「not today それは今日じゃない」公募インタビュー#9

〈雪さん(仮名)2020年6月下旬〉 

 雪さんは現在大学2年生。家庭環境や中高時代のお話をしたい、少しでも同じような境遇の方の救いになれば、とインタビュアー田中に応募してくださいました。

勉強に厳しい家庭で育って

雪さん 私は勉強に対してすごく厳しい家庭で育ったんですね。厳しかったのはおもに父親で、始まったのは小学生の時からでした。
 課題をやって月末に送る子ども用の通信教育ってありますよね。あれをやらされていたんですが、もしそれをやらないと、父親がかんしゃくを起こして激怒するんです。怒鳴って、テキストを真っ二つに破ってさらにそれをビリビリにして部屋中にまき散らす、みたいなことをされたり。母親もそれを止められなくて、私も泣いて母親も泣いて。そんな感じの家庭で育ってきました。でも、その頃はそれが普通だと思ってたんですね。おかしいと思っていなかった。

 そして中学受験をして、中高一貫の女子校に決まって通学してたんですけど、中学校の定期試験で、私がいい成績をとれないわけですね。もともと勉強が嫌いっていうよりかは、父親のせいで怒られないように勉強するという意識になってしまっていたんじゃないかと思いますが、勉強する意味がわからなくなっていました。結局成績は悪いままで、その成績を見る度に夜4〜5時間、父親が怒鳴り続ける

 そういうのが中学の3年間続いた結果、私は疲弊しきってしまって、学校に通えなくなっていきました
 私は学校でいじめられるとかはなくて、友達付き合いは普通だったんですけど、周りに頼れる人はいませんでした。家のことを友達には相談できないし、担任の先生もいつも私につきっきりで的確な答えを出してくれるわけじゃないし、だから中学生の時はふさぎ込んでしまっていました。高校に入った頃には確実に心の調子が悪かったです。

 中学2、3年生の頃から、成績のことで怒るのはやめてほしいと、当時の私なりの精一杯の冷静な言葉で父親に伝えてはいたんですね。何度も、怒鳴ることはいけないことだし、それは教育じゃないっていうのを、中高生の私が親に直接言って(苦笑)。
 父親はだんだんと、しょっちゅう怒りはしなくなったんですけど、でもやっぱり、元々の気質なんだと思いますが、ふとしたときに爆発するんですね。多分、感情のコントロールができない人なんです。

 3つ下に弟もいるんですけど、子供たちとしては、父親が怒り始めたらこの波が過ぎ去るのを待つしかないって、もう諦めていました。意味がないと私も弟もわかっているから、反抗すらしなくなったって感じですね。反抗期もなかった

 その後、大学にギリギリ入れて、私は今大学2年生なんですけど、去年の6月ぐらいに(ある行動により)意識を失って搬送されました。

現実から逃げたい ここから逃げたい

雪さん 病院で改めて、親に、私は家にいることが本当にストレスなんだーーーっていうのを頑張って伝えたんですね。それまでも何回も言っていたけど、身をもって知らしめるような形になってしまいました。
 
 結論としては、家族4人で私の大学の県に引っ越すことになりました。それまで実家から大学まで県をまたいで片道2時間くらいかかっていて、それは大変だからということで。
 本当はすごく一人暮らしがしたくて、それを一生懸命言ったけれど、賃貸の家賃とかを考えたら、一家で住める家を買って引っ越した方がいいということになったんです。
 私もまだ大学生なんで、経済的に自立できるほど稼げてるわけじゃないので、お金のこと言われちゃったら何も言えなくて、今、(引っ越した先で)家族4人で暮らしています。

 私から家族には話さないですけど、今、自分の中で過去を消化しつつあるというか、客観的に見ることができるようになりつつある感じですね。

──その行動をした時は、親に訴えたくて?それとも。

雪さん 私はその時自分がどういう状態なのか、自覚がそもそもなかったですね。現実から逃げたいとか、死にたいとか、そういう気持ちは常々持ってたんですけど、それをした時は死のうと思ったわけではないんです。現実から逃げられるかなみたいな、本当に軽い気持ちだったですね、今考えると。例えばお腹すいたからご飯食べるみたいな感じで、本当に感覚がバグってしまってて、今つらいからこうしようみたいな感じで、気づいたら搬送されるまでになっていた、って感じですね。

やったらできるのになぜやらない

──お父さんは、学歴とか勉強に特にこだわりがあるのでしょうか?

雪さん 父親自身が、すごく勉強ができる人なんですよ。やったらできる!が父親の唱えていた説で。「やったらできることを何でお前たちはやらないんだ」ってずっとずっと言われていましたね。

──雪さんご自身はやったらできると思いましたか?それともできないよーと?

