuberなんていなかったころ。
Iphoneもなかった。情報なんて全然なかった。
ダンスだって、ビデオテープで何度もみていたあの頃に。
ブログとYoutubeで発信して、日本の若者を元気にしよう。
自分がどれだけやれるかで、あの頃の自分のように悩んでいる人たちを元気にしよう。
そう思って旅を始めた。
なんの為にはずっとこれ。
日本を元気にしたいという気持ち。
なぜなら僕は他の人より落ち込んだ数が多いから。
一つ前で若い人を元気にしたいと書いた理由もこれです。自分がそうだったから。
だから今でも自分が元気にしたいと思うメインターゲットは10代20代の若者。
それに伴う元気をなくした人たち。
↑帰国
これが僕のなんの為に(ここまでは生きているか)
お店をやってる理由も改めて書きます。
ちょっと長くなったんで最後に旅の動画をつけて今回は終わります!
ではまた!
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