雪さん 父親にはお前はやったらできるんだからやりなさいっていう風に言われてたんですけど、いや、やったらできるかもしれないけど、夜の9時10時から始まって2時ぐらいまで怒鳴り散らし続ける。そういうことをやられて、それとこれとは話が別じゃんっていう風に私はずっと思ってました。
 まったく勉強ができないわけじゃなくて、暗記とかは特に覚えるだけだからやったらできるんですけど、当時の私は勉強をやる理由を見出せませんでした。将来やりたいことにつながらなかったからだと思います。

やりたいのは音楽

──やりたいことというのは?

雪さん 中学生の時はアニメの声優さんになりたいと思っていました。それを伝えるために親と向き合わなきゃいけなかったから、怒鳴るのはやめてほしいという話を(当時、一生懸命)したというのはありましたね。

 高校生になって、ある女性歌手の方が歌っているのをYouTubeで見つけて、めっちゃかっこいいと思って、簡単に言うとその人に憧れて、私、音楽やりたいわ。ってすごく思ったんですね。それからは、音楽をやりたいってずっと思っていました。

 中学2年生から合唱部に入っていたんですが、高1・高2で部長をやって、高3で一応引退だけど進路に悩みながらまだ顔を出していたら、音楽の先生にとある総合大学の声楽科をすすめられました。この学校のAO入試、推薦入試だったら実技と面接だけでいけるから受けてみなさいって言われたんですね。筆記がいらないから(笑)。それで運良く受かった。受からなかったら、今頃就職しながら音楽活動やってたかもしれないですね。

お父さんのこと

──中学生の頃からお父さんに怒鳴らないでほしいとがんばって伝えていた、というのはすごいことですよね。怒鳴らない時のお父さんは話は聞いてくれる感じだったのですか?

雪さん 冷静な時間はないわけじゃなかったですね。話せるのは、仕事から帰ってきて、ご飯を食べてる時とかですかね。帰ってきてすぐは仕事で疲れていて話しかけちゃいけない雰囲気がありましたが。
 本人も後々言ってたんですけど、あの時はお酒が入ってたのはあった、と。お酒が入ると元々の気質が助長されて、マイナスの方向にたかぶりやすかったのかなと思います。今は父親自身の環境も変わったので、そこまでではないんですけど。

──お父さんはだんだんそういう爆発はなくなってきた?

雪さん うーん、そうですね。昔よりは全然なくなってると思いますし、自分が爆発することで子供に迷惑かけるのをわかってきた、っていうのはありますね。私が思うに、元々の父親の気質が出てくると「しつけ」とか「叱る」とかじゃなくて、「怒り」になってしまう。今でも2、3ヶ月に1回、チッ、って舌打ちしたりする時はあるけど、だいぶ良くなりましたね。

 私が通っているメンタルクリニックに、私の治療の一環として、一度、親と一緒に行ったことがありました。父親と私、母親と私で、それぞれ別の日に。
 父親と行った時に、その精神科の先生が、娘さんはこういう理由でこうなってるみたいなんですけど、そこはご家庭ではどういう風に受けとめてますかねっていう話を振ると父親が、そうですね、そうなってるのは知ってますと答えたら、先生がそういうのは世間では虐待と言われていることですっていう風にはっきりと伝えて。そしたら父親が、私も会社でのストレスがあって、ってぽろっと言ったんです。先生は父親より10歳ぐらい年下だと思うんですけど、いやそれは子供に暴力を振るっていい理由にはならないです、ってビシッと言い放ってくれました。
 赤の他人の先生から言われたっていうのもあって、父親も自分自身のことを客観的に捉えてくれるようになったというのもあると思います。

──ありがたいですね、先生。

雪さん いい先生に出会えたと私は思ってます。

──お父さんもよく一緒に行ってくれましたね。

雪さん 父親は子供たちを愛していないわけじゃないと思うんですよ。本当にどうでもよかったら大学も行かせないと思うし。そういう面では、私たちのことをちゃんと好きでいてくれてるんですけど、ただその愛情の方向性っていうのが曲がってたんだなって思いますね。

お母さんのこと

──お母さんについて聞いてもいいですか?

 うちの母親は、ある意味変わった人かな、って思うんですけど。おっちょこちょいというか、自己管理があんまりできない人というか。ものをなくす、忘れ物をする、片付けができない、時間管理が苦手、とか、人の気持ちを推しはかりにくい、とかそういうところがあります。

 私自身にも似たところがあるなと一人で思っていたんですが、弟も自分にそういうところがあると思っていたみたいで、数年前弟が母に「僕もしかして発達障害っぽいかもしれないから、診断できるところに行ってみるよ」と母親に言ったんですよ。私と弟は全然そういう話をしたことがないのに同じことを思ってたんだ!と思って、その機会に、母親に言ったんです。

 「私も弟もそう思ってたってことは、もしかしたらお母さんにもそういう気質が人よりはほんのちょっとあるかもしれないから、お母さんももしそういうところで悩んでるんだったら、メンタルクリニックに行けば話を聞いてもらえるよ」って、傷つけないように慎重に、めちゃくちゃオブラートに包んで言ってみたんですよ。母親の片付けのできなさはけっこうひどいんで、それに対して父親が切れることもあり、それを見たくなかったっていうのもあって。

 でも結局、母は信じられない、そんなわけないという反応でそのままうやむやになりました。別に生活にすごい支障があるわけじゃないんで、それ以降は何も言ってはいないです。

──お母さんに、爆発するお父さんを止めてほしいと言ったことは?

雪さん あります。どう考えても母親に言った方が父親に直接言うよりも言いやすかったので、母親にも言ってたんですけど、母親は理論で考えるのが苦手なんですよ。母と一緒にメンタルクリニックに行った時も、先生にガツンと言われて号泣していましたし、感情的になりやすいのかなと。
 そして自分の思ってることとか、子供たちがこう言ってるっていうのをあまり順序立てて説明できないから、父親にうまく伝えられなくて父親がまた切れるという悪循環になってたと思うんです、夫婦間で。

──じゃあお母さんに頼るというよりは、違う方向でなんとかしようと?

雪さん そうですね。でも母親は、気持ちだけはちゃんとこっちを向いてましたね。母親は言葉にするのは苦手だけど、寄り添おうという姿勢はわかりました。めっちゃ不器用なんですけど。順序立てて考えるのが苦手で、問題はそこだけなんですよ。

冷静にならざるを得なかった

──お話を聞いていて、すごく冷静に考えられているんだなという感じがします。

雪さん いえいえいえ。自分の身は自分で守るしかなかったんで。両親がそんなだと、子供が生き抜く術として冷静にならざるを得ないんですよ(笑)。私も弟も、感情的に爆発されても困るし、みたいな感じで思ってたんで。

──お二人とも頑張ってらっしゃるんだなと。

雪さん 弟については、思春期の男子中高生ってこんなにおとなしいもんなのかっていうのは思いましたね。諦めてるわけなんですが、全然反抗しないんですよ。自分の意見を言うとしてもすごく理論的にしゃべるんです。いや、それはお父さんはそう言ってるけど、僕はこう思うし、ここはこうだけど、どう?みたいな感じで。親よりもよっぽど弟の方が冷静に話します。
 弟は勉強ができるたちなんですよ。すごく頭がよくて、多分日本で一番か二番ぐらいの高校に行っています。

 周りの友人を見ても、生育環境が不安定だと、子供は必然的に考えざるを得ない状況に追い込まれるのかなと思います。

──今は気持ち的にはつらくはないですか?

雪さん もうすぐ二十歳を超えるので、自分のお金で一人暮らししたいと考えて、お金を貯めています。学生の身分はわきまえなければとも思っていますが、二十歳になったら契約を結ぶとかの権利が持てて、自由がきくようになりますよね。いつか私たちは親離れしないといけないし、親も子離れしないといけないから、そのタイミングは自分で決めなければ一生逃げられないなあって思って、考えています。

“not today” それは今日じゃない

──同じような境遇で悩んでいる人に、伝えたいことはありますか?

雪さん 万人受けしないことを承知で言うと、死ぬのはいつでもいいんですよ。別に今日でもいいし明日でもいいし、って思ってていい。ただ、ぎりぎりのところでああやっぱ今日じゃないかな、っていうのは思ってもいいかなって思います。

 中高生に対して、学校が全てじゃないよ、親がすべてじゃないよとか、学校に終わりはあるよというのは簡単に言えるけど、いや、でも、本人にしたら学校と親がすべてなんですよね。だって家から出るやり方もわからないしお金も稼げないし、そんな子たちに大人の目線から言ってもしかたないんですよ。
 
 少し前に私が出会った言葉があって。「not today」=今日じゃない。という言葉です。Twitterで回ってきたのを見つけたんですけど、その言葉は私にとってはすごく救いになりました。

 死ぬなって言われて死なない人は、元々死なない人なんですよ。死にたいと思うことは自由だし、自傷行為をしたって親に暴力振るわれてつらくなっていつ死んでもいいけど、とりあえず今日だけはって、それは今日じゃなくてもいいって思えるのが「生きる」ってことなのかなーってぼんやり思った。「今日じゃない」っていうその一言がけっこう私の中で大きくて、忘れずにいようと思いました。

 (その言葉を)見た時に、なんか妙な納得感があって、まあ確かに今日じゃねえな、って思って。今日じゃなくてもいっか、って、まあ思えない日ももちろんあるんですけど、ずっと頭のすみにある言葉です。

絶対的目標=音楽

──最後に、今暮らしていて楽しいこととか、軸になるようなことってありますか?

雪さん 今は、完全に音楽です。ギターもそうだし、歌もそうだし、自分で作詞作曲して自分で歌うとか、それを外部に発表するのが今の生きがいだし、それで飯食っていこうっていうのを目標にがんばっています。

──陰ながら応援しています。

雪さん (笑)ありがとうございます。暗い話ばかりでしたが、楽しく生きてます(笑)。

(終わり)

※インタビュアー田中の発言の前には──が付いています。

今日じゃない。そしてその次の1日、次の1日を重ねた先にまた今日。そうやって生きてみる。それでいいんだと思います。

お読みいただきありがとうございました!

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